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///展覧会///民藝とその周辺作家たち///開催案内

皆さん、こんにちは。私たち姫路 三木美術館では1年に4回の展覧会を開き、その折々にあう美術作品を愉しんでいただいています。現在開催中の陶磁器の展覧会「民藝とその周辺作家たち」について少しご紹介させていただきます。開催は2022年8月26日(土)までですのでどうぞお見逃しなく!

「民藝とその周辺作家たち」に込めた思い


 先月あたりから姫路を訪れる外国人観光客の方もぐっと増え、街が賑やかになってきたように見受けます。今年は姫路城の世界遺産登録30周年を記念してさまざまなイベントが開催予定ではありますが、6月の姫路といえば「姫路ゆかたまつり」です。この3年はコロナの件があり中止となっていましたから、実に4年ぶりの開催となります。駅前から国道2号線との交差点までの大手前通りが夕方から夜まで歩行者専用となり、浴衣姿の姫路市民がそぞろ歩きを楽しみます。道には露店も並び、その向こうには姫路城が。地主神を祀った長壁神社の例祭で、特別なアトラクション等があるわけではないですが、色とりどりの浴衣に身を包み夕方の街を散歩するこのお祭りで姫路市民は夏の到来を感じるのです。
 「姫路ゆかたまつり」のように何気ない日常生活の中に小さな喜びを見出せることは、昔も今もとても幸せなことだと思います。6月の展覧会は生活の中で育った工芸品である民藝に目を向けます。日常で使用するものではありながらも、その素材のもつ味わいを慈しみ、作り手の手業に感じ入る。改めて日常にある暮らしの美しさを見直すことにも繋がります。ゆかた姿での鑑賞も歓迎しております。

展示品の一部をご紹介します


 
作品タイトル:三色手壷 作家名:河井寛次郎

制作年:1960年代頃


島根県安来生まれの河井氏は松江中学へ通う頃より陶芸を目指したといわれています。東京高等工業学校(現在の東京工業大学)で窯業を学び、卒業後の1914年に京都市立陶磁器試験場(旧名称)に入所しました。京都市立陶磁器試験場は茶器などを中心に一大ブランドとなっていた京焼のさらなる発展を目指し、高度な技術者の養成や陶磁器製造における研究をする専門的な機関としてつくられたものでした。河井氏が入所した2年後に京都市立陶磁器試験場に入所してきた濱田庄司氏と共に中国陶磁器や釉薬の研究に明け暮れたそうです。特に釉薬においては1万種類を研究したと伝えられています。大正9年(1920年)30歳の時に、京都五条坂に窯(鐘渓窯)を手に入れ、住居も併設しました。個展でデビューした際の作品は高い技術力と研究の成果を詰め込んだ華やかなもので、たいへんな反響を呼びました。しかしその評価や名声とは裏腹に河井氏は作陶の本質を追求するようになります。

画像提供:河井寛次郎記念館

そして思想家であり美術評論家でもあった柳宗悦氏、英国から帰国した陶芸家の濱田庄司氏らと共に民藝運動を提唱していきます。無名の職人が生み出す日用美を広め、新しい日用品を生み出すことに努めました。「暮しが仕事 仕事が暮し」と常に語っていたとおり、自らも人間国宝や文化勲章を辞し、一陶工であることにこだわり続けました。それは一度得た名声や権威から評価されることよりも、常に作品で勝負し「その作品を評価するのは民衆であるべきである」と生涯を通じて体現したといえるのではないでしょうか。
本作品は1960年代、70歳代の最晩年の作品です。赤、黒、緑の強い色彩の釉薬を打ち付けた抽象的な模様が浮かび上がった民藝の精神を宿しながらも河井寛次郎氏独自の作風が光る生命力あふれる作品です。ぜひご覧ください。
また自身の設計で自宅を建築し家具や調度品も手掛けるなど木彫家、建築家としての才能も見せました。それを間近で感じることのできるのが、河井寛次郎記念館です。ご興味のあるかたは、そちらもぜひ足を運ばれてみてください。



 作品名:塩釉繪刷毛目扁壷    作家名:濱田庄司       

制作年:1960年代以降  

濱田庄司氏もまた河井氏と同様に中学時代に陶芸家を志すようになったと伝えられています。東京府立一中(現東京都立日比谷高等学校)を経て、大正2年(1913年)に東京高等工業学校(現在の東京工業大学)の窯業科に入学。その2年上に先輩としていたのが前述の河井寛次郎氏でした。卒業後も京都市陶磁器試験場(旧名称)で先に入所していた河井寛次郎氏とともに陶芸における技術や釉薬の研究に没頭したと伝えられています。そしてちょうどその頃に後に民藝活動を提唱することになる柳宗悦氏とも出会っています。また来日していた英国人の陶芸家であり画家、デザイナーでもあるバーナード・リーチ氏とはその柳氏を介して親交を得、バーナード・リーチ氏が帰国する時には誘いを受け、一緒に渡英。イギリスの西南端のコーンウォール地方のセント・アイヴスで4年間窯焚きを行いました。        

画像提供:(株)濱田窯

イギリスでの個展の成功後に帰国。イギリスで体験した田舎での暮らしを魅力に感じた濱田氏は拠点を栃木県の益子に定め、1930年から約10年をかけて古民家を移築するなどして自分の仕事場と生活の拠点を作っていきました。その間にはバーナード・リーチ氏と共に民藝活動を物心両面からサポートしていました。
1955年に重要無形文化財『民藝陶器』保持者に認定され、文化勲章を受章。
今回展示する作品は、塩釉というドイツ生まれの技法によるもので、濱田氏が取り組み始めたのは1964年頃から。刷毛目の模様が無造作に入っていますが、趣のある作品です。

上記作品の他にも縄文象嵌の独自の作風を確立した島岡達三氏、民藝運動に参加して影響を受けた富本憲吉氏など名だたる作家の見応えのある展覧会となっております。

ご紹介した「姫路ゆかたまつり」の情報はこちらです。

                            [企画制作/ヴァーティカル]

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