「発達障害」は「パーフェクト」?
息子がタイのインターナショナルスクールに編入して、最初の担任はオーストラリア人のベテラン先生だった。
彼女との出会いは、私たちにとって、とても大きなものだった。
息子の学校は国際バカロレアという教育プログラムを取り入れていて、とてもユニークな取り組みが多かった。「多様性」を重んじ、学校生活を通じて「個性を伸ばす」ことをモットーにしていた。
初めて担任と面談をした日、私は
「この子はトゥレット症候群を持っています。それに伴い、注意欠陥型のADHDと、軽度の識字障害に伴う学習障害があります。大丈夫でしょうか・・・受け入れてもらえますか?」と言った。
私が予想していた反応は、多少困った顔をして
「トゥレット症候群・・・それ何?学習障害ってどの程度?みんないついていける?」などの返答だった。
しかし、彼女は私の予測を良い意味で大きく裏切った。
「すごい!パーフェクト!彼は何でも持ってるのね!!彼の担任をするのが楽しみよ!」
そして息子に向かって
「トゥレットなら、チックは出る?その時は辛いでしょう?でも何も心配ないわ。」
これまで出会った先生の中で、こんな反応をしてくれる人はいなかった。
トゥレット症候群や発達障害のことを話すと、一様に一言目が
「周囲に迷惑を書けませんか?」の類の言葉だった。
学校生活が始まってからも、息子の様子を注意深く見守ってくれて、少しの変化でも必ず連絡をくれた。
「今日は疲れているみたいだから、午後は保健室でゆっくりさせるね」
「チックで肘を机に充てる傾向があるから、怪我防止のためにサポーターを付けると良いと思うの」
「チックのことは、教員やクラス全員に伝えたから、もう他人の目を気にすることはない」
息子も私も、周囲に迷惑をかける不安、勉強が遅れる恐怖、から完全に開放され、
「自分のコンディションを大事にする」
ことが、何よりも大事なことだと気付かされた。
年間40冊の読書チャレンジも、識字が困難のためにオーディオブックを採用してくれた。
人間、得手不得手があって当然。
日本の教育では、どんなことにも一定の「水準」が求められる場合が多いけれど、「できないこと、苦手なこと」に対して、もっと正直でも良いのではないかと思う。
とはいえ、日本の文化慣れていると、できないことを認めることは、決して簡単ではない。
それは「できない自分」を受け入れられない、もう一人の自分がいるから。
それなら、他の誰かに「できなくても大丈夫」「あなたは、今のままのあなたでいい」と認めてもらうことで、自己肯定感を上げることができる。
息子は、担任との1年間を通じて「あなたはあなたのままでいい。」というメッセージを受け取り続け、自分を大事にすることを学んだ。そして、自己肯定感を上げ「自分」そのものを受け入れることができた。
「僕はバカだ」と言っていた子供が、周囲にいる人間が変わるだけで、数年後には「僕、天才だと思う」と言えるようになる。彼自身も変わったけれど、それは彼そのものではなく、彼の考え方が変わったにすぎず、それを変えてくれたのは、間違いなく周囲の環境だ。
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