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No.162 若き友よ!(7)千明くん / 刺激を与えてくれる弟分・その1

No.162 若き友よ!(7)千明くん / 刺激を与えてくれる弟分・その1

「ヤクザ組織の中で言うなら、千明くんは『若頭』の位置がピッタリだな。生意気なところも大いにあるオレと違って、組織の上のものにも可愛がられる素直さがあるし、下の者に対する気遣いもできる。自分に責任がかかってくる自営業でやっていくより、小さめな組織に入った方がいいな。千明くんなら、好きな事を言ってもかばってくれる上司ができるよ。そこで光ることが似合っているよ」

千明くんを前に、偏見に満ちているかもしれない断定を下したのは、もう20年以上も前になるのか。弟妹を持たない僕であるが、11歳年下の千明くんと話していると、「弟」にはこんな感情を抱くのだろうかと想うことがあり、多くの若い友人たちの中で、僕にとっては唯一の可愛い「弟分」である。

千明くんは、東京都板橋区のお寿司屋さんの三人きょうだいの次男で末っ子として生を受けた。商売人の家庭に産まれたところと、兄と姉がいる末っ子と言う点では僕と同じで、御近所さんでもあった。もっとも千明くんと親しくなるのは、僕が39歳、大学生活二年目の蒸し暑い夏の夜以降だ。

黒く大きな瞳で、童顔と言って良い目元は愛くるしい一方で、しっかりと結ばれた口元から顎の線にかけては、好奇心旺盛ないたずらっ子の匂いを放つ千明くんは、高校を卒業後大学受験でつまずいた。好きな野球に若いエネルギーを注ぎ過ぎたのも、不合格の要因のひとつだったろう。高校時代、卓球に情熱を傾け大学受験に失敗した僕と、こんな所にも共通点があった。

何事にも一生懸命取り組む千明くんは上昇志向も強い方だろう。多少の「やまっけ」も伴い、本人曰く「親戚に多大な迷惑をかけた」時期もあった。バブル景気で浮かれる1980年代には、得意なスキーの技術を活かし、冬の時期にはスキーのインストラクターとして結構な額を稼ぎ、シーズンオフにはガティマラやコスタリカなど中南米へ足を伸ばし「旅とスキー」の日々を楽しんだ。そんな日々も、バブル経済と共に崩れつつあった。

バブル崩壊後の「次の生き方」を模索し始めた二十代後半の千明くんは、初夏の蒸し暑い夜、近所の「フジヤ酒店」に、喉の渇きを癒してくれるビールを買いに行った。店にいたのは、幼少時より千明くんの顔だけは馴染みだった僕だった。

何かが囁いたのだろうか、この夜初めて御近所さん「滝口家」の次男さんと親しく話すこととなり、名前が「千明」くんと知り、千明くんはこの夜以来、僕を「信也さん」と呼ぶこととなる。話の流れから、僕が38歳で上智大学比較文化学部に入学、この時大学二年生だと伝えた。近所のどこか怪しげな年上の「酒屋さん」の正体の一部を知って、俄然興味が湧いたのが見て取れたし、時間も味方した。

僕は千明くんに言った。「ちょうど閉店の時間だし、シャッターを降ろすからちょっと待ってくれる?ゆっくりしていってよ。感じのいいお店で買ったビールもあることだしさ。おつまみがサービスだってさ」

千明くんの大きな瞳が輝いたような気がした、いや、輝いた。そしてニッコリ笑った。今でもなお、誰をも魅了する屈託のない笑顔を、11歳年上の僕に向け、そして、しっかりした口調で答えた。「ええ、そうします。お邪魔します!」

・・・続く

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