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No.234 来日ライブコンサート備忘録 ロック、ポップス編(1)ボブ・ディラン初来日、ライ・クーダー、ケニー・ロギンス、オーティス・クレイ

No.234 来日ライブコンサート備忘録 ロック、ポップス編(1)ボブ・ディラン初来日、ライ・クーダー、ケニー・ロギンス、オーティス・クレイ

惹かれる映画、手に取る書籍、好みの美術作品、舌鼓打つ料理、演じるマジック、他の趣味娯楽同様、聴く音楽のジャンルも「雑食」と言える。本棚に並ぶLPレコード、CDはロック音楽が中心ながら、クラシックやジャズ、シャンソンからファド、ラテン音楽やアフリカ音楽、日本のフォークや津軽三味線にまで広がっている。

noteの相互フォロワーのShimamura, T. 島村徹郎さんの音楽に対する知識・好奇心、特に日本人には馴染みの薄いアジアやアフリカ、そしてラテンアメリカ地域の音楽紹介には、大変刺激を受けている。有難いことにSpotifyやYouTubeなどのリンクも貼ってあるので、日々の生活のバックミュージックとして楽しみ、触れたこともない大地の感触を想ってもみる。

こんな経緯もあり、久しぶりに来日ミュージシャンの音の中に身を置きたくなり、誰か来日予定はないかとネット検索をしてみた。ここ数年のうちで気に入ったアメリカの歌手ノラ・ジョーンズのコンサートのチケットが取れて、昨年の10月、こちらの塾の卒業生のケイタくんと共に、武道館のステージ左側の2階席で、ポップス色もある彼女のジャージーな音楽を楽しんだ。クラシックとボブ・ディラン以外の大きな会場での来日ライブ鑑賞は、1990年のローリングストーンズ以来32年ぶりのことだった。

音響機器の発展に因るものだろう、反響が酷いなど悪名高かった武道館の音も随分と良くなったものだ。もっとも、狭い上に薄っぺらい敷物の椅子の座りごごちは、お世辞にもいいとは言えず、これも大会場での音楽鑑賞から足が遠のき、「ブルーノート」や「銀巴里」などの小さなライブ会場や、贅沢な時空間を味わえる「サントリーホール」などに惹かれていった原因の一つだったかと思い当たる。

酒屋商売、塾経営と夕方以降に忙しい仕事に従事してきた関係で、コンサートやライブに足を運ぶ日時は限られていた。18時くらいに仕事の引ける職業に就いていたなら、音楽に限らず演劇などの様々な生の舞台に、もう少し足繁く通ったかも知れない。ここでは、クラシックとジャズを除いた、主にロックの分野になるが、直に触れた来日ミュージシャンの思い出に軽く触れてみる。会場や当時の料金など分かる限り記してみると、早くも隔世の感を覚えてしまう。来日ライブパンフレットやLPレコードの収納場所から「僕の本棚より(12)」のサブタイトルもつけておこう。

01)ボブ・ディラン Bob Dylan 来日公演 1978年2月20日〜3月4日

敬愛するボブ・ディランの初来日。東京武道館公演8回、大阪3公演、当時としては画期的な公演回数の多さであった。初日を含め武道館で4公演、全てアリーナ席前方で、お世辞にも良好とは言えない大音量の洪水を浴び続けた。12月の寒空の中、銀座ソニービルの前、夜を徹してとったチケットの経験や、ディランのサインをゲットしたプチ自慢話は、No.027 No.028で触れている。この二つの記事は書き直そうかとも考えているし、初来日公演を含めたボブ・ディランの思い出は別の記事で、熱く語るつもりだ。
1978年2月20日 日本武道館  S席4500円 アリーナC列42番
1978年2月21日 日本武道館  S席4500円 アリーナF列61番
1978年2月23日 日本武道館  S席4500円 アリーナE列34番
1978年3月 1日 日本武道館  S席4500円 アリーナE列42番

02)ライ・クーダー Ry Cooder 1978年4月 東京4公演

LP「チキンスキンミュージック」が気に入っていたので足を運んだ。連れ合いの由理くんは、そんなに好きじゃないとの事で、珍しく一人きりでちょっと寒さも感じる会場に座っていると、僕に倣ったわけでもあるまいが、ステージにライ・クーダーもアコースティックギターを抱え、一人きりで静かに椅子に座った。「チキンスキンミュージック」からの曲はひとつも歌わず、ライブの最後までライ・クーダーだけのソロコンサートで、いささか拍子抜けした思い出が残った。小さな会場で音響が良く感じたのは、武道館と比べれば当然のことだったか。
キューバ音楽を紹介した「ビエナブスタソシアルクラブ」など、その後のライ・クーダーの更なる活躍は妙に嬉しかった。
1978年4月14日「Alone on Stage」虎ノ門・久保講堂 S席3000円

03)ケニー・ロギンス Kenny Loggins 1979年11月 名古屋・大阪・東京3公演

LP「ロギンス&メッシーナ」が、それなりに楽しめた。ケニー・ロギンスがジム・メッシーナと袂を分ちソロ活動に入り、大ヒット曲「フットルース」はまだリリースされていなかった。特に感動することもなく、ライブの最後に聴衆に斉唱を促したが、そもそも好きでないあり様で、一緒に行った連れ合いの由理くん共々全く乗れなかった。
1979年11月13日 中野サンプラザホール


04)オーティス・クレイ Otis Clay 1982年4月 長崎・福岡・大阪・京都・名古屋・東京2日・旭川・札幌

ソウルミュージック界の大物O.V.ライト公演延期に伴い、急遽来日の運びとなったオーティス・クレイの初来日1978年ライブの様子を、音楽評論家の中村とうよう氏が朝日新聞のコラムで触れていた。曰く「私がこれまで観てきた来日ライブの中で、最高のものであった」と絶賛していたのには驚かされた。少ししてから発売されたLP「LIVE!OTIS CLAY 」は、何度も何度もターンテーブルに乗せられる僕の愛聴盤となった。

最初のライブの好評もあったのだろう、1982年の来日は全国を巡る公演で、かなりの期待を抱いて東京芝公園にある郵便貯金ホールの後方座席で、由理くんと共にライブの開始を待った。幕が上がると、小柄なサングラス姿の男性がバックミュージシャンを従えるようにステージ中央に現れ、身体を後に反らし、前に倒しながらテナーサックスを吹き始めた。程なくオーティス・クレイが登場して、汗が迸る熱き歌の洪水の始まりだった。期待を裏切らない、まさに熱唱の渦の中、由理くんと共に「いいねえー!」と盛り上がった。

何曲目だったか、上着にまで汗が染みついたオーティスが「Precious, Precious〜」と歌い始めると、会場の熱気が高まり、何人もの聴衆が通路を走り抜け、ステージ付近に殺到した。僕も由理くんを置いて、皆に負けずとステージに向かおうとした。その時、係員が数人ステージに上がり、オーティス・クレイもステージ横にさがった。会場の熱気に反するような冷静な声「みなさん席にお戻りください。コンサートを一時中断いたします」と放送が流れ、バンドのメンバーもステージを去った。

聴衆は仕方なく渋々と席に戻り、数分後にライブは再開されたのだが、熱気の一部は使い果たされたのか、全体としてはLP「LIVE!OTIS CLAY 」を超えるステージにはならなかったが、忘れられない一夜となっている。過去のライブコンサート一覧表を作る過程で、オーティス・クレイは2016年、73歳でこの世を去っていたことを知った。合掌。
1982年4月23日「Japan Tour '82」郵便貯金ホール S席3000円 1階28列36番

・・・続く


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