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「名前も知らない友人」と繋がっていたときの話。

こんにちは、みきちむです*

わたしの住んでいる大阪では現在ご存知の通り、緊急事態宣言真っ最中です。私も準じて、買い物や整体など以外ではほぼ外出をしておりません。唯一楽しみと言えば、毎週金曜日に朝の番組「スッキリ」内で放送されている男性ボーカル&ダンスグループオーディション「THE FIRST」を観ることくらいかな…(主婦かよ…)※今までのオーディション番組と違って審査する側のSKY-HIさん自身が審査される側に寄り添って審査を行っていく様子が面白いのでよかったら見てください!まだわたしは推しを定められていません…自分も万が一プロデュース側だったらという視点で楽しく拝見させてもらっています♪

ときどき、今でも思い出すことがあります。

私がティーンエイジだったころ。今ほどインターネットは普及していなくて、固定電話の回線をひっこぬいてパソコンに線を繋ぎ、世界と繋がっていた。(今の若者に通じるかとっても不安なんだけどこれ…)

中学生からいわゆる不登校児でゆいいつ外の世界と繋がれる手段がインターネットだった。

うちにはパソコンは共用の1台しかなかったから、朝方父親が仕事に出かけるのを見計らってひきこもっていた自室を出て、パソコンのある父の部屋に入り浸って父が帰宅する夜まで、ほぼ1日中インターネットの世界にいた。

わたしが出入りしていたのは、いわゆる「掲示板」というやつで。よく出入りしていたのは「中学生」「不登校」などのキーワードで検索して入った掲示板だったと記憶している。
そこで仲良くなって毎日書き込みを残すようになった女の子がいた。だけど実際に女の子だったかもわからない。顔も住所も知らない、同じような境遇の子、たわいもない話をたくさんしたけれど、いつしか卒業して今ではもう思い出話だ。…あの子はいま、どうしているだろう?

その後、10代後半のとき。スカイプというものの存在を知って、インカムを手に入れた私はすっかりとその魅力にはまっていった。
※スカイプ…無料で使用できるチャット、音声通話ツール。現在はどうなのかわからないのだけど、当時はアカウントをオープンにしていれば、知らない人ともチャットや会話ができた。

スカイプでは、全く知らないひとと繋がることができて、淋しさを紛らわすためお互いに特に用もないのに1日中会話を繋ぎっぱなしなんてことも。

今となってはもう連絡を取り合うこともしていないのだけど、何度か実際にも会っていっしょに鍋を囲んだこともある人や(友人と呼ぶには歳が離れすぎている)、チャット上でしか会話をしたことがないけれど「友人」だった人、「アニキ」と呼んで親しくしていた人、心を患っていて通話を繋いでいた最中にODで倒れ仲間内で救急車を呼んだ子…、そんなこともあった。

生きていく上で人が避けられない「淋しさ」を埋め合った、顔も実際の歳も本名も、「名前も知らない友人」のことを、わたしは「友人」と呼びたいし、人生において有意義な時間だった、と思っている。

もう押すことはないのかもしれないけれど、「友人」の携帯電話の番号を、いまだ消すことはできないでいる。

*みきちむ
雑多な文書ですが読んでくださりありがとうございます。
身近なところまでコロナの手が伸びてきています。どうか、繋がってくれている皆さんが元気でいてくれることを願っています。

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