無限ぬるま湯につかっている

大学生になって、社会人になってからも、

わたしは、移動族で、遊牧民のような生活をしていた、と思う。

大学時代は、1年ごとに、海外に住んだり、一人暮らしをしたり、寮に住んだり、

転々としていたし、

社会人になってからも、

1年契約の仕事を転々としていた。

社会人1年目はオーストラリアの小中高校に勤めて、

2年目は、同じくオーストラリアの日本語学校に、

3年目は、帰国して東京の日本語学校に、

という具合だ。

4年目には、結婚してオーストラリアに移住してきた。

そして、いまに至っている。


1年ごとに、全く新しい環境に身をおいていたらから、

会う人も更新されるし、

学ぶことも更新されて、

「落ち着く」ことはあまりなかったけど(たいてい慣れていた頃に移動になってしまう)、

いつも新鮮で、”変化”にさらされていたな、と思う。


だけど、ここに来て、

わたしを待ち受けている”変化”はなくなってしまった。

大学も4年、社会人になっても1〜2年契約で、

いつも始まりと同時に終わりが見えていて、

そこに向かって、

次の変化に向かって、時間を過ごしてきたけど、

いまはもう、終わらせようとしなければ、変化させようとしなければ、

この状態がずっと続いていく、

言うならば、わたしはいま、「無限に続くぬるま湯」に浸かっている。

そして、そのことに焦っている。


もう、「来年はどうしよう」「次の仕事は何にしよう、探さなきゃ」と焦ることも、不安になることもないけど、

刺激や恐怖や、挑戦や失敗をする必要がないこのぬるま湯に、

自分が望めば一生浸っていられることが、「怖い」と思う。


そもそも、自動的な変化や挑戦があるのは、大学生までで、

社会人になると、自分でよっぽどの勇気を出さない限り、

ぬくぬくの場所にとどまっていることもできるわけで、

これまで「強制的な変化」が用意されていた自分は、ある意味でラッキーだったなと思う。

わたしは仕事の契約が1年だったり、VISAの関係で自分の希望とは関係なく帰国しなきゃいけなかったりして、

結果的に、「ぬるくなる前のお湯から強制的に出される」ような出来事が多かったけど、

そうじゃなくて、もし自分で仕事をやめることや、国に帰ることを決断しなきゃいけない立場だったら、

それはもうすごく勇気が必要で、

お湯がぬるくなるまで悩んで、

結局は抜けられなくなってしまっていたかもしれない、と思う。


***

わたしは今、たいして不安や緊張やストレスを抱えず、

誰かかからジャッジされることもなく、

毎日の仕事をこなして、ある程度のお給料を稼げる。

決して今の仕事をなめているわけじゃない。

だけど、「ぬるい」のだ。

落ち込んだりドキドキしたりすることがなくて、

楽なのだ、と思う。


ここから抜け出そうとしたら、

新しい人に出会って、他人から評価される場所に身をおいて、

不安になって、緊張して、

ストレスを感じて、

家では旦那に八つ当たりしてしまうかもしれないし、

お給料が一時的に下がってしまって、

今よりお金が使えなくなるかもしれないし、

新しい場所でも失敗して、

落ち込むかも知れないし、

一度ぬるま湯に浸かってしまうと、

たとえ他に、「いいお湯があるかもしれない」とわかっていても、

再び「熱々のお湯」に入っていくことが怖い…!!!


***

そんなことを毎日、考えている。

でもね、わたしは絶対ここから抜け出すよ…!!!

「いま、無限ぬるま湯につかっているなあ」と思いながら毎日を過ごすのは、

終わりにすると決めている。

出たい、出たい、出たい…!

だから決意表明をしたくて今日はこのNoteを書いたよ。



4月、今年度から新しいスタートを切った人たち、

もうそれだけですごいよ!!!!

拍手を送りたい。


わたしもそこに続くよ!!!

もう息も整って軽く走っているような私だけど、

切らなくてもいいスタートを、

それでももう一度切ったかのように、

また息を切らして走るような日を送れるように、

勇気を出したいと思う!!!




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