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No.163 若き友よ!(7)千明くん / 刺激を与えてくれる弟分・その2

No.163 若き友よ!(7)千明くん / 刺激を与えてくれる弟分・その2

No.162の続きです)

1994年平成6年この頃の「フジヤ酒店」の閉店時間は21時30分だった。店を閉めて、一階奥の狭い事務所内で机を挟んで座り、サラミとタラの乾き物をおつまみに千明くんはビールを、僕はキリンレモンを飲み始めた。

4階自宅にいた連れ合いの由理くんに、内線電話で「お寿司屋さんの次男さん」と一階で話している旨を伝えた。僕同様、由理くんも千明くんのことは顔見知り程度の間柄だったので「へえ〜、珍しい。遅くなるようなら、先に寝とるわ」と、いつものさっぱりとした返事だった。

後に、千明くんや他の友人から指摘される「由理さんだから、信也さんの自由気ままさを受け入れられるのでしょうね」との言葉に対して「そうかもね。オレは由理くんの掌の上で遊んでいるようなものだよ」と、笑いながらも本気で返したりもした。由理くん亡き今、彼女の真意を確かめる術もないが、大学入学後の僕の「どんどんと一人でも前に進んでしまう振る舞い」に一抹の寂しさを感じる瞬間があったのではないかと想うのは、僕のある種の勝手な奢りであろうか?

30分程度の話になるかと思った千明くんとの最初の対話は、僕の「門限時間」の24時近く、2時間を超えるものとなる。千明くんのご家族の近況を聞く無難な話から始まり、僕の英語学習や大学入学までの話を中心に、夏の蒸し暑い夜の時間が瞬く間に過ぎていったが、千明くんのグラスに注がれているビールはさっぱり減らずに、僕の話に感じるところがあるのか、千明くんは時折「う〜ん」と唸る。

この夜、僕と同じように、高校卒業後に大学入試に失敗した経験を千明くんが持つ事を知った。共通項の多さもあってか、僕は俄かに現れた目の前の「弟分」に、自分の英語学習での挫折の連続を、その時の大学生活の楽しさを、由理くんと共に歩いている時間の経緯を、熱く語った。

そして、20歳台後半の千明くんも大学入試に挑戦することになり、英語を中心に僕が教えることになった。学習塾を開校する前の酒屋時代に、友人知人からの紹介で数人の受験や学習の面倒をみる機会があり、千明くんもその一人として大学合格を人生の目標のひとつに加えた。

しかし「旅とスキーの生活」から離れ、自営業か一人でできる仕事を模索していた千明くんにとって、受験勉強に集中できる時間の捻出はなかなかに厳しいところもあったに違いない。僕との違いはそんなところにあった。酒屋商売は自営業であり、仕事柄夕方から忙しくなる職種だ。それに、閉店後の自由時間もある。一日の中で、受験勉強に充てる時間は自分が工夫すれば4時間から5時間は取れたし、実際にそれ相応の時間を割いていた。

千明くんの大学受験挑戦の結果を、あっさりと書けば「不合格」であった。残念ではあったが、付き合っていく中で感じた千明くんの「失敗しても、そんな結果を糧にしてしまう逞しさ」を把握していた僕は、無責任に、それからの彼の人生の心配はそれほどはしなかった。

その一年くらい後、千明くんは「信也さんと由理さんに紹介したい女性・アキコさん」を連れて、8人ほどの友人を招いた我が家のホームパーティに参加した。「しっかりした女性」がアキコさんに対して抱いた僕の第一印象だった。招待した友人たちが帰ったあと、パーティの後片付けをしながら由理くんが言った。「千明くん、あの人と一緒になったら心配あらへんね」

僕も同感だった。小さなことにこだわらなそうな聡明さを、アキコさんの中に感じた。この女性は、意味のない社会的地位になど囚われないだろうなと。ずっと後になって知るのだが、アキコさんのお兄さんは日本の最高学府の大学を出て「M学園問題」に深く関わっているジャーナリストであり、その世界では知らない人がいない方だ。「世間の常識」的には、高校卒業の学歴で職業が定まっていない千明くんを生涯の伴侶としては選ばないであろう。

千明くんとアキコさんは、1996年10月に結婚をする。家庭を持った千明くんは、持ち前の明るさを失わずに「必死に生きていく」。産業廃棄物の仕事を個人的に始めようとトラックを購入したり、紙オムツの仕事をかじったり、オフィス街での移動お弁当屋さんを始めたりするが、いずれも今一つ上手くいかない日々が続く。

そんな「弟分」の懸命ながらも、もがく姿を見ていた僕は、アドバイスにもならないかもしれない、しかし正直な僕の気持ちを伝える。

「ヤクザ組織の中で言うなら、千明くんは『若頭』の位置がピッタリだな。生意気なところも大いにあるオレと違って、組織の上のものにも可愛がられる素直さがあるし、下の者に対する気遣いもできる。自分に責任がかかってくる自営業でやっていくより、小さめな組織に入った方がいいな。千明くんなら、好きな事を言ってもかばってくれる上司ができるよ。そこで光ることが似合っているよ」

僕の言葉を信じてくれたのか、千明くんは縁あって、産業廃棄物を主に扱う中規模の会社に入社する。「若頭」の位置などではなく、ぺいぺいの平社員の地位として。

・・・続く

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