見出し画像

「普通がいい」と言う彼の普通とは違う人生 ~ BR東京・中澤健宏(前編)

2023-24シーズンをもってリコーブラックラムズ東京(BR東京)を退団、ラグビー選手からの引退を発表した中澤健宏さん。銀行員から転職、中途採用社員ラグビー選手という異色の経歴を持つ中澤さんのライフストーリー。

前編ではラグビーを始めたきっかけから、一度はラグビーを引退、そして再びラグビーに戻ってくるまでの変遷を伺いました。
(取材日:2024年7月)


ーー現役生活お疲れさまでした。まずは、引退を迎えた今のことをお聞かせください。

「やりきった」という思いが強いです。本当に最後は自分の気が済むまでやらせてもらって、気持ちを整理しきったうえで引退できました。
今(取材日現在)は社員として働いて、早めに帰って家族との時間も作っています。これまではシーズンオフでも早朝や夜に体づくりをしていましたが、今は時々走ったりするくらいで「積極的に体を動かしたい」と思うことはありません。「やりきった」からかもしれませんが、「よくあんなに大変なことができたな」と思います(笑)。

ーーラグビーは高校生から始めたそうですが、それまでも何かスポーツをされていましたか。

5歳から中学3年生まではサッカーをしていました。幼稚園のスクールから始めて、小学校4年生からはJACPA東京FCに所属しました。中学では地元(埼玉県)のクラブチームに所属してサッカーを続けていました。
練習はきつくて楽しくない時期もありましたが、試合で勝った時はやっぱり楽しくて。点を取るのも楽しかったです。当時から体が大きくて、当たり負けはしなかったですね。

中学生まではサッカーをプレー

ーー高校は進学校である埼玉県立所沢北高校を選択されました。

(進学するときには)サッカー推薦も選択肢にありました。学費免除は魅力的でしたが、将来サッカーで食べていけるかわからないし、サッカーだけで頑張ってダメだった時に困らないか不安で。不安を抱えながらサッカーをやるのは嫌で、スポーツと勉強と両立できる学校を選んで受験しました。当時から堅実な思考でしたね。

ーー高校に入ってラグビーを始めるきっかけは何でしたか。

高校でもサッカーを続けるつもりでしたが、体が大きかったのを見込まれてか、ラグビー部の先生や先輩が毎日教室まで勧誘に来ました。「そんなに誘ってくれるなら」くらいの軽い気持ちで体験に行きました。
ラグビーでは、サッカーと違って思いっきりぶつかっていいのが楽しかったです。最初は、鬼ごっこ+ボールを持っている相手にはぶつかっていい、くらいの感じで楽しんでやっていました。

ーーサッカーから転向して、3年間ラグビーを続けられたラグビーの魅力は何でしたか。

辞める選択肢がありませんでした。1年生から試合に出られていたこともあり、ラグビー自体が楽しくて、悩むことがありませんでした。
自分はあまり個人競技には向いてないと思います。一人ではきついことを頑張れない。でも、チームスポーツって「周りも頑張っているから自分も頑張らなきゃ」と励まされます。きついことはたくさんありますが、「あいつも頑張ってるから」と頑張って乗り越えられました。

ーー1年生から試合に出場していたそうですね。

先輩が少なかったこともあり、1年生の秋から出場していました。
ポジションはスタンドオフ(SO)でした。身長が高いし体格が良かったので、先輩はフォワードにしようとスクラム練習もしましたが、先生の「こいつはバックスに決まってんだろ」の一言でバックスになりました。自分で希望したというよりは、気が付いたらバックスでSOでした。

サッカーをやっていたので、自分で突っ込んでいくことが多くて。パスのサインの時はパスをしますが、どちらかというと、ランとキックで勝負していました。サッカーの経験から、高校の県大会レベルであれば、キックダミーで相手を躱すことができましたし、キックでは50メートルくらいは飛びました。当時は初心者なので、攻撃パターンは繋げてセットプレーからモールしかありません。パス回しは期待されていなくて、キックで前進してあとはディフェンス、それでもボールが来たら突っ込む感じで。自分のプレーがチームに合っていました

所沢北高校からラグビーを始める ポジションはSO

ーー大学は立教大学を選択されました。

高校3年生の時に埼玉県選抜候補に選ばれたのですが、セレクションの直前に怪我をして、セレクションに行くことができませんでした。他校の先生から「セレクションに出ていれば、(埼玉県選抜に)選ばれただろう」と言われるくらいだったので、それなりのレベルではできていたのだと思います。
高校選抜候補レベルではできていたので、大学でもラグビーをしようと思いました。でも、普通の県立高校から始めた自分は、強豪校では試合に出られなくてつまらないだろうと考えました。勉強もできて、ラグビーも対抗戦Aで頑張っていて、推薦で選手を多くとっていない立教大学を選んで、一般入試で受験しました。

立教大学で対抗戦に出場、2年生からはFBでもプレー

ーー大学での印象に残っている試合はありますか。

やっぱり入替戦ですね。
毎年入替戦をしましたが、3年生の時(対成蹊大 7-15で敗れて対抗戦Bに降格)は出場して負けたので特に印象に残っています。ゴール前でラストパスをもらって、それを取り損ねてトライできなかったことはよく覚えています。3年生の春の試合では余裕で勝ったのに、入替戦では負けました。
良い思い出は、4年生の入替戦で日体大に大勝しました(74-17で勝利して対抗戦Aに昇格)。いつも点を取る奴だけじゃなくて、普段は点を取らないロックとかもトライをして、本当にいい終わり方ができました。

ーー4年間公式戦に出場、4年生では関東大学オールスターに選出される活躍でした。それでもラグビーを続けようと思わなかったのはなぜですか。

そこでも堅実志向が出ました。
2年の途中まではラグビーを続けるつもりでトップリーグのチーム練習に参加、合同トライアウトを受けていました。ですが、ラグビーを引退した後のことを考えたら、自分がラグビーだけを頑張っている間に、ずっと仕事をしてきた人とすごく差がつくように感じ、それは「なんかラグビーしかできない人みたいで嫌だな」と思いました。

長い目で見たときに、最初から仕事をしたほうが良い人生を送れるだろうと思いました。なんとなく「普通から外れるのは嫌だ」「一般的な普通の人でいたい」という気持ちがありました。「普通って何?」というのはありますが、スポーツだけをやっている特殊な人にはなりたくなくて、自分の父親と同じような世間一般の普通のサラリーマンになりたいと考えていました。

それであれば、と大学でラグビーを引退して就職しようと決めました。まだ就職先は決まっていませんでしたが、ラグビーの誘いは全部断っていました。

ーー大学卒業後はみずほ銀行に入行されました。

平日は支店で営業として働いて、週末は関東社会人リーグ1部に所属する(みずほ銀行の)ラグビー部で活動していました。ラグビー部は今でも繋がっていて、新年会に呼ばれます。今まではシーズン中だったので行けなかったのですが、来年は行けたら引退の報告をしたいです。

みずほ銀行時代は週末にラグビー部で活動

銀行では支店で勤務していました。銀行は職場内にいられる時間が決まっています。営業で外に出て帰ってきて処理をするのですが、あまり要領がいいほうじゃないので、仕事量を時間でカバーできないのはしんどかったです。

支店では支店長が本当によくしてくれていました。自分が転職する際に平日練習に行くための有休も快く使わせてくれて、後押ししてくれました。リコー入団後は、みんなを集めて試合を見に来てくれていました。

ーーラグビーに戻るきっかけはなんでしたか。

W杯2015の南アフリカ戦です。後半から見始めたのですが、意外と点数が拮抗していて、そこから目が離せませんでした。

南アフリカ戦をきっかけに、トップリーグにチャレンジしたいと思って、大学4年生の時のヘッドコーチだった遠藤さん(遠藤哲氏 2013-2015立教大学ヘッドコーチ)に連絡しました。

ーーW杯2015の南アフリカ戦のインパクトは大きかったですが、実際に行動した人は多くありません。何が中澤さんを動かしたのでしょうか。

今振り返ると、大学4年生で出場した関東大学ラグビーオールスターに出場したことが大きかったです。その意味は2つあって。
1つは、その時に一緒に戦ったメンバーが、2019年(ラグビーワールドカップ2019™日本大会)で活躍するだろうと想像したときに、「自分も戦えるんじゃないか、また頑張りたい」と思いました。
もう1つは、全然根拠のない自信ですが、高校からラグビーを始めたので、高校代表やU20など何かに選んでもらうことがありませんでした。オールスターに選ばれたときに、「自分も上を目指すことができるかもしれない」と思いました。ただ、大学4年生の春には既にみずほ銀行への就職が決まっていて、内定を辞退してまで頑張ろうとは思えなかったのですが、2015年の南アフリカ戦を見て、「もう一度頑張りたい」と思いました。

ーーそして、実際にトップリーグのチームの練習に参加されます。

当時は仕事をしていたので、有休を使って平日の練習に参加しました。
縁があってリコーの練習に参加することになりました。最初は「プロで良かったら」との条件で練習に参加させてもらいました。その時のサニックス(宗像サニックスブルース)との練習試合に出て、ヘスケスが出ていて。

ーーヘスケス選手と言えば、南アフリカ戦のラストトライを決めたヘスケス選手ですね。

もちろんヘスケスは知っていましたが、サニックスの練習試合で自分の目の前の人がその人だとは知りませんでした。だから、思いっきりいけました。ラインを抜けてくるヘスケスを毎回止めていたのですが、試合の終盤でタッチ際を抜けてきたところを気合で止めてラインの外に押し出したタックルで、たぶん採用が決まりました。「それを超えるタックルは現役ではできなかった」と思うほど気持ちが入ったタックルでした。

その1か月後くらいの別の練習試合の後に面談して、社員選手としての採用が決まりました。

ーーあくまでも社員選手にこだわられていますね。

堅実に生きていきたくて。プロスポーツ選手は自分の中で一番考えられませんでした。社員選手であれば、ラグビー選手後も会社に所属できるので不安はないな、と考えて社員選手に絞っていました。
前職をやめるとは想像していなかったので、転職は思い切りました。でも、「プロになってもやりたい」までは振り切れませんでした。

シーズン終盤での採用も、プロではなく社員選手としての入社も本当に異例中の異例で。銀行での仕事も評価され、選手が終わって残っても戦力になると思ってもらったのかもしれません。普通じゃないことなので、何かの形で恩返ししたいと思っています。

(後編に続く)


中澤 健宏:
1991年9月10日埼玉県生まれ。NTTジャパンラグビーリーグワンに所属するリコーブラックラムズ東京(BR東京)の元選手。現役時代のポジションはフルバック。
埼玉県立所沢北高校でラグビーを始めると、幼少からプレーしたサッカーで磨いたキック力と当たり負けない強さで活躍。3年生では埼玉県選抜候補になる。卒業後は対抗戦A/Bグループ立教大学へ進学し、1年生からレギュラーとしてプレーをする。4年生時には関東大学オールスターゲームの対抗戦選抜に出場。大学卒業後はラグビーを離れ会社員として勤務するも、2015年の日本-南アフリカ戦での日本の劇的な勝利に影響を受け、ラグビー界へ復帰。株式会社リコーに入社すると同時にBR東京入団。2017年に初出場の試合でPlayer of the Matchを獲得。2018年には7人制ラグビー日本代表に選出。2024年に現役を引退。2024年8月よりBR東京採用担当に就任。
趣味はサイクリング。甘党。


この記事が参加している募集

サポートはラグビー関係のクラウドファウンディングや寄付に充てます(例:ブラインドラグビーのイングランド遠征)。「いいな」と思ったら、サポートをお願いいたします。