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自分と向き合う覚悟ができたからこそ、受けとめられた父の病と父の死。

4月4日 午後9時15分 
父が亡くなりました。

息が止まる直前まで
私たちの問いかけに
頷いたり、首を振ったり
最期まで意識ははっきりしていて
酸素を10リットルも流してもらっている人には見えなかった。
最期まで生きるんだ!という強い想いが感じられました。

終末期医療をすすめられた2月末。
そんなに悪くなっていたんだ…という
戸惑いと悲しみと後悔と
いろいろな感情が溢れて
父が最後の抗がん剤治療をしている間
病院内でひとり座り内観をしました。

その後も、目が見えにくいと眼科を受診し
網膜剥離と診断され
また大きな病院へ行ったけれど
残された時間を手術にあてるより
他に時間を使ったほうがいいのではないか?
と言われ

手術もしてあげられないのか。
と、見えなくなる目に何もできないことが
悔しかったり、
残された時間というものを突きつけられたことが悲しかったり、
一日検査で たらい回しにされ
病院内で先生たちの意思疎通ができていなかったことに怒りが湧いたり…

3月上旬には身体がしんどすぎて入院。
入院中も病院に対して怒りが湧くことが
多々あり、
大学病院は療養する場所ではないので。と言われ、転院もしくはホスピスへの入院を早めるよう言われました。

ホスピスも空きがない状況で、金銭的にも厳しいところもあり
けれども、判断は即決を求められることが多く
頭をフル回転させながら
何が1番ベストなのか?を毎秒毎秒自分に問いかけながらの毎日でした。

運良く3月中旬にホスピスに入ることができ
2週間ぶりに会えた父は
歩くことも座ることももうできなくて
随分痩せ細ってしまっていました。

それでも場所が変わって気分転換できたのか
週末には大好きな競馬を変わらずしていて
『しんどいんか、元気なんかどっちやねん?!』
毎日何か持ってきてほしいと電話が鳴り
『一回で全部言ってくれ!』
などの怒りが湧くという
病人に対して『持つべきでない』と思っていた
自分の感情も
Saoriちゃんのセッションを合間合間で入れていたおかげで
受けとめることができました。
(自分の在り方を変える気づきもありました。)

そしてこの時は
父が病院で最期を迎えるかもしれないことと
元気になって家に帰ってくることと
両方を考えていて
家で介護ベッドを置く場所の確保や
どの部屋なら生活しやすいかなども
具体的に考えながら家の片付けもしていました。
(この時、
いつまで続くのかわからないこの状況への不安や
いざ家に帰ってきたときの介護への不安もありました。)

病院側の都合で しばらく面会できない日々が続き
やっと面会できる日になったころ
主治医の先生に呼び出されました。

採血の結果を詳しく伝えてくれた後
「もう、来週くらいかと。」と。

「弱音を吐かずに本当によく頑張っています。」
とも。

さすがにこのときは、先生の前で号泣し
父が死ぬということを覚悟はしていたものの
目の前に立ちはだかると
やはり受けとめきれず。

この日から毎日面会に行きました。
叔父が来てくれたり
弟が青森からかけつけてくれたり
母と行ったり

叔父が来てくれているときは
父はもう、自分に終わりが近づいていることが分かっていたようで
私に、「美紀がいてくれて助かったよ。世話になったなぁ。」と言ってくれました。
父の前では泣くもんかと思っていたけれど
このときばかりは無理で
けれど「何言ってんの!まだまだやで!」って声をかけることが精一杯でした。

こんな時だけれど
私には絶対に必要だと感じ
Saoriちゃんのセッションへ出かけ

受けとめきれない悲しみや寂しさを吐露し
いざセッションでは、父へ感じていた別の感情を
感じきり
本当に一切のわだかまりなく
逆に、こんなに落ち着いた静かな自分を
初めて味わう経験もしました。

その日から数日後
いつ病院から呼び出しがあるかわからないし
大好きなお酒も飲まない方がいいかも!と
判断したその日の夜

「呼吸状態が悪いので今から来れますか?」
と、病院の看護師さんから電話があり
すぐに車でかけつけました。

かけつけてすぐは本当にしんどそうだったけれど
しばらくすると、落ち着いたように見え
看護師さんから「(いつも通り)面会は15分だけど、夜だし居てくれていいよ」と言ってもらい
いつもより長く一緒にいることができました。

そのほんの数分後、呼吸が止まり
でもまたふっと息を吸うということが繰り返し起こるようになり
あぁ、もう今まさに息をひきとろうとしているんだと受けとめました。

「雄治(弟)も美紀も、お父さんのこと大好きやで!」
「お母さんは恥ずかしくって言えないだけやけど、お母さんもお父さんのこと大好きやねんで!」
「お父さんの子どもに産まれてよかったよ。じゃないと、今のこの私になってないよ!」

思いつくままに父へ声をかけると
父は涙を流していました。
最期の最期まで、私の声はちゃんと父に届いていて
そしてそのまま再び呼吸することはなくなりました。

自分の感情をそのまま感じるということが
やっとわかってきた時に
父とのことで、
その大切さを より実感するようになり
自分と繋がるということは
誰かとも深く繋がることができるのだということも身をもって経験しました。

自分と向き合うことを1年前に始めて、
理想を大きく掲げすぎて
見たくない自分の感情を必死で隠し
本当に辛くてしんどい時もあったし
逃げ出したくなることも何度もあったけれど
逃げずに向き合い続けて本当によかった。

ほんの数ヶ月前の私では受け止められなかったことばかり。
きっと父にも冷たく当たっただろうし
母とも喧嘩になっていたに違いない。

父のことがあって
弟や母とも、深く話をする時間も持てたことは
これも父のおかげだなぁと深く感謝しました。

弟からは何度も
「美紀ちゃんが姉で、ほんまによかった!」と
言ってもらい

母からも何度も
「美紀ちゃんがいてくれてよかったわ。」と
言ってもらいました。

それをはしゃいで喜ぶこともなく
ありがとう。と静かに受け取ることができたのもまた、今回のことで得られた私の成長のような気がしています。

一般病棟に入院していたらできなかった面会。
看護師さんが電話をくれなかったら
こんなふうに見送ることもできなかった。
お別れする覚悟や時間も与えてもらえた。
すべて、ぜんぶ、良いようになっていた。

これだけ詳しく書くことを
ほんの少し躊躇ったけれど

でもやっぱり、全部必要だと感じました。

父と深く繋がることができて
穏やかに見送ることができて
本当によかった。

余談ですが
看護師さんは、私の面会での一生懸命さを見て
絶対に電話してあげなくちゃ!と思ったと
言ってくれました。

面会でそんな一生懸命だったかな?と思うけれど
そういうのもまた、表面で見えるだけでなくて
感じてくれていたのかなぁと思いました。

近しい人との必ず来るお別れのときを
ありがとうと心から感じながら迎えられたら
これ以上ないしあわせだと私は感じます。

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