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2022年 三年ぶりの神戸であったマッキーのコンサートについて

三年ぶりのコンサートである。会場の神戸国際会館は約二千人のキャパに立ち見も出た。オープニングは「introduction~東京の蕾~」。何曲か歌った後、MCで槇原が言う。


「皆さんに申し訳なく思っているのは私のファンだということで皆さんが肩身の狭い想いをしているんじゃないかって、本当にすみませんでした」


と言って、深々と頭を下げる。すかさず近くにいた年配女性から「そんなことないよ!」と声が飛ぶ。そして会場から万雷の拍手。
「肩身の狭い想い」というのは覚醒剤所持に関する報道のことだ。
私はこの時、DVDで観た彼のコンサートのことを思い出した。1999年に覚醒剤取締法違反で有罪判決を受けた彼はテレビには出演禁止になり、DVDは店頭から消えた。一時は復帰も危ぶまれたほど、社会への衝撃は大きかった。
その後、復活コンサートが行われた。私が観たのはその東京でのコンサートのDVDだ。
会場は満席だった。何曲目か曲名は覚えていない。歌っている途中、彼は突然こみ上げてきたものに耐えられず、声を詰まらせて歌えなくなったのだ。ファンに申し訳ないという思いと、それでも会場に来てくれたファンに対して、ずっと堪えていたものが堰を切ったのだろう。

私は思うのだが、彼は深く反省したのではないだろうか。覚醒剤のことではない。それよりも、自分はプロとしてちゃんと歌えなかったということに、もう二度とお客さんの前で「醜態」を見せないと決意したはずだ、と。私がそう思うのは槇原敬之という人物がとても真摯で誠実な人柄だからだ。それは彼の書く楽曲が証明している。

例えば、「僕が一番欲しかったもの」は「僕」は素敵なものを拾ったが、僕以上にそれを必要としている人がいたので、「惜しかった」けど、それをその人にあげた。それを繰り返したら、何も残らなかったけど、あげたものでたくさんの人が幸せになった。結局、それを見た時の気持ちが僕の探していたものだとわかった、という歌だ。

「惜しかった」という箇所に彼の誠実さが表れていると考えるのはうがち過ぎるかもしれないが、偽善ではない本当の思いを感じてしまう。会場を見渡してみても、若い人から年配の人までファンの年齢層は高い。それは彼が稀代のメロディーメーカーであることも、もちろんではあるが、その歌詞が人間にある普遍的な心情の琴線に触れるからだろう。
彼のファンというのは家族や会社の上司の悪口をちょっと言ったりはするが、基本的に悪い人はいない気がする。

1曲目の「introduction~東京の蕾~」に続き、2曲目の「ハロー!トウキョウ」、そして7曲目の「東京DAYS」。

私は以前から彼の東京に対する想いとはどんなものだろうと考えていた。今回のコンサートでも歌われた二曲の歌はキーとなると思う。その一曲がフォークレゲエとしてよく知られている「遠く遠く」だ。
「外苑の桜は咲き乱れ」という出だしで場所と季節がわかる。東京に住む彼は故郷のことを想っている。
「どんなに高いタワーからも見えない僕のふるさと」
この気持ちは上京した人間にはよくわかるだろう。憧れの東京に住む僕だが、時には望郷の念にかられる。しかし、
「僕の夢をかなえる場所はこの街と決めたから」
だから成功するまでは帰らない。ここでは東京への愛憎が交錯するような微妙な揺れが感じられる。
「大事なのは “変わってくこと” “変わらずにいること”」
“変わってくこと”は東京で成長することであり、“変わらずにいること”は故郷とその故郷にいる友人たちに対する想いだ。

もう一曲はファンの間でも常に上位にランキングされる「LOVE LETTER」。
イントロなしで「線路沿いのフェンスに夕焼けが止まってる」という歌詞によって、いきなり聴き手はまるで「トワイライトゾーン」で異次元に放り込まれるように夕暮れの駅に立たされる。実際に槇原はそういった効果を狙ってイントロを省いたそうだ。


歌でも俳句でも状況や情景を説明するために普通名詞か固有名詞を使う。例えば、後者は「津軽海峡冬景色」なんかがそうだ。上野、青森駅、津軽海峡、竜飛岬。上京した北海道出身の女性が失恋して冬の故郷に帰るという情景がありありと目に浮かぶ。この場合、全国的に有名な地域だからこそ状況説明が可能だといえる。そして普通名詞の羅列に過ぎないのに、その地域に住んでいる、あるいは住んでいた、またはその地域に馴染みがある人たちにとって、ありありとその場所の情景を喚起させるという場合がある。それには聴き手が歌い手の情報を共有しているという必要性があるが。
いうまでもなく、「LOVE LETTER」の場合は槇原の生まれた高槻という町である。高槻は大阪府にあり、ちょうど大阪と京都の中間に位置する。高槻と聞けば関西に住む人間なら北摂という地域の上品な新興住宅街というイメージが浮かぶ。
そのイメージを共有しているファンは歌い手がそのイメージに対して意識的である場合に限られるが、同時に(共有できないファンに比べて優越的といえるかもしれない)、その物語をも歌い手と共用できるという特権に与かることができる。

片思いの高校の同級生が就職で地元を離れる。それを友人たちが「高槻駅」でホームに見送りに集まっている。具体的には書かれていないが、向かう場所は東京でなければならない。なぜなら「僕」のいる場所は大阪であり、それ以上の大都市は東京しかないからだ。だからこそ「僕」は「新幹線のホームに舞った見えない花吹雪思い出す」新大阪駅のホームから上京し、「僕の夢をかなえる場所はこの街と決めた」のだ。

「自転車を押しながら帰る夕暮れ」で始まる、いわゆるⅭメロのこの部分のためにこの曲があるような怒涛の盛り上がりを見せる。続く「この駅を通るたび網目の影が流れる横顔」というフレーズは秀逸だ。槇原はアマチュア時代に書いたこの歌詞を活かしたいと思って全体を作り替えたそうだ。

後半のMCで「実は僕、禁煙したんですよ」と言うと観客から拍手。禁煙を二千人の人たちから喜んでもらえるというのは何という祝福だろう。そして東京から引っ越したことが明かされる。場所は言えないが、ある地方に住んでいて、東京ではなかなかできなかった友人も結構できたらしい。

ふと、20年以上前に「電波少年」というテレビ番組のことを思い出した。その中で坂本ちゃんという芸人が大学合格を目指すという企画があった。坂本ちゃんは東大卒のケイコ先生を家庭教師にして外出禁止で勉強する。しかも小テストで合格点に達しないと食事抜きという過酷なもの。あるとき、合格点を出したご褒美に好きなものをあげると言われた坂本ちゃんは以前からファンだったマッキーのCDを所望する。「遠く遠く」がスタジオに流れた途端にケイコ先生と坂本ちゃんは抱き合って号泣する。

名も挙げ、金銭的にも何不自由もない槇原はなぜ苦しみながらも曲を描き続けるのか。端的に言ってしまえば、それは坂本ちゃんのようなファンがいるからだ。

その時期、槇原は事件のために謹慎中だった。テレビを観ていた槇原は復帰後、坂本ちゃんをコンサートに招待し、楽屋に呼んだという。

「実は(「電波少年」)の勉強中に槇原さんが復帰アルバムを出されて、そこに収録された『Ordinary Days』という曲には『ちょうど蝉が鳴き始めた』『賢くなって自分を守れ』という歌詞があるんです。今でもあの曲は私に対しての応援ソングだと思っています」
(坂本ちゃん)

この復帰アルバムには自省と感謝を込めた「太陽」という曲が入っているが、それにはこんな歌詞がある。

「誰かのための幸せを当たり前のように祈りたい 今の僕に必要なのはただその一つだけ」

この短い歌詞には槇原のファンに対する後悔と懺悔、そして感謝の念が身を切られるほど詰まっている。この「当たり前」という言葉は歌詞に頻出する。「君は僕の宝物」にも「五つの文字」にも。これは私には「スポットライトを当てられているからといって、僕だけが特別な存在じゃないんだ。皆さんも毎日を真摯に生きているから、そのおかげで僕も生きていられるんだ」という彼の溢れるような叫びに感じられる。

コンサートが終わって外にでると、長蛇の列ができていた。今回の「宜候コンサート」のボードと写真に収まろうとしているファンの人たちだった。最後尾に並んだわれわれの順番が来た時に、前にいたファンが写真を撮ってくれた。

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