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No.149 大学を目指す歩み(5)ライバル藤ノ木くんとの出会い・その1

No.149 大学を目指す歩み(5)ライバル藤ノ木くんとの出会い・その1

No.123 大学を目指す歩み(4)トフルゼミナールとの出会い の続きです)

美大生ナオエさんを通じて知ったトフルゼミナール高田馬場校に通い始めたのは、1990年12月のことだった。のちに上智大学比較文化学部で学び舎を共にする20年ほどの年の差の若き友人たちとは、ここで既に顔馴染みとなっていた。ヨシカズくん、二人のヨシユキくん、ヒデトシくん、ノブミツくん、マサカズくん、アイちゃん、スミエ、ヒサト、セッちゃん、マリサ、ジュン、キョウコちゃん・・・みなの高校の制服姿や重いカバンを持つ姿が今でも目に浮かぶ。

土曜日のSAT対策クラスは、割合と広い教室に、彼・彼女たち30名強の大学受験生がホワイトボードに向き合う授業形式で、僕はいつも左側の最前列に席を取っていた。のちに知ることになるが、年上でそれなりにオシャレな僕はかなり目立っていたそうだ。休憩時間でのおしゃべりなどを通して親しくなり、何人かは自宅に呼んで一緒に食事などもした。

土曜日と対照的に、水曜日夜のクラスは小ぶりの教室に6名前後の生徒が「U字の形」に座り授業を受けた。机のこの配置は、生徒同士が向き合うので、お互いの年齢やら英語の実力を自然と推し量ることにもなる。

ある日の授業で、僕の向かいに座った若者はここでは珍しく大学生かと思われた。彼の話す英語は、子音よりも母音が目立ち抑揚も少ない「高低の言葉」で、基本的に「強弱の言語」である英語のアクセントに欠ける、それ故か木訥(ぼくとつ)で誠実さが感じられる典型的な日本人英語と言えた。

リスニング問題のパートの答え合わせをすると、その「木訥な彼」は、自分の答えが間違っている時なのか、軽く頭をひねることが多かった。一方で文法問題のパートで間違えることは少なかった。日本語でも、文節で区切るように話す独特の言葉の間合いは、誠実な彼の人柄が表出しているようで好ましく、すぐに声をかけてしまった。

埼玉県出身の藤ノ木ヒロシくんは「M大学を卒業後、日本の会社に就職するのは自分に合わないと思い、アメリカの大学に進むためにTOEFLの高得点スコアが必要」とのことだった。TOEFL対策を始めた時期や、TOEFLを一度だけ受けその得点と目指す得点など共通項が多かった。

藤ノ木くんは日本の大学受験を乗り越えたせいか文法問題パートが高得点でリスニングパートが弱点だった。一方僕は文法問題が好きではなく、特に「間違い探し」は苦手で、若かりし時の不勉強がここにきて露呈してしまっていた。二人の間で、そんな違いはあったが「藤ノ木くん、お互い励まし合いながら得点を競わないか?ライバルとして」との僕の提案には、「ああ、それ、いい、ですね。やって、みましょう。小野さん。光栄です」と答えてくれた。にこやかに訥々と一語一語繰り出す藤ノ木くんの言葉の中に、意志の強さを見出し、爽やかな若者と出会えた幸運に感謝した。

この当時、TOEFLのテストはほぼ毎月都内のあちこちで会場テストが行われていた。新宿駅でライバル宣言の握手をして、次の月のテストで勝ったほうがラーメンをご馳走になる約束を交わした。彼の笑顔の中に「ありがとうございます。ラーメンいただきます」との匂いを感じたのは気のせいだったか?

・・・続く

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