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自分の誕生日は、亡き母に感謝する日

ウンジュウウン年前の今日、明け方のこの時間に
私はこの世に生まれてきました

誕生日には、ケーキに歳の分だけキャンドルを灯し、
家族全員がハッピーバースデーを歌ってくれる
母がご馳走を作ってくれて、ささやかなプレゼントをくれる
そんなおうちで育ちました

実家を出てからもこれまでずっと、誕生日は、
大好きな人たちに囲まれて
もしくは、愛する人と2人きりで
私が一つ歳を重ねることをお祝いしてもらう日

でも、ここ数年は自分の誕生日が来ると
亡くなった母をとてもいっぱい思い出しています

母は8ヶ月のがん闘病の末、78歳で2014年5月に他界しました…

私自身、その翌年2015年にスキルス胃がんに罹患し
5月に胃を3/4 切除するんですが
それ以来、誕生日の重みも変わったのかもしれません

そして、今日、いま、また12月14日を迎えることが出来て、
一番に母への感謝の気持ちを記したいと思った次第です

この場を借りて、亡くなった母にしばし想いを寄せたいと思います

私の母は、長い年月に渡って
わがままをいっぱい聞いてくれて、
ずっと専業主婦だった彼女を見下すような発言をしていた
多感な頃の私にも文句一つ言わず
私のチャレンジを全て全力で応援し続け、
どんな時も200%で私の味方をしてくれた人でした

いつもテンションが高くて、笑ってばかりで、
誰とでもすぐ仲良くなって
声がデカくて、おしゃべり好きで、パワフルな人

頑固で堅物で政治経済国際問題と株にしか興味のなかった父とは真逆でした
(その父も今は認知症で家族の誰の事もわからない状態でケアハウスにいます)

母の前向きな明るさが我が家になければ、今の私は絶対存在していない

歳を重ねてきて思うのは、本当にそんな母と私、
見た目が瓜二つになってきているということ

やたら首のシワや、頬にできたシミの目立ちかたも
結局同じ化粧品メーカーに辿り着いたという敏感肌体質も
背格好も顔の形も…
当たり前なのかもですが、自分でも認めざるを得ない昨今

本当にそっくりになってきたなぁ…

母が生きていた頃は、社会経験が無く専業主婦の世界しか知らない母に
私の仕事や勉強のこと、何を話してもわからないだろうと思って
あまりそういう話はしなかったんですよね 
恋バナは結構いつも全部聞いてもらってたんですけど!

でも実は私…本当は仕事よりも勉強よりも、何よりも
母のような「母親」になりたかったんです

私も結婚を一度しているんですが、子供を授かることは無かったんです
もう叶わない夢ですが、自分の子供はめちゃくちゃ欲しかった

本当に、どんなカッコよさげな横文字の肩書よりも
なりたかったのは「お母さん」

うん、本当に「お母さん」になるのが一番の夢でした…

母は、ウンジュウウン年前、当時住んでいた千葉から、
実家の大阪に帰って、何十年ぶりかの大雪が降ったという日、
12月14日の午前1時頃にこの私を産んだそうです

今日は亡き母への感謝の想いを込めて
一日母に想いを寄せながら過ごせたらと思います

生を享けて、いま、ここに居ること
幸せだと感じたり、悲しいと感じたりすることが出来ること
たくさんの友人や大切な人との出会いに
感謝しながら、まだまだ頑張って母の分も邁進していきたいと思います

お母さん、ありがとう
本当に生を授けてくれて、ありがとう♡





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