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ある日届いた根っこから、美しい色が生まれた ー後編ー


後編です。
自宅に届いた日本茜を、陣内さんといよいよ染めます!


美しい発色に心を奪われる

 1煎目から4煎目までの染液でシルクとコットンのストールを染め、5、6煎目の液で毛糸を染めた。毛糸のひとつはわざとムラになるようくくり染液にいれても動かさずただ漬けるだけにした。するとあまり、染料が入らず浅い色になった。一方、じっくりと染液を染み込ませた糸は、とても素敵な茜色になった。
それにしてもなんて美しい発色なのだろう。陣内さんも徳島の日本茜の美しさに感激している。

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 今回はシルクストールだけでなく、もともと光沢のあったウールの毛糸にも透明感が出た。天然染料で染めたものを見るといつも独特の透明感に見惚れてしまう。そしていつも、なぜなんだろうと不思議に思う。
化学染料と違って染めるのに時間がかかり色落ちしやすいというデメリットはあるけれど、それでも、化学染料にはないこの透明感は、天然染料染めの何よりもの魅力だと思う。

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 手元にある染織辞典をひいてみたら
「夕焼けの空に近い感じで黄味が少ないものを茜色と呼んでいる。それよりも黄味が多くなれば緋(あけ)(真緋(あけ)、緋色(ひいろ))である。それが淡くなれば浅緋(あさきあけ)、最も淡く、茜で三回くらい染めた薄い赤が纁(そひ)で、茜から得られる色相はこのように変化に富んでいる」
と、書かれていた。

藍染の色が、縹色(はなだいろ)や瓶覗(かめのぞき)など、染まり具合によってたくさん名前を持っているように、茜にも色調で名前がついているようだ。また、他の染料とあわせて色を出すこともあるそうで、紫を出す紫根(しこん)とあわせて紫がかった深緋(こきあけ)という色もあるという。
わたしが染めたのは、浅緋だろうか。失敗したほうの毛糸は、纁かもしれない。

 翌日、7煎、8煎目の染液で染めた陣内さんから写真が送られてきた。
もう黄味がなくなって、青みがかったピンク色になっている。この色もとてもきれいだった。

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いろいろ調べていると、陣内さんのやり方以外にもさまざまな染め方があるようだった。乾燥させた根をたたくやり方もあった。延喜式をひもとき独自に実験を重ねて、麹を使って古代の茜の赤を再現した染織作家さんもおられるようだ。

 そこまでしなくても、灰汁の木の種類を変えたり、灰汁の代わりにミョウバンを使えば、同じ根っこでも取り出せる色は変わるかもしれない。日本に自生する日本茜でも、育った場所によってもともとの茜が持つ色もそれぞれ違うだろう。東北の茜と九州の茜では、そこで暮らす人間たちと同じくらい茜の個性も違うのではないだろうか。

 そんな風にして、はるか昔の染色職人たちが根気よく植物と向き合いながら、夢のような美しい色を染めだしていたのを想像すると楽しくなってくる。
きっとものすごいコツをつかんで誰にも出せない色を出しちゃう名人とかがいただろうなあ。その振る舞いは、まるで化学者のようだったろうか、それとも魔法使いのようだったろうか。染色に使われる植物は薬としての効能があって、布に浸して薬効を得たことが染色のはじまりとも言われているから、染物する人はお医者さんみたいなことを兼ねていた可能性もあるだろう。
布を染めるのは体力仕事で過酷な労働だったに違いない。それでも、美しい色を出せたときの喜びはきっとかけがえのないものだったはずだ。その喜びじたいはきっと現代のわたしたちも変わらない。

 現代では藍染しかり、天然染料で染めたもののほうが手間暇かかっていて貴重でありがたい印象があるが、化学染料が日本に入りだした当時、馴れない化学染料にてこずった職人さんたちは「天然染料のほうが染めやすい」と言っていたそうだ。また、当時の化学染料はまだまだ高価だったため「自然の材料で染めるほうが安上がりだ」とも考えられていたという。

 染料ひとつでも時代によってここまで価値観が変わるのだなあ、と思うと面白い。長い染料の歴史を振り返れば、世界を席巻している化学染料の天下はまだ100年あまり。これからの先のファッションは地球環境に配慮されていくことが求められるだろうから、再び天然染料が復活する日も遠くないかもしれない。


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