胃がん手術当日②

勇気を振り絞って手術室へ向かった父。が、腹膜播種があれば手術は出来ません。不安が波のように押し寄せますが、同室のTさんに励まされながら手術が終わるのを待ちます。

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「荒井さん」呼ばれて振り返るとU看護師が立っていた。
「終わりましたよ」
 時計を見ると14時半。U看護師は悲しそうな、申し訳なさそうな顔をして笑っている。行ってきますとTさんにお礼を言い、病室を出た。
「やっぱりだめだったんですね」
「…先生からご説明しますね」
「予想はしてましたけど…」
「先生からお話がありますので」
 それ以上のことはU看護師の口からは言えないとわかっていても、何か話していないといられなかった。
 先ほどと同じ、手術室のある階にエレベーターで降りる。家族説明室という部屋に案内された。ノックして中に入ると、M先生が私に背を向ける形で、ホワイトボードにマジックで胃の図を書いていた。
「腹腔鏡で腹膜の細胞を取って調べたんですが、かなり広範囲に播種がありました。腹膜のどこを取ってもがん細胞が出てきます」
 胃全部ががんに侵されているだけではなく、腹膜全体にもがんが広がっていた。どこを取ってもがん?そんなに悪いの?そんなに、そんなに父のがんは進行しているの?
 言葉が出てこないというのはこういうことなのだろう、と思った。
「もう、助からない…?」
「…こんな状態では」
 私は額を手で押さえ、下を向いて声を出して泣いた。先生が前に座っていることなんてどうでもよかった。とにかく我慢出来なくて泣くしかなかった。父はもう、助からないんだ。がんは治らないんだ。
 大好きな「白い巨塔」のワンシーンを思い出す。江口洋介さん演じる里見助教授が、病院で営業を行っている最中に倒れた製薬会社勤めの女性患者に、末期の胃がんであることを告知する場面だ。余命を尋ねた女性は、里見から「人の命は医学では計り知れないものがあるから、わからない」と言われ、持っていた手帳を里見に投げつけ、こう叫ぶのだ。
「私は、知ってるのよ。がんになった人が、どういう死に方するのか…!」
 そう、私も知っている。母が死ぬのを見ている。末期がんの患者さんのカルテを沢山読んでいる。Hクリニックの副院長が、末期がんの患者さんの往診に行っているのを見ている。父はどうなるんだろう。がんに苦しめられ死んでいくのだろうか。
 先生はしばらく何も言わずに私が落ち着くのを待っていたが、口を開いた。
「手術が出来ないとなると、今後は抗がん剤治療をしていくことになります。ただ、荒井さんは腎機能にも問題があるので、使える抗がん剤が限られてきます。腎臓に負担をかけない、肝臓で代謝されるタキサン系の抗がん剤を使うことになります」
 すでに麻酔は覚めていて、もうすぐ処置が終わりICUに移動するはずだから、また呼ばれるまで外で待ってくださいと言い、先生は部屋を出て行ってしまった。淡々としてクールな先生だなあ、さすが外科医。でもこういう、患者に肩入れしないところが最後まで好きだった。
 家族説明室を出、どうしようもない気持ちでソファに座る。部屋の前にある外待合のようなロビーは薄暗く、誰もいなかった。そんな陰気な場所にいるとますますどうしようもない気持ちになり、頭を抱えた。ICUに呼ばれるまでの時間がとてつもなく長く感じてイライラした。ふとソファを見ると、座面に小さな水滴が一粒落ちている。もしかしたら、先に私のようにここで涙を流した家族がいたのだろうか、と思いを巡らせる。
 ようやく名前を呼ばれてICUに案内してもらえた。荷物をロッカーに入れ、手を消毒し、中に入る。広い空間が3つほどに区切られ、ベッドに患者さん達が寝ている。父は一番右端のスペースにいた。血圧や酸素濃度を測る機械につながれ、酸素マスクをつけて横たわっている。そばへ行くと、うーあーとうなっている。涙が勝手に出るようで、ポロリとこぼれる。看護師さんがティッシュで拭いてくれる。
 美紀、来てくれたんか、とかそういう家族にかける言葉ではなく、開口一番出てきたのは「おしっこ行きたい」だった。導尿のカテーテルがとにかく気持ち悪いらしい。ICUを出るまでの間に、何度この言葉を言っていたかわからないくらいだ。看護師さんが、しょうがないわねえと苦笑いしている。
「胃は取ったんか?」と、酸素マスクのせいで聞き取りづらいが、父が私に尋ねてきてハッとした。どう説明しよう。
「ううん、取ってないよ。取らんでいいことになった。だから胃はあるで。大丈夫」と答え、また涙がこぼれ落ちるのでティッシュで拭いてあげた。ゴホゴホと咳も出て苦しそうだ。しばらく滞在したが、また来るねと言って外に出る。夫が仕事を終えて来てくれるまで、病室に戻って待つことにする。
「どうやった?」と心配そうに出迎えてくれたTさんに、私は力なく首を横に振ることしか出来なかった。「そうか…」
 Dさんの奥さんもやって来て、「何か私まで泣けてきたわあ」と目頭を押さえている。TさんもDさんももうじき退院するとはいえ、大きな手術を終えたばかりなのに、父のことで心配をかけてしまって申し訳なかった。が、Tさんは笑顔で私を励ましてくれた。「これから抗がん剤で治療していくうちによくなって、手術が出来るようになるよ」Dさんも、Dさんの奥さんもうなずいてくれている。
 M先生には「もう助からない」と言われた。希望は少ないだろう。でも、みんなの気持ちがありがたかった。
 そうしているうちに、間もなく病院へ着くと夫から連絡が入る。みんなにお礼を言って病室を後にし、病院の出入り口まで迎えに行った。
「おお、ちょっとあかんな。どうする?外でしゃべろうか」
 この世の終わり、とでも言わんばかりの顔をしていたのだろう。携帯で近くに喫茶店がないか調べてくれた。駅の近くに小さなカフェがあることがわかり、歩いていく。ロッジ風で2人がけのテーブル席が3つほどのとても小さなカフェで、これでは話し声が周りに聞こえてしまうと思ったが、他にお店が見つからなかったのでそのまま入った。
 2人でコーヒーを飲みながら、腹腔鏡の結果について話した。涙涙で、もう何を話したのかさっぱり覚えていない。何でやねん、これからどうしたらええねん、と弱音ばかり延々吐いていた気がするが、夫は黙って耳を傾けてくれた。1時間ほど話した後、夫と共に再びICUの父の様子を見に行った。
 先ほどとは打って変わって、酸素マスクはすでに外されており、意識も少ししっかりしてきていた。涙が勝手に流れ出たり、咳をする様子もない。「点滴ばっかりや」とぼやいたり、腹腔鏡で出来たお腹の傷のことを「かゆい」と気にしたりしている。明日の朝には元の病室に戻れるそうだ。30分ほど話し、退出する。
「どうする?帰る?」という夫の問いに、私は答える。
「Hクリニックに行きたい」

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