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No.164 若き友よ!(7)千明くん / 刺激を与えてくれる弟分・その3

No.164 若き友よ!(7)千明くん / 刺激を与えてくれる弟分・その3

(始めの四段落は記事No.163の最後の部分と同じです)

千明くんとアキコさんは、1996年10月に結婚をする。家庭を持った千明くんは、持ち前の明るさを失わずに「必死に生きていく」。産業廃棄物の仕事を個人的に始めようとトラックを購入したり、紙オムツの仕事をかじったり、オフィス街での移動お弁当屋さんを始めたりするが、いずれも今一つ上手くいかない日々が続く。

そんな「弟分」の懸命ながらも、もがく姿を見ていた僕は、アドバイスにもならないかもしれない、しかし正直な僕の気持ちを伝える。

「ヤクザ組織の中で言うなら、千明くんは『若頭』の位置がピッタリだな。生意気なところも大いにあるオレと違って、組織の上のものにも可愛がられる素直さがあるし、下の者に対する気遣いもできる。自分に責任がかかってくる自営業でやっていくより、小さめな組織に入った方がいいな。千明くんなら、好きな事を言ってもかばってくれる上司ができるよ。そこで光ることが似合っているよ」

僕の言葉を信じてくれたのか、千明くんは縁あって、産業廃棄物を主に扱う中規模の会社に入社する。「若頭」の位置などではなく、ぺいぺいの平社員の地位として。

起業とその挫折、結婚、そして会社への就職と30歳を挟んだ前後数年間を振り返り「本当に必死でしたね、長男も産まれたし。母の教えと信也さんの言葉を胸に、ここで頑張るんだ、一生懸命働くんだって自分に言い聞かせましたよ」そんな風に千明くんは、入社当時を懐かしがる。

同じ頃、僕も酒屋商売から学習塾経営へと大きな舵を切った。お互いに新しい生活に忙しかったが、千明くんの奥さんのアキコさんが、僕の連れ合いの由理くんに魅了されたこともあり、機会を作り、たまに会っては近況報告をしたり、年上の僕たちが偉そうに人生訓などを垂れたりした。千明くんとアキコさんは、二人の息子さんと一人の娘さんに恵まれる。アキコさんも、日々の家事に、やんちゃな千明くんも含めた「4人の子育て」にさぞや忙しかったであろう。

Sグループは1933年創業、中小企業にありがちな親族会社の側面もある。千明くんは、一途に仕事に邁進する姿勢と「人間力」で、上司たちの信頼を勝ち取っていき、入社数年で、同族会社の社長に抜擢される。2001年平成13年から施行された産業廃棄物関係の「家電リサイクル法」の追い風もあり、滝口千明社長就任後、会社の事業売り上げはなんと7倍となる。ぺいぺいの平社員から会社の中核の、僕の予想した『若頭』の立場へと階段を上がっていく。

「自分は最終学歴高等学校卒業です。大学は行けませんでした」と、会社の中で、そして仕事の交渉の時に、千明くんは明るく言い放つ。そして関係した人に一生懸命に向き合う。「信也さんから学んだんですよ。こんな『人たらし』の術(すべ)は」弟分のそんな嬉しい言葉に「ははは、それは千明くんの天賦の才だよ。オレは会社の中じゃそんなにできないよ」僕は、心の底からの正直な感想を返してやる。

千明くんは会社へも忌憚なく自分の意見を述べる。それに答えるようにSグループは、その後も意欲的に活動範囲を広げていく。海外からの学生の受け入れを行ったり、国際環境NGOなどと協力して環境保護活動などもしていく。千明くんは、ブロークンながらも、いやブロークンだからこそか、海外からの人たちと英語とスペイン語で力強く絆を深めていく。

ひょんなところから始まったアフリカ・ケニヤ共和国との産業廃棄物関係の話を、千明くんは逃さなかった。会社に直談判して、2014年には、Sグループのベンチャー事業関連の会社の代表取締役社長の座に就き、今に至る。外務省と交渉をして十数億円の国際支援を取り付け、高学歴を誇る外務省アフリカ関係の職員の中で、五つのプロジェクトを進める「滝口さん」の名前を知らない人はいない。

一方、家庭においても意欲的に生きていく。アキコさんの提案に従い、海外からの留学生を自宅に受け入れ、その数はこれまでに十数カ国のべ40人を超えている。千明くんのみならず3人の子供たちにもいい影響を与えていて、文法などの小さな間違いに囚われることなく英語で自分の主張を言えるまでになっている。

2年前だったか、板橋区大山の焼肉銘店「朱雀門」のテーブルを挟み、千明くんと向かい合って僕は座った。20数年前「フジヤ酒店」の奥の小さな事務所の机を挟み、二人で初めて親しく話した時(No.162)と同じような蒸し暑い夏の夜だった。千明くんはビールを、僕は「あの出会いと言える夜」を思い、キリンレモンを注文した。千明くんは気づいただろうか、僕のささやかなこだわりを?

最初の社長の座をなぜ自ら降りたかを尋ねた僕に、千明くんは答えた「初めから社長の立場は10年かなって考えていました。いつまでもその地位にいたら、次の人間がやりづらくなるし、僕自身も腐ってくるように思ったんです」

言わせてもらおう。いかにも僕が言いそうな、どこぞの政治屋に聞かせたい台詞は、僕から影響を受けたものと信じる。目の前の「弟分」に限りない親しみを感じた。

「千明くん、オレが予想した『若頭』の地位はとっくに超えたようだし、もはや年齢的にも合わないなあ。いつも爽やかな気分になるよ、千明くんと会って話すと。キリンレモン無くても爽やかだなあ〜。千明くんが思っている以上に、刺激をもらっているよ、ヤクザの『舎弟・弟分』からね」

いつものおちゃらけた僕の言葉に慣れている千明くんは笑って答えてくれた。
「信也さんの助言通りに人生を歩んできましたね。同族会社の社長の座なんて、まさにヤクザ組織の『若頭』ですよ。信也さんは、いつまでも刺激を与えてくれる『兄貴分』ですよ」

こんな軽口も僕から学んだのだろうか。二人、声を合わせて笑ってしまった。
いつの間にか、僕の笑い方が「弟分」の千明くんに似てきているような気がした。

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