胃がん手術当日①

 翌朝、11時頃に父の病室を訪ねた。手術は13時からなので、準備を手伝うつもりで早めに行ったのだが、父はもうすでに手術衣に着替え、紙パンツと血栓防止の着圧ソックスを履き、所在なさげにベッドに座っていた。看護師さんに手伝ってもらって着替えたそうだ。点滴の代わりに飲むようにと渡された経口補水液も無事飲み終わっている。ベッドの周りのカーテンは閉められ、手術が終了して病室に戻ってきたら使うであろういくつかの機械が置かれている。
「便が出てないねん」昨晩、下剤を渡されて飲んだが、出なかったという。看護師さんが様子を見に来る度に「便が出ない」と口にしている。「大丈夫やから、気にしなくていいよ」と言われても、別の看護師さんが来るとまた「便が出ない」の繰り返し。枕が変わると寝付けないからと睡眠薬ももらい、一応22時半頃から、3時に一度トイレに起きるまではしっかり眠れたようだ。
 昨日のうちに、手術が終わった後ICUに入る際に必要な荷物はまとめておいたので、着替えも済ませているし後は迎えが来るのをのんびり待つだけだった。が、父にとってはこの「のんびり待つだけ」が苦痛なのも知っていた。とりあえず横になると、うつらうつらし始めた。それを見守る私。夫は今日も仕事で、終わり次第かけつけてくれることになっていた。
 同室のDさんの奥さんが面会に来ているようで、カーテン越しに話し声が聞こえる。Tさんと、DさんとDさんの奥さんと3人で話しているらしい。「病は気からって言うけどね、あれはほんまでね、ムスッとしてたらよくなるものもならない。吉本新喜劇とか見て、いつも笑ってたらがん細胞が消えて病気も治るんだよ。笑うのはすごくいいことやね」その通りだとカーテンの中で私も黙ってうなずく。その通りやけど、父は打たれ弱いから、しんどいときは自分の殻に閉じこもってしまうからな…。
 と、目を覚まして話を聞いていた父が「アハハ、アハハ」と布団の中で小さく声を出して笑い始めた。「そうやな、笑っとこ笑っとこ」と私も一緒になって笑ったが、そんな風に開き直った父を見るのは初めてだった。必死で笑顔を作りアハハと棒読みで声を出している姿は滑稽だったが、そうやって開き直らなければならないくらいの不安と緊張に襲われているのだろう。何だか切なくなってくる。
 その後、何度かトイレに入ったが結局便は出ず、とうとう13時になり担当のU看護師が迎えに来た。「じゃあ、行きましょうか」「便が出なくて…」「うん、もういいよ。出てなくても大丈夫やから」
 病室を出るとき、談笑していたTさん達が「がんばって!」と応援してくれた。それに応えてガッツポーズをする父。そんな姿も初めて見た。驚いた。正直、かなり驚いた。
 ナースステーションでも「荒井さん、手術行ってきます」「がんばってください!」の声に大きく腕を振り上げ、看護師さん達から拍手と声援をもらっていた。人間、極限状態で開き直るとこんなことが出来るのか?本当にそんな姿は今まで見たことがなかったのだ。父ではない父がそこにいるみたいだった。
 病棟を抜け、エレベーターに乗る。「わき腹が時々痛いねん。転移してるんかなあ」「してないしてない」笑顔でさらりとかわすU看護師。痩せているので、少し動くと前開きの手術衣がはだけてきてしまう。何度もそれを直しながら、歩いて手術室の前までやって来た。自動ドアの前で「娘さんはここで待っていてください」とU看護師が言い、父と2人で中に入っていく。
 じゃあ、お父さんがんばってと言うと、父は振り返らずにまた大きく腕を上げてみせた。通路を曲がり、2人の姿が見えなくなると、こらえ切れなくなり涙が流れた。
 どうかお父さんを助けてください。手術が出来ますように。腹膜播種なんかなくて、無事、胃が取れますように。
 泣きながら手を合わせている私のそばを、看護実習生の女の子達が何人か通り過ぎていく。婦人科系の手術をしたらしい女性の患者さんがストレッチャーに乗せられて運ばれていき、ドクターが手術で摘出した肉片が入ったシャーレを持って出てきた。涙を拭って、U看護師が戻ってくるのを待つ。10分ほどだったはずだが、とても長い時間に感じられた。
「荒井さん、最後の最後まで気にしてましたよ。先生にもまた便が出てないこと話してました」と笑いながらU看護師が戻ってきた。「人に迷惑をかけるのが嫌なんですね」よく言えばそうなのかも知れないが、神経質なだけですよと笑って、来た道を戻る。
「手術出来ないかも知れないんですよね」
 胃を全摘ということになれば、手術の終了時刻は16時か17時頃になる。出来なければ、腹腔鏡での検査が終わり次第すぐに呼ばれるだろう。それまで病室で待っていなければならない。
 病室に戻ると「お父さん、これで安心やね。よかったね」とTさんが声をかけてくれる。Dさんと奥さんはどこかに行っていていなかった。私は思い切って打ち明けた。
「違うんです。転移があって、手術出来ないかも知れないんですよ」
 ええ、そうなん、とTさんは驚き、まあ話をしようよと自分のベッドのところに私を呼んでくれ、見舞い客用のパイプ椅子を出してくれた。患者さんにこんなことをしてもらって申し訳ないと思いながらも、椅子に座りTさんと話す。ご自身の病気のことや、大好きな家族のこと、幼稚園に通うお孫さんがいることなど、色んな話を聞かせてくれた。手術が終わるまで私を不安な気持ちで待たせないようにしようという気遣いが伝わってきて、本当にありがたかった。
 Tさんは68歳。現役で仕事をしていたが、貧血で階段を上るのがどうにも苦しくなり、これはおかしいと思い検査を受けたそうだ。だが結果が出る前に自宅でどんぶり鉢いっぱいの血を吐いてしまい、奥さんに救急車を呼んでくれとトイレの中から頼んだ。奥さんは咄嗟に機転をきかせ、救急車が到着するまでの間にTさんを前開きの服に着替えさせたのだという。病院へ着いてからすぐに検査や処置が出来るようにという配慮だった。
 入院中も吐血し、ついた診断名は「手術不能・進行胃癌」。最初に挨拶したときにも言っていたが、がんは肝臓などあちこちの臓器に転移していたのだという。M先生に「手遅れになる前でよかったですねえ」と言われ、抗がん剤での治療を開始した。もし初診のときに、私が外来の事務員さんにかけあっていなければ、父もこんな風にストレートに告知を受けていただろう。
 そして前述したように、1年間の抗がん剤治療で転移は全て消えた。手術が決まったとき、北海道からいくらを取り寄せてたらふく食べた。すると血糖値が異常に上がってしまい、糖尿病の治療をしなければ手術が出来ないと言われてしまう。何とか血糖値を元に戻し手術を受けるまでの体験談を、ユーモアたっぷりで明るく聞かせてくれた。父のことが気になりながらも、Tさんの話を聞き一緒に笑った。

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