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No.094 浪人2年生。秋その2・由理さんとその家族

No.094 浪人2年生。秋その2・由理さんとその家族

(No.093 浪人2年生。秋その1・母ユウ子と福岡の由理さんの続き)

福岡は何度か訪れていたので、天神の待ち合わせ場所で迷うことはなかった。天神は福岡商業施設の中心、東京に負けないくらいの沢山の人が行き交いしていた。僕は人の顔を覚えるのが苦手、由理さんとは半年以上会っていない。待ち合わせ時間6時を10分過ぎた。携帯電話などない時代だ。会えなければ、どうやって連絡を取れるか考え始めていた時、後ろから声がかかった。

「ああ、ここにおったかいな。久しぶりやね」真っ先に目についたのが、軽くパーマをかけた髪型だった。東京では短めのストレートヘアーで、おでこを出していた。つるつるな綺麗なおでこが少し巻かれた髪に隠されていた。愛想笑いをしない女性の印象は変わっていなかった。ニコリともしないし、遅れてごめんの言葉もない。少し怒っているのかな、不安になった。急に家に泊めてとのお願いはやはり図々し過ぎたかと思い始めた。「いこか、ここからバスで20分くらいかかるんよ」グリーンのハンドバッグを振って、僕を導くように先を歩き始めた。

バスの中では、奄美大島に行った話をしたり、由理さんが働いている司法書士事務所の事を聞いたり、当たり障りのない話をした。「事務所の仕事、おもろないねん」。天神駅周辺のネオンの明かりがすっかり消え、バスの車窓から見える景色は住宅街の家々の窓からのうっすらとした灯りに変わっていた。話していて、由理さん怒っているのかなとの疑念は消えている。遅れてごめんなさいなどと言われたら、こちらがかえって恐縮したかもしれない。10分程度遅れたことなど、本当に気にしていないのだろうな。後年、この時の思いが正しかったことを裏付けることを度々経験することになる。

「ここで降りるよ」由理さんに続きバスを降り、少しばかり後ろを歩くようにした。福岡の中心地を離れた新興住宅地の中に、由理さんの家はあった。ごく普通の一軒家の玄関の鍵を開け「ただいま。帰ったでー」と誰に言うでもなく、由理さんはちょっとだけヒールの高い靴を脱いだ。

「は〜い。由理子お姉ちゃん、おかえりー」奥から聞こえてきた声は、若干関西風の言葉の響きがあった。玄関に来た穏やかなお顔の女性は由理さんのお母さんかな?「はじめまして。急にお邪魔します」由理くんが紹介してくれる「こちら、チカコおばちゃん」。おばさん?さっき、由理じゃなくて、由理子お姉ちゃんと言ったような?

見ると、チカコおばさんの後ろから、遠慮がちにこちらを伺う女の子の姿がある。「うしろにおるんは、ミーちゃん、小学4年生やったかな?こちら、しんやくん。ミーちゃん、何照れてんねん。挨拶し〜や」ミーちゃん、目がクリっとして可愛い子です。ちょっとはにかみ屋さんかな?

ダイニングキッチンに通してもらい、6個の椅子のうちの一つに座った。出していただいた日本茶をいただき、ほっと一息をついた。いいお茶だった。幼少から、母ユウ子に贅沢なお茶を入れてもらって飲んでいる。お茶の良し悪しについては、身についている。チカコおばさんは、夕飯の準備の手を休めずに、由理さんは普段着に着替え椅子に座り、ミーちゃんは珍しそうに僕を見て、僕はミーちゃんの向いに座り、両手の指を組み、体を前に倒し、距離をちょっとだけ縮めて「ミーちゃん、何年生?ねえ、教えて。由理さん、忘れているみたいだから」と尋ねた。ミーちゃん、体を由理さんに向けて、軽く首を捻る。由理さん、微かに笑ったような。

すっかり打ち解けて聞くと、由理さんのお母さんミツコさんは、風邪気味で休んでいると言う。チカコおばさんはお母さんの妹さんで、ミサちゃんことミーちゃんは一人娘、都合で一緒に住んでいると言う。「どんな都合」かは、聞かないくらいの分別はあった。お父さんはもうすぐ帰宅すると言う。由理さん家族全員、僕のことは、時々手紙をよこす東京に住む浪人生の認識だった。

先ほどから、いい匂いを放っていたグリルから焼けたお魚が顔を出し、テーブルに置かれた。夕飯の宴の始まりだ。焼き魚に続きコロコロステーキ、高野豆腐、野菜の煮物、家でつけている糠漬け、お味噌汁、テーブル狭しと並んだ料理はいずれもプロ顔負けの美味しさで驚いた。いつもこんなご馳走食べているのですか、との僕の不躾な問いに、由理さん「しんやくん来てるからに決まっとるやん」との有難い返事だった。

ミツコお母さんがダイニングに顔を見せた。椅子から立ち上がりお母さんに挨拶した。これは父武から学んだ。小学生の時、椅子に座ったまま人に挨拶した僕に、父武は「立って挨拶した方がいいかな」やんわりと諭してくれた。ミツコお母さんが言う「ごめんなあ。しんやくんゆうたね。ちょっと風邪ひいて、すまんね」。由理さんと口調は似ているが、微妙に違う気がした。顔は似ていないと思った。

「しんやくん、ミーちゃんにマジック見せてあげて」食後はマジシャンしんやの出番だ。取り出したカードを、グッと反らせて右手から左手にバラバラっと音を立てて飛ばす。マジシャン用語で「スプリング」、それだけでミーちゃんは「え〜!」と悲鳴に近い声を上げる。その後も可愛らしい叫声を何度もあげる。驚きを共有したい思いからか、驚くその度にチカコお母さんに顔を向ける。チカコお母さんも笑顔を返す。ミツコお母さんも由理さんもみんな笑顔になれて良かった。

すると、ダイニングの戸が開いた。「えらい賑やかやな」ちょっとかすれた、それでいて野太い声がダイニングを支配した。綺麗に7・3に分けた髪型、濃紺の光沢あるスーツにペーズレー柄のネクタイ、太い眉に薄い唇、黒眼鏡の奥の眼が鋭い。由理さんに雰囲気が似ている。「パパ、おかえり」由理さんが座ったまま体をひねり言った。お父さんが帰宅したのだ。カードをテーブルに置き、椅子から立ち上がる。ドアのところにたたずむ「あるじ」と目が合った。

「急に、お邪魔しています。小野信也と申します」
「おお、由理子に手紙書いてくる、キミやな。いつ来たんや?まあ、座りや」
「由理」じゃない。確かに「由理子」と言った、よな?スーツは着ているが、お勤めの人の匂いがしない。義理の父となる隆司さんは、その場の空気を一瞬で自分に惹きつける魅力を持った人だった。由理さんは、このお父さんからその血を受け継いだか。

・・・続く

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