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テイクアウトでかんがえる

月に1度ほど、近所のレストランで食事をする。その時の楽しみがワインだ。

小さなイタリア料理店なのだが、ソムリエがいて、グラスワインにも案内をつけてくれる。

「このワインの作り手さんは〇〇で…」「このシリーズは香りが…」忙しくないときは本当に楽しそうに、ワインにまつわる色んな話を聞かせてくれる。そうして選んだワインが美味しくて、もう一杯、もう一杯と進んでしまう。

料理もおいしくて、夫婦でごきげんになって歩いて帰る。大好きな時間だ。


最近は外出自粛で、しばらく出かけていない。飲食店が打撃を受けている。できることはないかとオロオロしていたら、テイクアウトでの営業がはじまった。

オードブルと、チーズの盛り合わせ。そしてボトルワインを注文した。予算は外食時とほぼおなじくらい。ワインは価格帯だけお伝えしてお任せした。


夜、自宅のダイニングでプチ飲み会をはじめる。普段の食卓に、オシャレなバルのような光景が広がる。夫が冷蔵庫にあるもので、数品おつまみを作ってくれた。

何種類かあったチーズを食べ比べて感想を言い合う。赤ワインが欲しくなる。もう一本ワインを買っておけばよかった。

普段の食事とはまた違う、「非日常」がそこに流れている。

楽しいひとときを過ごし、またやろうと言い合って眠りについた。料理も、飲み物も、変わらずに家で楽しめることがありがたい。家で飲めることの良さも発見した。


けれど、お店で食べるのとは違う。

レストランのあの空間が、厨房から聞こえる音と香りが、料理やワインについて教えてくれる人がいることが、行き交うお客さんの無数のざわめきが、いかにたくさんの安らぎを与えてくれていたかを。

料理だけが価値ではないのだ。

レストランの中で提供されていたのは、料理であり、空間であり、会話であり、知識であり、心地よさでもあった。

お店の方々が営業開始から年月をかけて作った空間は、かけがえのないものだ。


もちろん、今守らなければならないのは命であり、医療の現場や、生活を支える現場が最優先だ。そしてそこで働いている人が、安心して家に帰り、心身を安らげることができること。

接触を避ける。家にいる。健やかでいる。

そのための工夫の数々で、いまこの街はなりたっている。今まで当たり前にあった「日常」を変化させて、なんとかなりたっている。

いつになれば「元に戻る」のかは、誰にもわからない。


そんな中で、テイクアウトの夕食のひと時は光でもあった。

ともに食べる人がいること。誰かの料理や、誰かが選んでくれたものを楽しむこと。

それは確かに非日常だったけれど、どこか「日常」につながっているような気がする。私の他の「誰か」がいる限り、どこかに日常の気配がある。

私がその気配を頼りにするように、誰かもまた、私の気配を必要としているのかもしれないと、ふと思った。


渦中にいる人はもちろん、変化に戸惑う人、やるせない人、困っている人。誰もが当たり前に受け取っていた日常が、戻ってきますように。

そう願わずにはいられない。





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