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パリ逍遥遊 お墓

 お墓詣りと言えば、1992年ウィーンで開催された学会で最優秀論文賞をいただいた時の賞金は1,000シリングだった。まだ当時の通貨はEuroではなく、オーストリアにシリングだった。1,000シリング、当時のレートで10,000円ほどだった。このお札の顔は、量子力学の骨幹をなす方程式、シュレーディンガー方程式の発見者であるエルヴィン・シュレディンガー、お札の中から「おめでとう!」と言ってくれたような気がした私は、アルプバッハにある彼のお墓詣りに出かけた。彼のお墓の墓標には、Ψの一事が記されていた。シュレーディンガー方程式のΨの意味が【大自然の奥底にひそむ整然とした秩序、それはもはや量子力学の確率解釈による統計法則として物語るほかない】ということを彼が語りかけてくれているようなお墓だった。

シュレディンガー

 フーコーの振り子の実験が実施されたことでも有名なパリ、パンテオンに眠る偉人と言えば、マリ・キューリーだ。夫であるピエール・キューリーと棺を二つ並べて眠っている。マリー・キューリーは、ソルボンヌ大学で女性初の教授となり、1903年にノーベル物理学賞、1911年にノーベル化学賞を受賞する。フランスとの結びつきが多いが、生まれはポーランド、ワルシャワである。マリー・キューリー(Marie curie)は、実はフランス語名で、ポーランドではマリア・スクウォドフスカ=キュリー(Maria Skłodowska-Curie)だ。
 1903年のノーベル物理学賞も1911年のノーベル化学賞の受賞理由は、ノーベル財団のオフィシャルホームページによると、どちらも「ポラニウムとラジウムの発見」だ。バリウムから純粋ラジウムを分離精製する事、さらにその原子量を計測することに成功する。この科学的発見は基礎科学にとどまらず、医療等イノベーションへとつながった偉大な研究成果の一つだ。もちろんラジウム放射能の国際基準単位には、キュリー(Ci)の名がつけられている。ワルシャワのマリー・キュリーの生家が現在博物館となっているが、その壁には、マリー・キューリーの似顔絵と発見した原子番号84のポラニウムP(Po)と原子番号88のラジウム(Ra)が描かれている。

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 パンテオンと言えばもちろんローマにもある。ローマのパンテオンには、ラファエロが眠っている。ラファエロが描く女性は本当に美しい。「美しい女性を描くとき・・・(中略)・・・私は心の中のイデアを使って描いている」と彼は言っている。ラファエロと言えば、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチと共にルネッサンスの3大巨匠の一人だ。

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ミケランジェロは、1505年、ローマ、ヴァチカン市国のシスティーナ礼拝堂の天井を完成するためにフィレンチェを離れ、一旦はフィレンチェに戻るが、再びヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂の改築を一任され、その完成を待たずして、ローマでこの世を去る。遺言により、亡骸はフィレンチェのサンタ・クローチェ大聖堂に埋葬されている。絵画、彫刻、建築を象徴する女性が彼の胸像を取り囲んでいる。

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 最後は巨匠レオナルド・ダ・ビンチだ。レオナルド・ダ・ビンチの墓はフランス、アンボワーズ城の敷内にあるチャペル、サンチュベール礼拝堂で眠っている。とてもシンプルな墓だ。彼は最期の3年間をこの地ですごし、この地を訪れたときの鞄に、世界で最も有名な絵画「モナリザ」の絵があったと言われている。

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