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No.112 「ふるさと情景雑記帳」(1)

No.112 「ふるさと情景雑記帳」(1)

姉早苗は福島県いわき市の実家にほど近いところに嫁に入った。旦那の哲ちゃんは、僕の幼なじみでもある。故郷に残る友人もいるし、両親の墓もある。そんなささやかな消極的な理由で、僕は1年に2回か3回ほどだろうか、片道200km往復400kmの道のりを、大概は日帰りで、時に一泊で、常磐道を愛車で往復する。

帰郷の際に必ずすることが二つある。姉早苗の住む家に行き、美味しいお茶を飲みながら、近況報告やら思い出話しやらを楽しく語らうことがその一つであり、もう一つは1993年と2008年にそれぞれ亡くなった父武と母ユウ子のごく短い時間の墓参りである。

一人で、込み入った寺院の墓石の間を、当たり前だが迷いなく、二人と先祖たちの眠る場所にたどり着く。墓地正面手前に小さな石の階段が三段あり、そこを上がると先祖の誰が葬られているか未だ知らない墓石が3つ並び立っている。

「小野家」の墓敷地の左側外、一段下になっているところに、墓石でなくやや大きめの楕円形の石を中央にした50cm四方の「墓らしきところ」がある。幼少期、お盆の時などに家族で「小野家」の墓参りが済んだ後、母ユウ子にその「墓らしきところ」にもお花や線香をあげることを促された。両手を合わせ、誰だか何だか分からないものに、成仏だかも分からずに楕円の石の上に置いた線香からの煙を見つめたものだ。

子ども心に、その「墓らしきもの」については、一切を聞いてはいけないような気がした。世の中に、触れてはいけないものもあるのだ。兄も姉も同じように感じていたのは、両親に何も聞かないことからも明らかだった。

それは、謎のまま長い年月を重ね、楕円の石は徐々に苔むしていった。「小野家」の墓地と同じくらいの広さの佐藤家と森山家の墓地に挟まれたこの小さな「墓らしきところ」の正体を知ったのは、僕が高校生になってからだったのだろうか。はっきりとした記憶はない。

近所で買ったお花とお水を供え、時に目を開いたまま両手を合わせ「じゃ、また来るね」などと語りかけて、父武と母ユウ子と「墓らしきところ」に背を向け、一歩一歩と、また離れていく。

友人たかゆき(No.047)と、こういちくんの墓参りは、冷たいものだ、気が向いた時だけ、たまにだけ花を携えて遊びに行く。僕のわがままな部分を知る友だ、生きてる時だって毎日会ってたわけじゃないよな、などの言い訳は、多分笑って許してくれているだろう。

産まれてから高校生までを過ごしただだっ広い敷地に建っていた以前の無駄に広い家は、おそらく僕の思考や人生観の形成に関わったことだろう。街の中心の一つの四つ角にある実家の土地の周辺の景観の移り変わりは、そのまま戦後の日本の変遷の歴史に重なる。

その四つ角の道路がアスファルト舗装化され、小学生の頃であったか信号がつけられた。本町通りと呼ばれた道の両側には、ぎっしりと商店が並んでいた。沢山の小学生中学生のざわめきは、朝夕の街の音だった。

四つ角の道路が拡張され、僕の実家を初め道路に面していた家々は、高度成長の名の下に取り壊されていった。福島県の不備により、道路拡張反対の波は長きに亘り、実家も福島県と10年以上も係争状態となる。母ユウ子から幼少期より聞かされた「お上は信じるな」反骨の精神は、僕も誇りを持って受け継いでいる。

四つ角の南北に走る道は大きく広がり、大型車が頻繁に港へと走る。東西に走る道の幅は変わらず、街の商店は少しずつ減っていき、車のエンジン音と道路を削るような音が、子どもたちのざわめきにとって変わった。

小さな道路を挟んだ向こう側に「柏屋書店」があり、幼少期に持った初めての「行きつけの店」で僕は様々な情報と知識を得て、やがてそのいくつかは知恵に昇華する泉の源であった。小さな道は信号を伴った広いものとなり「柏屋書店」は少しばかり遠くなる。さらに道が広がり「柏屋書店」は、また少し遠くなり、今は、もうない。

さあ、陽も落ちた。東京に戻らなくては。「しんや、気をつけて帰ってね。着いたら絶対連絡してね」姉早苗の声はいつも優しい。姉早苗も言ってたな、いつから東京は抵抗なく「行くところ」から「帰るところ」になったのか?由理くんと所帯を持ってすぐではなかったように思う。故郷の街で過ごした18年を超えた時に、僕の中で東京は「戻るところ」になったのだろうか?

今回も、故郷から特に大きな刺激を受けることもなく東京に戻る。いつものことだ。妙に心の奥に引っかかる何かの小さな「きっかけ」なるものを感じて、目の前に現れ続ける黒い道路をヘッドライトで照らし車を走らせるのもいつものことだ。僕を形作った故郷の「何か」は、不思議にも僕を温かくする。

明日から日常に戻るのだな。帰郷はいつから非日常になったのだろう?

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