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「コーチで在りたい」とは。

昨日、今日と色々な感情が渦巻いている。

変化も有った日々だったからか、自分のココロがちょっと敏感になっている感覚もある。

周りの音がちょっと歪んで聴こえているような感覚もある。

だから、そういった時はSNSや情報収集はそこそこに落ち着いて過ごすのが良いなあと思っている。

(Instagramのような、キラキラしている部分がみえるものはシャットダウンしても良いかもしれないくらい。Instagram好きだけどね。)



そして今後どういう選択肢があるのか、どんな可能性があるのかをゆったりと考えたいと思っている。

そんな中で、自分の中でコレは譲れないなあと思う軸みたいなものがある。


それがコーチで在りたい、ということ。


コーチで在りたいとはなんなのか


そもそもコーチとはなんなのだろうか。

様々な定義を拾ってきてみた。

コーチという言葉は、もともと「馬車」のことを指し、「大切な人をその人が望むところまで送り届ける」という意味で使われていました。そこから「人の目標達成を支援する」という意味で使われるようになりました。

https://coachacademia.com/coaching/

うん、有名な言葉。
でもこういう事が知りたいのでは無かった。

企業や学校における「コーチ」とはビジネスに精通し同時にコーチングスキルを保持し、リーダーシップを発揮する仕事のプロのことをいいます。

https://c-coach.jp/coach/

日常生活の場面においては、個人の考え方が多様化していることから家族、友人、知人の間でのよりよいコミュニケーションを図ることが大切になっています。

日常生活における「コーチ」とは、コーチングスキルを保持し、コーチング能力を発揮して日常生活を円滑に進めることができるプロのことをいいます。

https://c-coach.jp/coach/

うん、これも違う。

コーチとしての在り方というような定義を拾いたかったのだけど、中々ネットでは出てこないのかもしれない。


私が思っている「コーチの在り方」


私が感じるコーチで在りたいとは、どんな要素が詰まっているのだろうか。

パッと自分の中から出てきたのは「海みたいな人」

どっしりと構えていていて、ただそこに居てくれるような柔らかな存在。

優しさも有り、強さもあり、自分自身の存在感もある。

でも何もジャッジをせずに受け止めることができる人。


私の目指すコーチングでもある。


もう一つ出てきたのは、自分に正直に生きている人

自分という生き方をしっかりしている人。

誰かの人生では無くて、自分の人生を生きている人。


正直、このフレーズってよく聞くけどどう解釈するかって難しいなって思っていて。

情報過多な社会だし、日本では「相手に合わせること」や「空気を読むこと」が求められることも多い。

そういう事をしていたら自分の人生を生きていることにならないのだろうか?


そこについては、まだ私の中でハッキリと言葉にできていない。

でも、自分の感情や気持ちを受け入れることができている人のイメージ。

弱さ、脆さ、悔しさ

そんな色々な部分の、”私”という全部を受け入れて慈しむことができるような感じ。


”私”という生を生ききる。楽しみ切る。
そんな感じ。

コーチで在りたい

書いていて、まだすごくぼんやりしている部分もあるなあって感じた。

ここはもっと言語化していきたいし、コーチングセッションのテーマにもしてみたいかもしれない。

ただ、一つわかったことは「私を楽しみ尽くしたい」って気持ちが在ること。

そして、そんな私を慈しみ受容していきたいということ。


こんな気持ちがあることを残しておきたい。

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