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No.186 旅はトラブル / オランダ・アムステルダム&イングランド・コッツウォルズ訪問ひとり旅2012(15)コッツウォルズは僕の人生観を変えるのか?

No.186  旅はトラブル / オランダ・アムステルダム&イングランド・コッツウォルズ訪問ひとり旅2012(15)コッツウォルズは僕の人生観を変えるのか?

No.184の続きです)

アムステルダム・スキポール空港を10時20分に飛び立った飛行便は、ロンドン・ヒースロー空港に向かっていた。全くと言って良いほど下調べをしないで訪れた地ではあったが、五日連泊したホテルオークラの居心地の良さも手伝って、オランダの首都アムステルダム市内を中心にした観光は大いに楽しめ、いつの日か再び訪れたい都市の一つとなった。

「クレラーミュラー美術館」(No.169)「ゴッホ美術館」(No.184)を再び訪れる想いや、数年後に改装なる「アムステルダム国立美術館」(No.157)の真新しい壁に掛かるレンブラントの「夜警」やフェルメールの「牛乳を注ぐ女」の一層の輝きや、訪れることが叶わなかったマウリッツハイス美術館の「真珠の耳飾りの少女」のターバンの青の深さを推し量っていると、機内の放送が間もなくヒースロー空港に到着する旨を告げ、僕の気持ちも次の訪問地イギリス、大英帝国へと移っていく。

イギリスを訪れるのは初めてで、二十代の時に三度訪れたハワイ(No.020)以来の「英語を母国語とする国」への入国である。搭乗前に飛行機の時刻表を見ると、スキポール空港を出るのが10:20で、ヒースロー空港到着が10:50となっている。単純に引き算をすると30分だったので、オランダとイギリスってそんなに近いのかと思ったのが間違いで、二つの国には1時間の時差があるため、実際の飛行時間は1時間30分であった。

日本語での国名「イギリス」の正式名称は「グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国」であり、英語では「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」である。グレート・ブリテン島が、イングランド、ウエールズ、スコットランドの3つの行政区分で分けられ、アイルランド島の北の一部が、北アイルランドと呼ばれ、この4つの地域で「イギリス」を形成している。中学高校の地理のテストのために、この長い正式名称を記憶した方もいらっしゃるかもしれない。

ちなみに北アイルランドを除いたアイルランド島と周辺の島々が「アイルランド共和国」である。歴史を振り返ると「イギリス」と「アイルランド」の間で紛争は多く、僕の大好きな映画のひとつ、デビッド・リーン監督作品「ライアンの娘」(No.003)は、この両国の人々の一般的な感情の上に成り立つ人間ドラマである。

イギリス訪問とは言っても、「イングランド・コッツウォルズ地方」四泊、帰りの飛行便の都合でロンドン一泊の予定であった。なぜ、コッツウォルズに惹かれたかの話はnote記事No.148から、コピー&ペーストさせていただく。

『ジュンク堂の旅行本コーナーに足を運び、写真の美しさやお洒落な雰囲気が気に入り「Figaro Japan Voyage フィガロジャポンヴォヤージュ」を数冊購入して、空の青さの深さを推し量り、街の香りを嗅ぎ取ろうとして、未訪の地への想いを膨らませた。そう、旅の高揚感は準備の段階から始まっているのだ。

購入した「フィガロ」の一冊「イギリスの田舎町へ」を見て、イングランド中央部「羊の丘」を意味する「コッツウォルズ」地方に惹かれた。古い田舎の街並みを残す村が数多くあり、ガーデニングを愛するイギリス人が退職後の住まいとして憧れる土地らしい。築300年とかの建物を利用したり、かつての豪商の屋敷を改装したホテルなども魅力に溢れていた。』

「フィガロ」の「コッツウォルズ」の箇所に紹介されていたのが、テットベリー、ペインズウィック、ストォオンザウォルド、ロウアースローター、レイコック、バースの六つの村だった。帰国後に調べてみると、一般に知られるバイブリー、カースルクーム、チッピングカムデンなどの村が掲載されておらず、実際に僕が2日間滞在したテットベリーは、コッツウォルズ観光の主要な村とは言い難いようでもあった。

まあ、典型的な観光地巡りを避ける傾向の僕の旅には「フィガロ」の選択肢が合っていたとも言えたが、帰国後に見た未訪の村々は、写真とは言え、微妙に違う美しさがあり、旅の前にもう少し詳しく調べても良かったかなと思えた。翌年の「フィンランド・ヘルシンキとラトビア・リガへの旅」では、少しばかり宗旨替え(No.180)をして、何冊かのガイドブックを購入してしまったことを白状しておく。

できたばかりのオランダ・アムステルダムの思い出に耽り、まだ見ぬコッツウォルズの村の静謐さを想っていると、飛行機は雲を切り裂き下降を始め、程なくこれといった特徴もない滑走路が窓の外に見え、飛行機は止まった。

入国検査や税関手続きがどんなだったかなど、まるで記憶に残っていない。気持ちは派手な黄色の文字「Hertz」を探すことに集中していたせいか、ヒースロー空港の印象も薄い。「Do you have anything to declare? 申告するものは何かありますか?」などの英会話教本の典型的な質問を受けたのだろうか。

「Rent-a-car」の表示に従って歩いて行くと、そこは事務所ではなくいくつかの会社の案内板があるだけだった。「Hertz」ハーツレンタカー会社の案内板を見ると、シャトルバス乗り場に行くよう支持されている。海外で何度かレンタカーを借りてはいたが、シャトルバスに乗って事務所に行くのは初めてだった。不安になるより、こんな事にもうきうき出来ることが嬉しい。

建物の天井が続く薄暗い通路を歩いて行くと「Hertz」の文字が車体の横に書かれた小ぶりなバスが止まっていた。ドライバーがバスの横に立っていて、僕と目が合った。ホテルオークラでプリントアウトしてもらった紙を見せると、軽くうなづいてくれた。トラベルケースと共にバスに乗り込むと、三人ほどの先客がいた。2、3分もするとバスはゆっくりと発車した。ここまでは英会話教本の例文要らずだった。

バスは10分ほど走っただろうか、事務所まで結構遠いなとの印象が残った。少しだけ待たされた後「Mr. Ono」と呼ばれた。ホテルオークラのスタッフの完璧な仕事ぶりのおかげか、ここでも最小限の英会話で事を運べた。もう少しトラブらないと僕の「旅」らしくないな、など思えた。無いものねだりも甚だしい。

僕にあてがわれた車は、Fordフォードだった。東京での愛車プリウスより、一回りほど大きく運転席も高く感じた。ナビシステムが不安だったので、操作方法を大柄な事務員に一通り聞いた後で、この日の宿泊先テットベリーのホテル「The Close」を登録するよう頼んだ。すると、彼はこれを登録するのが簡単だと郵便番号を入れた。日本のカーナビで郵便番号を入れる機種はおそらく無いと思う。所変われば品変わるである。

ロンドンからコッツウォルズの村テットベリーまで約160km、東京板橋からいわき市の実家までの距離約200kmよりは短い距離だ。2時間半も走れば到着しそうだ。イギリス人が老後に住む憧れの地コッツウォルズを目指し、慣れないFordのアクセルを慎重に踏んだ。

どこかの本で読んだ言葉がふっと体の何処(いずこ)からか顔を出した。「日本人は日々の暮らしに忙しずぎる。イングランド・コッツウォルズの村に三日もいれば、人生観が変わるだろう」

そうだ「フィガロ」よりもずっと以前に読んだ本の中に書かれていた一節だ。誰かのエッセイだったか?思い出せない。コッツウォルズ滞在四泊は僕の人生観を変えるのだろうか?僕は人生観を変えたいと何処かで思っているのだろうか?「The answer, my friend, is blowin’ in the wind その答えは、友よ、風に舞っている」Bob Dylan ボブ・ディランの声もどこかから聞こえてきた。

・・・続く

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