仏教にもっと音楽を!(Ⅳ=海外では?)
***音楽の力を信じる方々へ***
海外(アジア圏)での仏教と音楽の関係 :
それは、
日本以上に進んでいるようでもあります
私たちはこのような仏教と仏教音楽との発展に
どのような貢献が出来るのでしょうか?
1.はじめに
日々の中で,私たちが目にする仏教に関連
するものは何でしょうか?
お寺、自宅のご仏壇、ご仏像、たまにお見かけする僧侶の方々、
お墓参りの時のお墓等でしょうか?
現代の私たちが仏教と接触する機会はそんなには多くはないようであります。
しかし、私たちは身近な人やそれほど身近ではなくとも知っている方が亡くなった等という事を知った時には,多くの場合死を通じて仏教やその関連のことを想起してしまいます。
仏教は私たちとは日常的につながっているというよりは、ある特定の事、つまり私たち人間の「死」に関するときに想起されるという関係にあるように思えます。
本来、私たちは生老病死の4つの苦を抱えているといわれているのです。
生老病死:
「生老病死」は、仏教の教えに基づく四つの根源的な苦しみを指します。具体的には次のような意味を持ちます:
生苦(しょうく):生きることに伴う苦しみ。
老苦(ろうく):老いることに伴う苦しみ。
病苦(びょうく):病気になることに伴う苦しみ。
死苦(しく):死ぬことに伴う苦しみ。
これらは人生において避けることのできない四つの基本的な苦しみであり、仏教においては「四苦」とも呼ばれています。人々はこれらの苦しみから逃れることなく、それを受け入れながら人生を歩んでいるのです。
しかし現代の私たちは、このうちの死に面したときに特に,仏教を想起している様であります。
本来、仏教は上記の四つの全て、つまり私たちの人生の全ての局面で,日常的に密に関係しているべきものであります。
しかし今日の仏教は私たちの生活とは必ずしも全般的に日常的に密接には関係していない実情が読み取られます。
そして最近では、仏教の組織には入らないが、座禅やマインドフルネスには興味を示す,若い方々が増えてきているように報告されています。
このことは日本だけの事ではなく米国や西欧などでも見られる傾向であるとの報告も見られます。
更には、ここ数年の間には日本でも、グッドアンセスターと言う考え方が知られるようになって参りました。
仏教が、もっともっと私たちの身近な存在にな
るためには、それに応える様々な内容が備えら
れていなければならないでしょう。
その有力な内容の一つが「音楽」だろうと思わ
れます。
その理由が,
これまでnoteに投稿致しました「仏教にもっと音楽を!(Ⅲ)」に述べましたように「音楽の持つ力」に由来するものでございます。
そのことをもう一度ここで申し述べさせていただきます。
ー ー ー ー ー ー ー
2.体験的な”宗教と音楽論”
私は富山県の小さな田舎の門前町で生まれ育ちまして、仏教が盛んな町にすっかり、馴染んでいました。
大学入学の時に初めて大都会「東京」に上京して参りました。
ここ東京は,田舎者の私にとっては、私が住み慣れた田舎とは全く文化が異なる別世界のような場所でありました。
そこにはすでに、ガスや水道が通っており人々はみんな文化的な生活を普通に展開されていたからでございます。
そんな中のである日、東京での生活が楽しく快適になり落ち着き始めた頃の、確か12月の寒い日の夜でした。
部屋で私が勉強している時の事でした。
外の方で複数の人びとのざわざわとした物音が聞こえてきました。
私が住んでいた所は、静かな住宅街で、その中でも車が通る道からもう少し入ったとても静かな場所でした。
こんな夜中に何だろうと思いながらも、無視していましたが、その内、何か人びとが歌い始めたのではないかと思われる音声が聞こえて参りました。
こんな夜中に歌うなんてと、思いながらも無視していましたが、やはり不審感が強まってきました。
そこで窓を少し開けて外を覗いてみました。
よく見ると、人びとは向かいの家の玄関前の少し広い場所に、手には何か灯り(ローソク)を持って立ちながら歌っておられるようでした。
そしてさらによく見ると、何とそこには7,8人ほどの男女の姿が薄暗い中に浮かんで見えました。
こんなにも多くの人が居たのかと思い、驚きながら何を歌っているのかともう少し窓を拡げて聴き入りました。
それは、私が今まで聴いた事もない知らない歌でありました。
ただ、男女の方々の歌声は意外にハーモニーが見事で、しばし聴き入っていたように思います。
その歌が終わったので、それで終わりかと見守っていると、再び歌う合図と共に別の歌を歌い始められました。
その歌はどこかで聴いた様な曲で、歌い進むにつれて私もそれが賛美歌であることに気がつきました。
その題名も知らないのに、賛美歌であることだけは分かりました。
以前にどこかのラジオ番組で聴いた事がある、記憶に残るメロディの素敵な賛美歌だったからであります。
このようにして、私もその美しい歌に聴き惚れたように没入してしまい、次々と歌われる曲に期待してしまっていました。
知らない曲も有りましたが、どこかで聴いたように思えた合唱曲を、生で聴いている事にとても興奮し満足し幸せな気分になっていました。
東京ではこんなにも歌で幸せになれる事があるのだと思い、その夜はなかなか眠れませんでした。
そして集まった皆様がキリスト教の教徒の方々であり,その家の人々もキリスト教徒であることに思い至りました。
考えて見れば、田舎ではお会いしたこともないキリスト教徒の方々が普通にいらっしゃる、味わったこともないおしゃれな東京ならではの経験をしたことにも興奮していたようでした。
それも見ず知らずの人びとの合唱をこっそりと聴いていただけなのに、その人達の合唱に心温まるような思いをするなんて、と田舎では感じた事も無いような不思議な体験をしたものだと思いながらやがて眠りに墜ちていったことを思い出します。
今になって考えて見れば、音楽の力はすごいなぁとただただ驚いていたようにも思われます。
しかもこの合唱では、多分歌っている方々の間には、一緒に歌うという行為によってある種の「絆」が生まれているかのように見受けられました。
その絆は、部外者である私を排除すること無く、むしろ私がその絆の中に取り込まれるかのような感情すら感じて引き込まれてしまっていた、と言うのが真相だったように思いました。
「絆」で結ばれた方々が個人の家の前で歌うという行為がなんと素晴しいことだろうと強く思いました。
これまでの短い人生の中で殆ど聴いた事の無いキリスト教の賛美歌を、このように目の前で聴いたことがとても信じられないくらいの大きな驚きを私に与えていました。
そしてそれを窓からそっと立ち聴きのように聴いていた自分も、いつしかその絆に引き込まれるかのように楽しんでいたことにも改めて驚いてしまいました。
きっと音楽には人びとを結びつけ沢山の人の心を惹きつける何かが潜んでいるのではないかとも思うようになりました。
そしてそのような力が今の仏教には置き去りにされている実情もある事にも思いが至りました。
もっと日常的な中にこそ、理屈だけではなく、
真の仏教の教えが伝えられる音楽が存在してい
る必要がある、と気がつきました。
どんな説法よりも、日常生活でのこのような力
こそが、私たちに必要なのではないかと思った
わけでございます。
次に、このような合唱等の音楽がどのような
モノであるかを、少し観察してみたいと思いま
す。
3.合唱(合奏)団さまの例を二つ見てみ ましよう
3.1 歌で世界平和を目指す合唱団
同じくnoteに投稿されている祇場駿矢様の記事を参考にしたいと思います。
歌で世界平和を目指す合唱団
この合唱団は歌で世界平和を目指していらっし
ゃる合唱団様です。
そのテーマであり名称ともなっているキー・ワ
ードは、
「レゾンナンス・ハーモニー」だそうです。
レゾナンスとは,共鳴・共振を意味する言葉
で、
皆様の合唱がそれを直接歌を聴いてくれた人は
もちろん、エネルギーレベルで地球全体にイン
パクトを与え得ると言う考えによるものだそう
です。
それによって地球全体に平和の力を及ぼそうと
の考えのようであります。
そのメカニズムはまさに合唱のレゾナンスによ
って人々の間に共鳴・共振を呼び起こしで行く
というもののようであります。
この合唱団様は2018年の結成以来、これまで
エジプトのカイロ、
ワシントンD.C.、
長野県白馬村、
トッパンホール(東京)、
フランスのパリ、
ストラスブール、
で公演を成功裏に行ってこられた大変ユニーク
な合唱団でございます。
2024年にも横浜みなとみらいホールの2千人収容の大ホールでのコンサートを予定されています。
そして今、世界の中でも人々の宗教離れが顕現
されて来つつある現在、私たちはどのように対
応すべきなのでしようか?
3.2 仏教と音楽との歴史からのもう一つ
それは、もう一つの音楽集団、
オーケストラ、
でございます。
実は、我が国では千年位前に既に、
藤原頼通の平等院の鳳凰堂では、
一大オーケストラを表現した極楽浄土の姿を実
現していました。
これをもう一度思い出して見ることも意義のあ
る事では無いかと思うわけでございます。
つまり千年前の仏教と音楽とのコラボレーショ
ンの原点に戻って考えてみることでもありま
す。
音楽は、私たちのあらゆる感情を表現してくれ
る魔法のような力を持っているのです。
私たちの「生老病死」に伴ういろいろな感情
(悲しみ・喜び・悩み・絶望等々)を、音楽以
上に表現できるものはありません。
言葉だけで表現できないことも、音楽ではより
深く私たちの心・魂に訴えてくれます。
私たちの信仰心を揺さぶるような深みのある音
楽は、どのような言葉でも表現できるものでは
ありません。
これが、
「仏教にもっと音楽を!」
シリーズを投稿し始めた最大の理由でもありました。
次に日本以外の国々での仏教音楽についても見てみたいと思います。
4.アジアでの仏教音楽
これからは外国での仏教と音楽の現場はどのよ
うになっているかを、文芸SNSとも言われる
note(note.com)に、
白井千彰さまが投稿されていた記事を元にご紹
介させて頂きます。
更にご興味のある方は、下記引用箇所から直接
お読み頂くことをお勧め致します。
白井千彰さまによると、
南方中国人世界(台湾、シンガポール、マレー
シア等)の国々で発達していて、
我が国にほとんどないのは、
佛教[仏教]ポップスの音楽の世界であるとのこ
とです。
ここでは、仏教の言葉が中国語でもある事から、仏教の中国語がそのまま楽曲の歌詞として活用できる利点が生かされているようです。
(もちろん、梵語【ぼんご】(サンスクリット)の歌もあるようですが、本稿では主に中国語のものをご紹介致して参ります。
[ 仏教音楽の例 ]:::
経文[きょうもん]や念仏や佛教[ぶっきょう]等の文章・歌詞を土台にして、
・現代人が作曲・編曲をほどこし、
・現代の楽器で伴奏される中で、
・現代のスターたちがポップスとして歌う曲、
が人々の間に、沢山拡散されているのです。
曲調も音楽ジャンル的には、ポップス、演歌、童謡等とさまざまです。
ただ、その内容が仏教をベースにしていることが特徴と言えます。
更にその歌い手、歌手の豪華さにも特筆すべき点があるようであります。
歌手も、特定のお寺の住職や檀家ではなく、
その国で誰もが知っているような歌手:
例えば、日本ならば「NHKの紅白歌合戦」級の大物スターが歌うことも珍しくはないようです。
【例1】王菲と張智霖
例としてあげておられるのは:
王菲(フェイ・ウオン。おうひ。女性)さん、
と
張智霖(ジュリアン・チョン。ちょうちりん。男性)さん
のデュエットが挙げられます。
この二人は、現代風に編曲された
『般若心経』、
をデュエットで歌っています。
上記のユーチューブに記載されていますように、
心經 MV (演唱:王菲 張智霖)
として、長年(13年間)にわたり視聴されており視聴回数も19万回以上となっています。
『般若心経』の言葉がそのままポップス風に歌われていて違和感がなく、しかもそれで『般若心経』の内容の意味が人々に伝わる、と言うところが中国語圏での特徴だろうと思われます。
ある意味、限りなく日常生活に近い言葉そのままで『般若心経』が人々に伝わる、この身近さを感じさせる音楽こそが、この地方での仏教音楽の特徴であろうかと思われます。
歌手の方の菲(フェイ)の澄んだ声で、
「観自在菩薩[コン ジゾイ ポーサーッ]、、と始まる歌い方は、
「お経とは堅くて、古くて、渋いもの
という固定観念を持つ現代の我々日本人が、
聞き流せば、とても佛教音楽には聞こえない
でしょう」
と白井千彰さまも述べておられます。
またこの歌唱の感覚は、キリスト教の賛美歌な
どが、「はやり歌」としてのポップスとはかな
り明白な違いがあることに比較して、
この佛教音楽は宗教的曲調とは異なるものであ
り、通常のポップス音楽そのものでしかない、
と見られるかもしれません。
このことの是非については議論があるかもしれ
ません。(機会があればこの点についても別途
論じて行きたいと思っています)
【例2】林憶蓮と許志安
林憶蓮(サンディ・ラム。りんおくれん。女性)さん、
と
許志安(アンディ・ホイ。きょしあん。男性)さん
の二人が歌う
『阿彌陀佛心咒[あみだぶつしんじゅ]』
は、神秘的な雰囲気を持つ癒し系の曲です。
歌詞は、二人が梵語[ぼんご](サンスクリッ
ト)で交互に繰り返す、
「オン・アミデーワーヒ」
(アミデ=阿弥陀。 意訳:無量光佛[むりょ うこうぶつ]をたたえます)
だけの繰り返しで、他の言葉は一つも含まれてはいません。
阿彌陀佛心咒49遍 林憶蓮 許志安
【例3】孟庭葦(モン・ティンウェイ。もうて いい)
ポップス界で有名になり、ある年齢になってか
ら、佛教音楽中心に転身
した歌手も多いとのことです。
孟庭葦さんも、その一人で
その楽曲、
「遇見阿彌陀佛[ぐうけんあみだぶつ]」
(訳:阿弥陀さまに会いたてまつる)
の歌詞は、ずばり
「阿弥陀佛」[アミトフォ] と
「南無阿弥陀佛」[ナモアミトフォ」
のみです。
実はこのような単純な言葉の繰り返しだけの
曲も沢山公開されています。
遇見阿彌陀
白井千彰様のnote文章では、更に他のお話もいろいろ載っていますので、是非、本文にてお楽しみください。
【例4】その他の仏教音楽
これ以外の多くの仏教音楽の検索リスト例を記しておきます。
(1)Bing 動画Bing 動画
(2) Charlizechan2010 - YouTube
( 3 ) 最後に、
マレーシア出身の黃慧音(こうけいお
ん)さんは、
新世紀の仏教音楽の著名な作曲家、
と言われています。
黃慧音さんは2000年から仏教音楽の作
曲を始めた方ですが、例えば次のよう
な楽曲を初めとしていろいろ活躍され
ています。(次の楽曲は過去1年間で
140万回も視聴されているようです)
般若波罗密多心经~黃慧音最好听的经典版本,舒缓柔美 静心养心 愜意抒怀
https://www.youtube.com/watch?v=K0m0Hb8Hz4A&ab_channel=菩提音
どうぞお聴き頂きになって見てください。
ー ー ー ー ー ー ー ー
いずれにしろこの地域の仏教音楽により,
仏教とその音楽が一般の人々の日常生活の中に
深く入り込んでいるとも言えましょう。
5.次に日本における仏教音楽の現況につい てのまとめ
これまで西洋のキリスト教音楽やアジアでの仏
教音楽および平等院でのオーケストラなどにつ
いて概観して参りました。
私が当初感じたキリスト教音楽の魅力は、
その楽曲そのものの素晴らしさと、
更にそれを合唱するという事により、
合唱者の皆様の間に生まれた
複雑で密接な協力・協調関係や、
そこから派生する合唱者の皆様の間での「絆」
とが、
聴き手側にも伝わり、
元々の音楽の力とが相まって、
私たちの信仰心の強まりや、
信仰心の深み等にも、
大きな作用がある事が分かって参りました。
それは「歌で世界平和を目指す合唱団」様のレ
ゾナンスハーモニーとも相通じる音楽の力のよ
うでもあります。
次に肝心な日本における顕著な仏教音楽の例:::
これまでは、アジアでの仏教音楽についての現
況の一部を紹介して参りましたが、ここで我が
国日本での顕著なご活動の一部をご紹介致した
いと思います。
尚、この項は私個人の見解を述べるものでござ
いまして、業界での一般的な認識を現わすもの
ではありません。
日本でも、
歌う僧侶 薬師寺寛邦 キッサコさまの
般若心経に関わる複数の音楽動画が、
合計7500万回の視聴回数に
達したことが知られています。
【下部の(参考)をご参照ください】
歌う僧侶が歌うイマジン × 般若心経 [ジョン・レノン cover] (youtube.com)
その中でもビートルズのジョン・レノンの「イ
マジン」と言う楽曲を用いて、般若心経を唱え
る様子を捉えたこの動画だけでも、27万回の視
聴回数を超える人気を得ていることが特筆すべ
きことだろうと思われます。
ここでの般若心経は、もちろん南方中国人世界
での般若心経のように、中国語や梵語[ぼんご]
(サンスクリット)等ではなく日本語での漢字
表現のものでございます。
日本のお経で読まれるままの般若心経でござい
ます。
このように日本・外国での再生回数を比べて
も、特に多いのは般若心経に関するものが圧倒
的に多いようであります。
ただし、下部の(参考)にありますように、般
若心経が累計7500万回の再生回数を得たにも
拘わらず、実際には一般の人々にはあまり伝わ
っていないことが、現在の限界のようでもあり
ます。
また、寺院などでも仏教音楽が歌われたり、
そのコンサートで紹介されることはあります
が、
それらがマスメディアで一般の人々で知られ
たり,一般の前で紹介されることは、ほとんど
ありません。
少なくともキリスト教での宗教音楽(賛美歌な
ど)のような一般の人が歌いたくなる・聴きた
くなる音楽とは思われていません。
→→→→→→→→→→→→:::
従って、このような一般の人には伝わらない現
状こそが、私たちが取り組まねばならない大き
な課題であろうと思う訳であります。
そこで、次に挙げるような最近の動きに期待し
たいものだと考えます。
6.我が国での新しい動き
それは京都大学で進められているAI利用による
ブッダポットの開発等の動きであります。
その開発を推進しておられるのは、熊谷誠慈
こころの未来研究センター准教授、古屋俊和
Quantum Analytics Inc. CEOらの研究グルー
プです。
熊谷誠慈さんらは、これまでグーグルのBertを
利用した、経典を引用するだけのシステムを開
発されてきましたが、現在はその経典の解釈も
可能なシステムへとレベルアップされつつあり
ます。
ブッダポットなどのAI化が進むことにより、
私たちはブッダポットとの対話により、
直接仏陀のお話を分かり易いことばでお聴き出
来ることになります。
それは仏陀のお考え・お言葉・知識・行動の全
てがブッダポットに読み込まれ解釈されている
からでございます。
このようなAI化を進めることによる進化こそ
が結果的に、
仏教の一般への浸透につながるのでは無いかと
考えられると言うのです。
お寺さんを経由しないで、直接人々のもとに届
けられる仏陀のお言葉は、新しい仏教を切り開
く事になるのかもしれません。
仏教も仏教音楽も、一般の人々にどのように日
常的に伝えて行けるかがこれからの大きな課題
では無いかと考えられている訳であります。
(更に最近の研究では:
熊谷誠慈 人と社会の未来研究院准教授と古屋俊和 株式会社テラバースCEOらの研究開発グループは、
生成系AI「ChatGPT 4」と宗教を掛け合わせた新型チャットボット「親鸞ボット」と「世親ボット」を共同開発し、仏教対話AIの多様化に成功しました。
さらに、両ボットのAR(拡張現実)技術を開発し、宗教史を代表する仏教聖人ボットとのテキスト対話のみならず、視覚や聴覚を用いたマルチモーダル(多感覚的)なコミュニケーションもできるようになってきています)
7.まとめ:仏教音楽の創造に向けて!
以上のような流れの中で、音楽もそのような状
況に対応した一般の人々に受け入れられる音楽
へと変わらなければならなくなる事が予想され
ます。
そして、
両者が更に密な関係を保ちつつ、
車の両輪のように、
葬式仏教と言われることからの脱出を図り、
人々の人生での四つの苦の全てに対応出来るよ
うになることへの期待が高まってくることでし
よう。
このような現状を鑑みて言えることは、
先ずは新たな楽曲とクリエイターが生まれてく
る事が大切で、
更に、AIによる仏教の難しさの解消が進み、
人々の「易しい言葉による仏教理解」が進むこ
とが大切だろうと思われます。
その実現を祈るばかりであります。
それには出来れば、
●もう少し一般の人々の心に届く、
●易しい言葉で人々の信仰心を深め・高められ
るような楽曲も、
出てくることを期待して参りたいと想います!
今回の投稿では、近郊諸外国での仏教音楽の状
況の一部についてご報告致しました。
そして、これからの我が国の仏教と仏教音楽の
さらなる発展を期待しての、若干の見解・課題
をも述べさせて頂きました。
このような期待が出来るだけ早く花開くことを
祈りつつ、筆を置くことに致します。
長文、失礼致しました。
(参考):
フェースブックで扇 さや様が、
7500万回再生されている「般若心経」
を歌われた僧侶 薬師寺寛邦さんを紹介されています。
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