No.012 親不知・野宿
19歳の夏、大学浪人一年目、8月10日午後2時、直江津も東京と同じ、暑かった。駅止めで送ってあった五段変則、白い色がくすみつつある自転車にまたがり、右足に体重をかけた。この先の景色の広がりの見当などまるでつかない。のちに数えると17日間にわたる旅となる第一歩のペダルは、重かった。後輪部両側に下がる荷物入れは自転車用バッグと言うのかな。その上に寝袋。ハンドル前に取り付けた荷物入れの形はバッグと呼べそうだな。
「旅」の響きに惹かれた。「旅行」はしたくなかった。特に自転車が好きだったわけではない。ペダルを踏み、遠出をしたこともなかった。「旅」なら徒歩か。でも九州までは遠い。自転車なら「旅」としてもいいだろう。九州福岡を目指したのも深い理由はない。親しくしていたずっと年上の従姉妹のとき子さんと、会ったことのない親戚の井戸川さん家族を訪ねることが、一応の目的だった。福島生まれゆえか、日本海・北陸・山陰の名称は日常ではない「旅」にふさわしかった。
新潟県直江津(現・上越市)に自転車を駅止めしたのは、電車の関係と、日程を考えると、まあこの辺りから出発かと目星をつけたからだ。ホテルや旅館ではない、若者の「宿(やど)」はユースホステルが似合う。「宿」のない地域もある。野宿ってかっこいいよね、寝袋買っちゃったよ。蚊取り線香が、和製袋と呼びたいバッグに収まっていた。
思ったよりもずっとしんどかった。糸魚川市で最初の夜を迎える。疲れもあり、いきなりの野宿は避けたかった。怪しげな旅籠(はたご)は、怪しげな関係のお二人さん御用達か。若者ひとりを受け入れてくれたのは、旅人への情けだったか。
翌朝、ダラダラと続く登り坂、古来より知られる親不知(おやしらず)の峠だ。断崖と波の激しさが名前の由来の難所。新潟からなので山側の道、海側の道だったらと思うとゾッとした。細い道を、トラックがビュンビュンとかすめていく。日本海も同じ海だな、太平洋との違いなどどうでもよくなっていたし、目の前の道から視線を右に移すのは無謀な勇気というものだろう。
富山を経て金沢到着。金沢では少しばかり観光もした。名所景勝でとどまるよりも、少しでも先に歩を進めたい気持ちが勝っていた。金沢から先の旅路に、若者の宿ユースホステルは少ない。金沢滞在翌日、近辺に「宿」はなかった。新潟と福井の県境あたり、小さな神社を見つける。太陽は西の空の低い位置に来ていた。神社に着く少し前にアンパンと牛乳を買っていた。質素な夕食もまた野宿に似合うなとひとり悦にいっていた。
ふと目をあげると、地元の小学生であろう男の子が三人、髪を肩まで伸ばした自分と目が合った。こんにちは、声をかける。なにしてんの〜?野宿だよ。彼らの語彙に野宿というかっこいい言葉がはたしてあったか。近づいてきた三人の眼の前でコインを左手に握る。息をかけると消えている。その後は友達を大声で呼び寄せ、瞬く間に十人ほどの輪に囲まれる。大道芸人の気分で、マジックショーの始まりだった。
日も暮れかかっていた。輪の中のひとりの子が聞いてくる。ここで寝るの?そうだよ。明日までいるの?うん、朝まではいるよ、きっと。わかったー、バーイ!マジックをやっていて良かったと思える時間の一つとして心に残る。あの子たちの記憶の中にも、きっといるはずだ。自転車で神社に来た長髪の、怪しげなマジックした人。あの子たち、もうお父さんになってるだろうな。彼らの子どもたちにも話していて欲しいな。この神社でこんなことあったんだよって。
神社の境内で生まれて初めての野宿を迎える。寝袋の周りに、蚊取り線香を数カ所に置く。布団のありがたさを知る夜となる。夏の朝の太陽の勤勉さは、この日ばかりは歓迎したくなかった。あっ、まだいた〜!昨日の子どもたちだ。ラジオ体操に行くんだー!後ろ姿を見せて走っていく。さよなら、また会えるかなー!?こちらはなんかジーンてしちゃったな。