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気の球が離れすぎると、超個人主義や共感できない状態になる🎈

こんにちは、3G commit! のみきちです。


最近は愛着障害についての記事が多くなっていますが、皆さまの愛着に対する関心の高さを実感しております☺️

専門用語や知識を取り入れることも大事ですが、私たちは言葉を知っているだけではどこにも行けません。

自らの実感を伴って理解することで、知識は文字通り、身になっていくのです。


気の球モデルは抽象度が高い概念なので、感覚的に掴みやすい考え方です👍

なんとな〜く、で構いません。

一緒に少しずつ学んでいきましょう✏️



気の球モデルの癒着パターンは、相手と同調させすぎてしまうのが特徴でしたね。

逆に、気の球が離れすぎる「回避パターン」は、他者との関わりを断ってしまう傾向が強くなります。


他人への無関心や排他的思考、共感できない等の状態になりがちです。

カラオケやキャンプなどの他者と楽しむイベントも、「ひとり〇〇」という形で流行ったりもしましたね。

ひとりで楽しむのも良いのですが、
「誰かと一緒とか無理。ひとりが気楽でいい。」
が理由なら、回避パターンの傾向があると言えるでしょう。


幼いうちから親と離れて暮らしていたり、親との接点が少なすぎたりすると、子どもは愛着というもの自体を知らずに育つ可能性が高くなります。

気の球が触れ合った経験がないから、他者の気の球と触れ合わない状態が "普通" なのだと思ってしまう。

または、親の過干渉や抑圧を受けた反動で、「もう関わりたくない」と回避パターンに移動する場合もあります。

癒着の反動で回避になった方の場合は、ある一定仲良くなった瞬間に癒着し始めることもありますよ。


気の球が離れすぎると、他者の気持ちが理解できなかったりします。

「こんな言い方は相手を傷つけるかもしれない」という想像も、気の球が触れ合ったことがあるからわかるのです。

回避パターンに入ってしまうと、他者を慮ることの必要性がわかりませんから、「コイツには人の心が無いのか…?」と思われるような言動を普通にしてしまいます。

他人の気持ちという、見えないものに気を遣って生活しなくてはならない煩わしさから、「ひとりが良い」になりやすくもあります。



気の球モデルで考えていくと、時と場合によって、自分が癒着したり回避したり…とパターンを変えていることがわかってきます。

愛着パターンは流動的なのだと考えると、自分の傾向が観えやすいのです。

「あ、今は癒着していたな」
「この人に対しては回避したくなっちゃうな」
と、少しずつ意識に上げていくと、愛着障害への理解も更に深まっていくでしょう。


回避パターンの方も、癒着パターンの方も、その背景には幼少期の寂しさや哀しさが存在しています。

学びが深まるごとに、過去の記憶や感情を思い出したりと過去の整理が進み、徐々に愛着の不具合が癒えていきますよ🌱


当然、生まれてから今までのすべての時間を書き換えていくことになりますから、相応の時間はかかります。

3年〜5年くらいはかかるものだと思って良いでしょう。

それでも、一生かけても書き換えられず、苦しみ続ける方も多くいらっしゃいますから、5年程度で書き換わるなら儲け物ですよ😉

プロの伴走があれば確実に、数年程度で圧倒的な書き換えが可能です。

ゆっくりジリジリ、腰を据えて生き方を変えたい方は、是非セッションにいらしてください。

お会いできることを楽しみにしておりますよ♪


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