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遠くのものばかり美しく見える人たち

「身近なもの」も「遠いもの」も結局はわからない

「遠い」と「わからない」は似ているけれど、厳密には違うもので、だけどふたつは混同されがちだ。

私たちはたいていのものについては、手に入った途端わかった気になる。そのモノや人の意向は無視して、自分が手に入ったかどうかで「わかったorわからない」の判決は下される。

「事実など存在しない。あるのは解釈だけだ」と言ったのは、哲学者フリードリヒ・ニーチェ。これまでの人生を振り返ると彼の言葉はまったくその通りだと思う。今日まで私が手に入れたと思ってきたものは、他の誰かから見るとまったくのお門違いのようなことがきっとたくさんあったのだろう。現に私もそうやって、上だったり斜めだったりから、ただ解釈を重ねてきた。

そんな私がもしも、子どもの頃デパートで泣きじゃくって買ってもらったおもちゃに飽きた理由を聞かれたら、「おもちゃの対象年齢が4歳だったから」とか、あるいは、「そのおもちゃがモノとしておもしろくないものだったから」と答えるだろう。大人になった今、もう一度そのおもちゃと向き合い再び時を忘れてハマれたのなら、また違う理由を言うしかない。「このおもちゃがモノとしてとてもおもしろかったんです!」とか言っちゃたら、もうめちゃくちゃだなって。

私たちが「わかった」としてきたものって、全部に適用される事実なんかじゃない。「私は」の主語から逃れられない以上は、事実を唱えることなど一生かかってもできやしないのだ。そのときそのときの「私」というフィルターを通してのみ、それは真実となる。

つまり、なにを言いたいのかというと「私たちは自分以外の全てのものについて完全に理解することは不可能で、わかったと思っているあらゆることも、わかった気になっているだけ」なんだと思う。するとどうだろう、今まで身近に思えていたもの、心を通い合わせてきたと思っていた人のことも、急にとても遠く感じてしまうのではないだろうか。

けれど、現代に生きるたくさんの人は日常の忙しさにカマかけて、こういうふうに身近なものについて疑ったりすることはあんまりない。「常識を疑え」というのは最近の流行り文句なのかもしれないけど、常識よりも身近なものを疑うべきなんじゃないかと私は思う。でも実際は、身近なものには私も含めてみんな結構無頓着で、それゆえについついわかった気になってしまっているんじゃないかな。

そうして好奇心のままに生きられる子どもや向上心のあるほとんどの大人は、わからないもの、遠くのものばかりに心惹かれてしまうんだろう。「あれが欲しい」と、今では名前も思い出せないおもちゃを懇願していた子どものように。そういう状態のとき、身近なものの存在に関しては、一切の歯牙にも掛けない。理解の及ばない遠くのものばかりを欲しがる大人と、デパートで駄々を捏ねる子ども。体の大きさ以外に一体なにが違うのだろう。

ひとつ言いたいのは、私は遠くのものを欲しがる大人や子どもについては否定したいどころか、それは素晴らしいことだと思っている。「あれが欲しい」という欲求は人間に根源的に備わった能力で、それをフルに発揮することは心が健康な状態なんだと思う。「あれが欲しい」と言える人はエネルギーに満ち溢れていてその足取りは水たまりを飛び越えていくみたいに軽やかで、わたしだってそうなりたくて生きてる。というか、そうなれないと他人を僻んでしまったりしそうで。

だけど、遠くのキラキラばかり追いかけて近くの美しいものを見落としてしまっているようなことはないだろうか? 

そう思ったのは、私がバレリーナだった頃の写真を母が財布にしまっているのを知ったとき。

遠くのキラキラと近くのキラキラ

いつか、誰かが言った。

「遠くのものばかりが輝いて見えるのは、べつに近くのものがチンケでつまらないものだと思っているからではないんです」

そうそう、そんな単純な話じゃないよね、と私は心の中で言う。

正でないなら悪でなければいけないことはないし、白でなければ黒である必要もない。光でなければ影なわけでも、過去でなければ未来なわけでもない。なにを言いたいかというと、グレーなことや辻褄が合わないことの方がきっと世の中にはたくさんある。だから、遠くのキラキラばかりに心踊る人が、近くの人とか手のひらの日常を軽く見ようとしているとは思わない。

だけどやっぱり自明なのは、どうしてか私たちは、遠くのもの、わからないもの、今手に入っていないものがキラキラして見えるということ。そしてそれについてはもういっそ潔くなるか、嫉妬深くなる気持ちを押し殺して生きなければいけない。

私に関しての話をします。

もう10年以上も前、バレリーナをやっていた頃、看護師の母は9年間ずっと発表会の前には夜な夜な衣装をつくってくれていました。ある発表会の前、毎度のように母は仕事と家事を終えてから衣装につけるコサージュをつくってくれたのだけど、たぶんそれは他のひとが付けているものとはちょっと形や大きさが違っていました。

年上の女の先輩たちに「そんな大きいお花は下品」「年下のくせに目立ちたがり屋さん」と練習のときから小馬鹿にされていた私は、とうとうコサージュを本番の舞台でつけませんでした。本番後、「つけるの忘れちゃった」と嘘をついた私に「残念、似合ってたのになぁ」と笑った母の顔を今も忘れられません。お姉さんたちはそれ以降優しかった気がするけど、今では名前を思い出すことさえできないんです。

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私もあの人も、近くのキラキラを濁らせてどこか遠くへ。そうして身近なものには温度すら感じないようになって、吸って吐くのが当たり前の空気みたいに接して、自分の手元からそっと離れた途端、「薄情だな」と悲しんでみせたりする。一方的に悲しくなったりするときはたいてい、自分が与えた分のキラキラしか思い出せないとき。

私たちは「わかった」と思っているものについてはいつもどこか上からで、距離が近ければ近いほど、恐怖も好奇心もない。そこにあるのは所有という名の安心感。きっと親なんかがいい例で。親は子どもが一番最初に出会う「わからないもの」で、多くの場合子どもが一番最初に「わかるもの」なんじゃないかと思う。だから喧嘩ができるし、上京して音信不通気味になっても平気で実家に帰れる。これはわかったという安心感なしではできないことなんじゃないかと思う。

その安心感にどうやって気づけたんだろう? どうやって「わかった」を積み重ねてこれたんだろう?

親にとどまらず、兄弟、仲の良い友だち、恋人、おじいちゃんやおばあちゃん、つい1年前くらいに知り合ったようなひとでも。「わかった」になるまで何度も何度も擦り合わせることを許されてきたんじゃないかと思う。それはたしかに目の前に広がるわかりやすいキラキラじゃないし、擦り合わせなんてものは回数が重なるほど上書き保存されてしまう。それでも、「どんなに身近なものでもわからないのが本質だ」ということを前提にすれば、「今、そばにいる」ということだけでとても美しいものに思える。

もしかしたら本当に、遠くのものは抗えないほど光り輝いているのかもしれない。でも、いま近くにあるそれだって、「はじめまして」を交わしたときはきっと、初雪のように心を躍らせていたはず。

母がどこまで私を「わかって」いたのか想像できないけれど。今日22歳になるまで、間違っても結局は笑顔で許し、そこからも変わらずそばにいてくれる人なんて、私には片手で数える程しかいない。

私たちが「わかった」としてきたものって、きっと私たちがたくさん間違うことを「許されて」きたものだ。

遠くのキラキラを追いかけるのはもちろん素晴らしいけれど、近くの美しいものをどうかこれからの先の人生で傷つけたり忘れたりしませんように。東京が寒いと調子狂っちゃうなと、思いながら「日常が美しい」とはどういうことなのか考えてる。

どうせだったら遠くの綺麗なものと近くの綺麗なもの、どっちもある人生がいいな。

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