歴史の真実とは『甘粕正彦 乱心の曠野』
満州映画協会の初代理事長は清朝の皇族金壁東(川島芳子の兄)であったが、実権は別の日本人が握っていた。
甘粕正彦が二代目に就任した際に放漫経営を引き締め合理化を図り、無駄を廃すると同時に日本人俳優に対して不当に低い中国人の給与を上げさせた。国策映画ばかりではなく、娯楽映画も製作させ、様々な改革によって赤字が黒字に転じた。
甘粕は女優に対して非常に紳士的であり、酒席に女優が同伴するのを禁じている。当時満映のトップスター、李香蘭が自身を中国人だと偽っているのに耐えきれず、叱責覚悟で甘粕に退職を申し出たら快諾してくれた。満映にとってはドル箱だったのにもかかわらず、である。甘粕が風邪で寝込んでいた時に李香蘭がお粥を作って持っていったら盛んに照れていたそうだ。
ソ連が満州に侵攻したときは銀行から預金を全額引き出し、全社員に退職金を分配した。
関東大震災直後の混乱期に社会主義者の大杉栄、伊藤野枝それに6歳の甥、橘宗一の3人を取調中に殺害したとされる甘粕正彦憲兵中尉。彼はそのような冷酷非情な人間だったのだろうか。私にはどうしてもそう思えない。
映画「ラストエンペラー」では日本の敗戦を知った甘粕が切腹して自決する筋書きになっていたが、これに強い違和感を持った甘粕役の坂本龍一がベルトリッチ監督を説得し、拳銃自殺に変更された。実際は理事長室で青酸カリによる服毒自殺だが、前日に社員の前で自裁することを告げていたので社員たちが凶器になる物を隠し、交代で理事長室に泊まりこんでいた。彼はそれほど社員に人望があった。
事件発生後、53年目に発見された死因鑑定書も「陸軍スケープゴート説」を確信させる。
著者は剽窃問題で晩節を汚したが、一念発起したのだろう、参考文献は200冊以上、甘粕の長男忠男氏を始め、全国を周り関係者にインタビューする姿は刑事さながらである。そこにはノンフィクションライターとして歴史の真実を究明したいという強い情念を感じる。
2022年に幽明境を異にした著者だが、本書を上梓したことで歴史に残る仕事をされたと思う。
以って瞑すべし。
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