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学生時代とお仕事/自己紹介2

今回は、自己紹介兼経験談がてら、経歴をお話したいと思います。

学生時代

小学生から高校生時代

栃木の田舎に生まれ、普通に公立の小学校・中学校に行き、県立の普通科高校へ進学。
小学生の頃は男子と遊ぶ方が楽しいと思うようなヤンチャな子供でしたが、中学生になり思春期に入り、男子と女子の差が大きくなり始めた時「私は何か〝普通の人〟とは違うのでは」と漠然とした不安感を持つようになり、一気に人と関わることが怖くなり、人見知りに。
幸い片手で数えるほどですが友人には恵まれ、いわゆる陰キャの類ではありましたが、それなりの学生生活を送りました。

〝将来の夢〟というと、こうなったら楽しそうという妄想はありましたが、じゃあそれを実現させるには、という行動力もやる気も持っていませんでした。とにかく自分に自信が無く、何をやっても自分にできるわけがないという考えが常にありました。
なので、いつも〝やりたいこと〟より〝やれること〟を見つけていた気がします。

大学で出会った人生の転機

そんな訳で、親に大学は行った方がいいと言われていたものの行きたい大学も学びたい学部も無く。更に、親には大学には行け・でも地元の大学でという指定を受けていたので、限られた選択肢の中で、当時放送していたドラマの影響で興味のあった法学部へ進学することに。
今思えば、法学部に進学したことは自分の人生の転機でした。
相変わらず友人作りは下手だったので、寂しいキャンパスライフではありましたが、法律の考え方によって自分の思考回路を改めることができたのです。
法律の勉強というのは感情では無く理屈で物事を考えていく思考回路を作ることから始まります。たった1〜3行で表される条文をこう解釈できるからこう、いやまた別の解釈もできるから…と、とにかく理屈で考えていくので、そこに感情が入る余地はありません。
私は常に自分に自信が無かったとお話しましたが、それは〝ただ、なんとなく他の人より劣っている気がする。誰かと比べて私は何もできない人間だ〟という漠然とした考え。
じゃあ、どの分野で私は劣っているんだろう?
そりゃあ、プロのスポーツ選手や学者と比べてたら劣ってるよね。
あの人は絵を描くのがとても上手で、それに比べたら私は絵は下手だ。でも、あの人よりテストの点数は良いじゃないか。
そんな風に考えられるようになった時、〝ああ、私はずっと自信が無かったんじゃなくて出来ない言い訳を探してたんだ〟と思ったのです。

仕事について

考え方は変わったものの、相変わらずやりたいことは特にありませんでした。
法学部なのだから、法律系の仕事…とも思いましたが、机でじっとして頭を使う仕事よりは体を動かす仕事の方がいいな、と何となく思っていました。

あとは、大学3年生までにほぼ単位を取り終えていたので、バイトを増やしたい・ゲームをしたいという欲が強く、就活を早く終わらせて大学4年生はのんびり自由に、という思いから早めに内定を出してくれる会社を探しました。

地元のスーパーで海産部門担当

そうして、新卒で入ったのが地元のスーパーでした。

スーパーを選んだ理由は、地元企業だから転勤があっても引越し不要なのと他の職種と比べると初任給の額が良かったので。

私が入社したスーパーでは、入社後3ヶ月は青果・海産・精肉・惣菜・ベーカリー・チェッカー・グロサリーを順番に体験していき、本人の希望や周りから見た適正などで配属先を決められました。

当初はベーカリー部門に入りたかったのですが、体験した時に一番空気感がしっくり来たのが海産部門。
不思議ですが、部門によって集まってくるパートさんや社員のキャラが似通っていて、雰囲気が部門毎に全く異なるのです。
そういう訳で海産を希望した結果、そのまま配属となりました。

海産は「魚捌くの大変そう」「生臭くて嫌」「朝が早い」などの理由から、スーパーの花形である生鮮3部門の中で一番人気が無い為、希望すれば大概通ります。

更に言うと、上記の理由から新卒女子が海産を希望することはまず無いので、私が入社した時には女子社員はいませんでした。
私はいわゆる女子社会が大の苦手だったので、それもあって海産部門の雰囲気が肌に合ったのかもしれません。

海産部門に集う社員・パートたちの雰囲気は、市場のイメージをしていただけると。
らっしゃい・らっしゃ〜い!なんて元気な声で叫んでるような、活気のある感じ。いやまぁ、スーパーで大声出してる人は流石にあまりいないけど、性格が皆さんサッパリしていて漢気溢れる方が多いです。

そして、最初に私を指導してくれたチーフが、私の人生の転機パート2。
私はそれまで自分の意見を相手に伝えるということができず、相手が言うことは何となく正しいと思ってしまうタチでした。
そして、仕事でミスをしたら必要以上に謝り倒してしまい、ミスを気にしすぎて次に行けなかったり。
そんな私を根気強く支え、励まし、私の話をよく聞き、正しく叱ってくれる人でした。
大人は時に、上の人に逆らえずゴマを擦るなんてこともあるでしょう。
そんな事は一切せず、相手が上司だろうが社長だろうが相手が間違ってると思えば食い掛かっていく。周囲からは異端児として〝狂犬〟なんて漫画のようなあだ名で呼ばれている人でしたが、私にとっては最高にかっこいい上司でした。
私もこの人のように、自分が正しいと思うことに誠実に生きたい、私が救われたように私のように潰されてしまいそうな人を掬い上げられる力が欲しいと思い、最初はモノマネのようでしたが、少しづつ自分の行動を変えていけるようになりました。

最初はなかなか上手くできませんでしたが、ここであらゆる魚を捌く技術を身につけ、売り場の作り方や在庫管理・発注業務などのスキルを学び、入社3年目にサブチーフになりました。

しかし、海産で主役なのは魚。
魚が傷まないように作業場は1年中冷房18℃設定だし、冷凍冷蔵ものが多いので、3℃〜マイナス30℃の場所をしょっちゅう行ったり来たり。
真夏に全く暑さを感じず汗をかかなくなった頃に、これは一生続けられる仕事じゃないと思い、転職を意識するようになりました。

地元の旅行会社でバスツアーの企画&添乗員

社会人になった頃からお金の余裕が出来たので旅行が趣味になっていて、年に2~3回程度ですが旅行会社主催のバスツアーで安く日帰り旅行に行っていました。

ちなみに、全てのスーパーがそうでは無いでしょうが、かなりのブラック。朝5〜6時に出勤し、20〜21時に退勤が当たり前でした。もちろん、サビ残です。
中学生の頃からヲタクでアニメ・漫画・ゲーム大好きなのですが、スーパー勤務の時代はそれらの趣味に精力を注ぐ気力が全く無く、寝て起きて仕事してご飯食べて寝て仕事して…のエンドレス社畜でした。
それ以外のやる気が全部なくなるくらい、毎日が仕事漬けだったのです。
そんな中での唯一趣味と言えたのが旅行でした。

「この忙しさの中でも好きでいられる旅行を仕事にしたら楽しいのでは」と思い立ち、旅行の国家資格を独学で取得。タイミングよく、いつも利用していたその地元旅行会社が社員募集を出していたので飛びついたら運よく採用。それが26歳の時でした。

バスツアーの計画をしたり、実際に添乗員として乗務して色々な場所に行ったり…
計画するのはアイデア勝負なので、捻り出して形にしていく作業は私には地獄でしたが、自分が計画した旅行でお客様に楽しんでいただけた時は心の中でガッツポーズ。
添乗員としてたくさんの絶景を見たり、美味しいものを食べたり。楽しい想いもたくさんしてきました。

転機は2020年。

コロナという未知の感染症に旅行業界はかなり影響を受け、厳しい状況となってしまいました。
国の補助もあり生活に影響はありませんでしたが、そもそもが薄給。その上、思うように仕事ができない状態が2年も続き、自分の中でモチベが保てなくなりました。
また、災害などの影響を受けまくるこの業界に将来への不安も感じ、34歳で2度目の転職を決意しました。

訪問介護ヘルパー

さて、この歳で転職。
気持ちだけは20代にも負けないけど、現実は厳しい。35歳以上の正社員募集はガクンと減ります。

特にこれといった強みや資格もスキルも無い。
だったら、将来的にもウリにできるスキルが身に付く仕事がいい。更に、旅行会社は薄給だったから正直お金が欲しい…

それでたまたま見つけたのが訪問介護の仕事。
ありがたいことに年齢は関係なし、未経験可、資格は入社後に取らせてもらえるという環境でした。

施設介護と違って、利用者さん1人だけに寄り添い、向き合う訪問介護はかなり特殊です。
施設なら施設側が主導権を握っているので、タイムスケジュールや介護方法は施設側の都合でしょう。
訪問介護の場合は、利用者さんが主導権を握っています。利用者さんが求める介護ができるスキルレベルはもちろん、その人の生活リズムに合わせていく協調性がどれだけ保てるかが大切です。そして、とにかく体力と気力の勝負。

添乗員時代にいろんなお客様との交流があり、正直接客や人との関わり、サービスにはそこそこの自信がありました。結局は介護だっておもてなしでしょうと考えていました。

器用貧乏なので、スキルについては未経験でもやってくうちにそれなりにこなせるようになったのでそこはあまり悩みませんでしたが、大変なのは「利用者さんの生活の一部になる」こと。

利用者さんが思う理想の生活をするための手足になるようなものなので、自分の価値観と利用者さんの価値観が合わなければ当然気持ちにギャップが生まれます。

例えば「掃除して」。
私なら掃除機をかけて、たまにウェットシートで拭き掃除。でも利用者さんは掃除機はかけないで毎日シートで拭き掃除、とか。

「料理して」もそう。
私は玉ねぎは辛味があるのが好きだから水に浸したりしないけど、利用者さんは苦手だから水によく浸す。私は多少の繊維は気にしないで食べちゃうけど、利用者さんは気にするからスープを作ったらよく濾さなくてはならない。

そんな些細なギャップがたくさん続いてくると、意外にも心は疲弊していきます。
これが家族なら、価値観の擦り合わせをしたり、話し合ったり、お互いの妥協点を見つけていけるのでしょうが、あくまで雇われた立場なので相手の価値観を優先し、我慢するのは当然です。
更に、介護ですから、利用者さんの手足となってシャワーやトイレなどのお手伝いをします。利用者さんがどんな状態であっても、トイレに行きたいと言われればお連れするのです。「トイレに行くための体力消費すら辛いのだから、ベッド上で済ませませんか?」とは言えないのです。だって、本人はトイレに行くことを希望しているのだから。

更に、24時間介護なのでシフト時間が特殊です。日勤・夜勤があり、生活リズムは狂うし、拘束時間も10〜14時間なのでとにかく体力勝負。
心も体も疲弊してくるとまず心に余裕が無くなり、何かを楽しむという気持ちすら奪われていきます。

これから

旅行業だけは自分でやりたくて飛び込んだ業種でしたが、スーパーも訪問介護も自分が心からやりたい仕事だったかと言われたらそうではありませんでした。
もちろん、興味はありましたし、知らない業界を知るのは面白い経験になりました。とても貴重な体験を積んだと思っています。

そして、何よりどの職場でも仲間に恵まれました。
スーパーで出会った今でも尊敬している上司、今でもプライベートでご飯に行っては数時間でも色んな話に花を咲かせられる旅行会社時代の同僚。
訪問介護の職場では、同僚は皆私より3〜15歳ほど年下だけど、たまたま趣味の合う人もいて、ご飯に行ったり遊びに出かけたりする仲です。
陰キャだった学生時代の自分からしたら信じられないような生活だと思います。

ただ、これまでのキャリアで思ったことは
〝体力を消費しすぎてもダメ〟
〝好きなことでもお金や安定がそれなりに無いとダメ”
〝心の余裕が無くなるのもダメ〟
ということ。

もちろん、これは人によると思いますが、私にはこれがダメだったと言うことです。

そして、最近CMやインスタの広告でよく見かけるようになった女性向けのキャリアスクール「SHElikes」。
謳い文句はあまりにも夢のようで、正直「キラキラしてて、私もそうなりたい!」という希望半分、「本当に仕事にできるくらいの学びができるのか?」という疑い半分。
でも、やってみたい!こんな仕事をしてみたい!と前向きに思えたのは、今の自分にはとても明るい希望でした。

noteを始めてみたのも、とりあえずチャレンジしてみようという気持ちの一環。
webライター楽しそうという思いから、とりあえずやってみようで始めましたが、意外に文字にするというのは大変!!
特に、今の所書いてるのは自己紹介なので、自分の気持ちを表現するために自分に向き合うのが大変…

でも、こんな機会もなかなか無いので、これからしばらくは自分の棚卸しをして、新たな気持ちで新しいことにチャレンジしていけたら、と考えています。

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