河童が海には住まない理由
河童は海には棲まない。
川や沼、ときに池などに出没する。
出没とはまさにその表現の通りで、誰も本当に見た者などいない。
なのに、誰もがその姿を知っている。
まったく奇妙な生物だ。
河童は水稲との関わりが深い。
だから淡水に棲むのだ。
河童は水神のお使いなのである。
頭の皿に水が張っていて、これが乾くと弱るとか死んでしまうとされる。
旱(ひでり)など、水枯れが起こると、水稲は枯れて死んでしまう。
つまり頭の皿に水をたたえて元気な河童は、順調な水稲の成長になぞらえられているのだろう。
肌の色が緑や青色なのは、成長する稲穂の色彩であり、ときに河童の肌が茶色いと伝えられるのは、稲の実りの色や、あるいは枯れてしまうことのあった稲の色から連想されたものだ。
水かきや甲羅は水鳥や亀などの特徴から派生した。
くちばしは水田に浮かぶ水鳥から連想された。
河童は、水田や水源に見かける様々な動物の特徴が寄せ集まった姿なのだ。
祇園信仰という伝統がある。
初夏に豊作と疫病封じを願う風習だ。
水稲農耕が川や沼、池などの自然水に頼っていた時代に、豊富な水量を得られるように、水源が氾濫しないように、また初夏からは疫病が流行しやすいことから病封じも同時に願われた。
これが各地で行われる祇園神への祈願だ。
京都の祇園祭も、これに由来する疫病退散の祭である。
祇園神、すなわち水神へは初物をお供えし、やがて川へ流す儀式があった。
初夏の初物として多くキュウリが流された。
河童のキュウリ好きは、こうして生まれた伝説だ。
河童は相撲が好きだとされる。
これも稲作神事に由来する。
相撲は本来、土地の神を鎮め、地の精力を呼び覚ます神事だった。
相撲によって覚醒した大地の精霊のパワーは稲を豊かに実らせるのである。
ちなみに河童は子供や馬などを川に引きずり込んで、尻こ霊(だま)を抜くという伝説は、川や沼などに落水して命を落としてはならないとの戒めから生まれた伝説である。
尻から魂が抜かれたと考えられたのは、水死した者の肛門は弛緩して大きく開き、ぽっかりと、そこから何かが抜かれたように思われたからだ。
こうして伝説をひもといていくと、稲作とともに社会を形成してきた日本人の、水源への親しみと畏れの感性が「河童」を生み出したといえるだろう。
河童伝説は、東北や九州北部の水郷地帯に多く伝えられている。
長崎市の諏訪神社はおくんち祭で有名だが、その境内には河童狛犬が鎮座している。
神を守る狛犬と河童が合体してしまうほど、長崎っ子には河童が親しまれている様子が伺える。
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