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『ペガサスの記憶』桐島洋子という作家に影響を受けて生きてきた。

桐島洋子さんとは一度だけお会いしたことがある。会ったといっても同志社女子大の学園祭に次女のノエルさんと講演に来られて、終わってからサインをもらっただけだが。
何も持ってなかったので洋子さんとノエルさんの紹介チラシの裏にアンケート用紙のための簡易鉛筆で書いてもらった。
今から30年前くらいだろうか。そのサインは額縁に入れて今でも本棚の一角に飾ってある。

桐島さんは当時勤めていた出版社に妊娠を隠して未婚の母として長女を出産。次女を妊娠したときは世界一周旅行でシベリア鉄道でヨーロッパからアジアを周り、一か月後に客船で出産するという計画を立てた。そして横浜に帰港する前日のクリスマスに無事に出産。
『淋しいアメリカ人』が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞、ベトナム従軍記者として帰国後に長男ローランドを出産している。

本書の記述はノエルを洋上での出産を神父に報告する手紙で終わり、あとは三人の子どもたちが母を語る形になっている。

なぜこの物語を自身で書き終えなかったのか。ノエルさんのあとがきを読んで驚いた。

桐島さんは2014年にアルツハイマー型認知症と診断されたそうなのだ。だから本書は桐島さんの著書としては最後になるだろう。

私は昔から彼女の愛読者だった。世間体など一顧だにせず、自身の気の赴くままに行動した。ジャーナリストの千葉敦子さんは駆け出しの頃の桐島さんの本を読み、その文章を褒め称え、もっと書いてくださいという手紙を送ったという。桐島さんはその手紙にずいぶんと励まされたそうだ。

『マザーグースと三匹の子豚』に印象的なエピソードが書かれている。
ある日アメリカに住もうと決心した桐島さん、子どもたちにアメリカに行くからと宣言し、必要な物を詰めてきなさいと旅行トランクをひとつづつ渡し、何日に羽田に集合と言いわたす。
渡米の日まで原稿を書き溜めて出発日に羽田で落ち合い、トランクをあらためてみると、常識的な物しか入ってなかったのでホッとすると同時にガッカリもした。

今でいえば、当時14歳の娘を一人でヨーロッパに送り出した漫画家ヤマザキマリさんの母親を書いた『ヴィオラ母さん』を思い出す。

後年、次女が母親に相談すると「あなたがそうしたいなら、そうすればいいわ」と言われ、世間体を気にする(本人談)長男は「あなたは臆病ね」とよく言われていたらしい。

長女はあとがきに書く。

「あなたのお母様の本を読んで勇気をもらったのよと今でもよく母のファンの方々に声をかけられます。『マザーグースと三匹の子豚たち』の家族は、その後、このように必死に生きてきたことを、『ペガサスの記憶』で知っていただけたらうれしく思います」

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