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No.142 旅はトラブル / イタリア再訪ひとり旅2010(8)フィレンツェ探索&バックパッカーの若者との出会い

No.142 旅はトラブル / イタリア再訪ひとり旅2010(8)フィレンツェ探索&バックパッカーの若者との出会い

No.141の続きです。また、以前の記事の大幅書き直し・書き足しです)

カーテンの隙間から漏れる一条の光が、ソファの上に無造作に置かれたネクタイを刺していた。軽く頭を振ってみても、前夜「リストランテ・アッレ・ムラーテ」で振る舞われた「当地自慢のフルーツワイン」が悪戯(いたずら)するような重みもない。

フィレンツェプチホテル「Relais Uffizi ルレ・ウフィツィ」の朝の小さな食堂を訪れると、5組ほどのカップルで意外な賑わいだった。ここに唯一の東洋人で「お一人様」の僕が加わった。チャバタ、ロゼッタなどイタリア産のパンの他にトースト、クロワッサンも揃っていて、卵はゆで卵以外は注文する必要があった。ドリンクジュースも4種類ほど用意されていて、プチホテルながら中々の充実ぶりを示すラインアップであった。

チャバタ、ロゼッタ、クロワッサンいずれも美味しく、目玉焼きとベーコン、ハム、サラダをそれぞれをしっかり味わい、今日のフィレンツェ街歩きのエネルギーを確保した。

先に朝食を終え、ホテルの窓辺から外を見ていたカップルから「トレビアーン!」との言葉が発せられ、ほどなく窓辺から離れていった。朝食を終え窓辺から外を見てフランス人らしき二人を真似て「トレビア〜ン!」か「あら〜、素敵〜!」と日本語で感嘆の言葉を発するところだった。

ヴェッキオ宮殿、ウフィツィ美術館、ネプチューンの噴水などが集まる「シニョリーア広場」が、カフェの鮮やかな色のテントやグレーの石畳などを従え眼下に広がっている。大好きな映画の一つ「Metero わが青春のフロレンス」マッシモ・ラニエリ演じる主人公サラニ・メテロが労働紛争と家族間の問題に疲れ、夜を明かしたのがこの広場だったことが思い起こされた。

シニョリーア広場の横道を入り、さらにアーチをくぐる細い道に入り口がある「ルレ・ウフィツィ」は、狭い所にはいり込んでいくあのワクワクする感じを否応なく抱かせる迷路の中の静謐なホテルで、意外な華やかさも持ち合わせていた。

今日のフィレンツェ探索はまず「ウフィツィ美術館」から始めよう。手にはデジタルカメラだけ、ポケットにはクレジットカードと僅かの現金、ハンカチとティッシュ、パスポートのコピーだけを携えていた。携帯電話は必要ないし、ガイドブックも地図も持たない。前の日の長いフィレンツェ街歩きで頭の中の地図だけで十分だった。

迷路の中から乾いた風が吹き抜けるシニョリーア広場へ出てほんの1分ほど歩き、開館前30分のウフィツィ美術館入り口に着いたが、すでに30人ほどの行列ができていた。気ままな「ひとり旅」急ぐわけでもない、前売りのチケットも購入していなかったので、行列の最後尾に並ぼうとすると、ほとんど同時に東洋人と思われる二人のバックパッカーの若者二人が僕の前に並んだ。

二人の顔は共に赤く日に焼けており、旅に入って一週間は経っているかなと思わせた。髪を短くして目がギョロリとした一人の若者の背中の荷物は特に大きく、彼の頭一つ上までに達していた。もう一人の若者は涼しげな目元にちょっと伸び気味の髪型で、標準的な大きさではあるがパンパンに膨れたリュックを背負っていた。

1990年の最初のイタリア訪問で髪の黒い東洋人らしきバックパッカーを見たならば、まず日本人と考えただろうが、2010年のこの時の「東洋人バックパッカー出身国当てクイズ」の選択肢は広がっていて、日に焼けた顔からクイズの正解を導く自信はなかった。

軽装の僕と対照を成す二人の若者は疲れからか、軽くため息をつき、足元に背中のリュックをドサっと下ろした。行列のコンクリートの道が軽く揺れたような気がした。二人のため息も出身国は表さなかったが「混んでるなあ」との言葉を聞けば、クイズにもなりはしない。

「日本人だったんだね」若き友人タカマサくん言うところの「見境なく声をかける人・しんや」の始まりだった。(ちゃんと人見て話しかけています。彼は信じないでしょうが)「あっ、そうっす」そこから自己紹介やらの、行列の退屈しのぎの雑談が始まった。

「オレの名字は『小野』、名前は『しんや』」「オレ『佐藤』です」「『田中』です」言い終わるや三人とも笑った。思いは同じだった。「3人ともありふれた名字
だなあ、やっぱり名前教えてもらえる?」「ジュンヤです」「ヒカルって言います」

二人は旅先のユースホステルで出会い、一緒に行動しているとのことだった。やはり偶然出会ったもう一人、ツバサくんとフィレンツェの駅で、10時30分に待ち合わせていると言う。3人それぞれが旅の日程も訪問先も違うが、たまたま何日間か一緒で「旅は道連れ」のことわざを地でいっていた。

ウフィツィ美術館の開館時間が迫っていたが、入場まで時間がかかりそうだったし、イタリア最大の美術館にしてルネサンス芸術の宝庫の鑑賞時間は最短でも30分は欲しい。ツバサくんと会ってからウフィツィ美術館に出直す方が良さそうだと提案して、二人もそのようにすることになった。

「ヒカルくん、ジュンヤくん、何かの縁だね、今晩一緒に夕飯どうだい?ご馳走するよ」顔を見合わせる二人、目の前の気さくに話しかけてきたこの人、実は怪しい組織の一員だったのか、とでも思ったかもしれない。「大丈夫だよ。あなたたちに麻薬なんか運ばせないよ」

二人がキツい冗談と取ったか、ヤクザ組織の巧みな陽動作戦と思ったかの確信は持てなかったが、泊まっているのがすぐ近くの「ルレ・ウフィツィ」であることを告げ、携帯番号の交換をして、7時を目安に電話で連絡を交わすことを約束した。「ではまた夜に会おうね」駅に向かう二人の後ろ姿を見送ると、入場を待つ列が動き始めた。

やはりボッティチェッリの「ビーナスの誕生」と「春」は凄い絵だった。異常なほどの色彩の美しさで、イタリアモダンの色彩の大胆さは、イタリアルネサンス絵画の歴史の上に成り立っていることを如実に物語っていた。ラファエロやフラ・アンジェリコをはじめ、うんざりする程の収蔵品の膨大さであった。

フィレンツェの中心赤いドーム屋根のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、独特の外観を持つサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の華麗な内装に魅了され、観光客で賑わうヴェッキオ橋を渡って入った路地の静けさに心打たれ、アカデミア美術館内に立つミケランジェロの大傑作「ダヴィデ像」に圧倒され、街歩きの最後にシニョリーア広場の彫刻群に迎えられて、ホテル「ルレ・ウフィツィ」への迷路の道に戻った。

ホテルのフロントの椅子に座るケイコさんに、若者二人と出会いディナーをご馳走する予定を話し、気さくに食事のできるトラットリア(日本語での「食堂」に近いレストラン)のお勧めを尋ねると、ホテルから徒歩5分程度のお店「Yellow イエロー」の名前が上った。念のため席を頼んでおきますとのケイコさんの嬉しい手助けに安心して部屋に戻り、ベッドに横になって作ったばかりの思い出に浸った。

「だいぶ歩いたなあ『ダヴィデ』が一番の好みかなあ、いや『春』の色彩と構図も凄かったなあ」思っているうちに睡魔が襲ってきて、溶けていく意識の中で「バックパッカーの二人からの電話で起こされるかな」とぼんやりと思った。

はっと目が覚めて部屋の時計を見ると6時半だった。少し不安になり、昼間に聞いたジュンヤくんの携帯番号に電話を入れてみると、呼び出し音がすぐに切れてしまう。ヒカルくんの電話も同じだった。海外に来ているから起きている現象かどうか分からなかったが、向こうからの電話でも同じかもしれない。

こちらを「怪しい人物」と判断しての無視を決め込んだ可能性もある。二人からの連絡を待つしか方法もなく、7時を少し回った。トラットリアの予約の取り消しをしなければならないな。

・・・続く

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