見出し画像

自分の感情をうけとめられない、うけとめられないことにも気づけなかったとき。

ほんの1週間前に決意したことを
実行し続けることが
こんなにも難しいことなのだと実感した。

先週書いた記事で
『どんな感情もそのまんま受けとめる』ことを
決意したのに

昨日のSaoriちゃんのセッション中
かなりの身体の痛みを感じ
痛みを感じているということは
それだけ強い感情があるということで
(と、後から改めて理解した)

その感情を丁寧に感じていけばいいのだけれど

あまりの痛みに
丁寧に感じるなんてことは忘れさり

痛みに降参するって何?
もう無理。早くこの痛みが無くなってほしい。
終わってほしい。終わりたい。
ぐるぐるぐるぐる頭で考え
感情を感じるなんてことはしなくなって
なんでこんな しんどい思いをしないとあかんの?
と、完全に誰かのせいにするという
決意とは全く逆のことになってしまっていた。
(セッション中に、久しぶりに被害者意識でてきたなーとは感じていた。)

Saoriちゃんは何度も何度も
私に気づかせようとしてくれていたけれど


あまりにも どぎつすぎる自分の感情を見たくなくて
でも、見たくないことにも気づいていなくて

感情が何も出てこないと錯覚し
わからない。と誤魔化し
感情に蓋をした。

降参するどころか
いつのまにか
逃げていたということに

長い時間をかけて
やっとやっと気づいて

自分の感情から逃げるという
自分のことを無視していたことが悲しいやら
またやってたのかって悔しいやら
大号泣で
大変でした。

自分が自分のことを受けとめるということが
こんなにも難しいことなのか!
こんなにも無意識にすぐ無視してしまうのか!と

また改めて実感。

セッション中、Saoriちゃんが私の先週のnoteの記事を読んでくれて

このことを忘れないように
内観の前に読んだ方がいいと言ってくれて

同じように、今回のこの出来事
また自分の感情に目を背けていたことを
忘れちゃいけないと感じて
書き残すことにしました。

思っていた以上の感情の強さと激しさ

まだまだ本腰入れられてなかったことにも気づき
まだまだやっぱり誰かにどうにかしてもらおうという甘えもあったなと反省し

自分を知っていくにつれて
うけとめられる感情の度合いも
より強く激しくなっていくのだなと
じわじわと納得しはじめている。

限界を突破するべきときに
こうやって
見たくない、感じられない、がやってくる。
…気がする。

その度に、かっこ悪い自分にも何度も出会って
少しは免疫もついてきた!
…はず。

よし!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?