見出し画像

あなたがいない部屋でひとり思うこと

シャンプーの残り香、めくれた毛布、飲みかけのぬるい緑茶。あなたが残したものたちの中で、まどろみの午後を迎える。頭が痛いのは、きっと昨晩のアルコールのせい。

午前2時に私が歌ったラブソング、「ちょっと歌詞がストーカーっぽいんじゃない」と軽快に笑ったあなたは、次の日にはパタリと静かになって。私の心はお天気模様のように、その表情ひとつで簡単にかき乱される。

いつも強がって、「仕事が大切だから」とか「馴れ合いが嫌い」とか「酔っ払っても終電で帰るわ」とか、言ってしまうような私だけれど。でも今、それはそれは滑稽なくらいに、「あなたがどうか」ってことばかりを、8畳一間のドンキホーテの中で考えてる。

あなたが口数少なくこの家を出て行って、私はまずカーテンを開けた。それから、オーストラリアで買った紅茶を淹れた。顔を洗って、パソコンの電源をつけた。化粧をしてみた。もしも、あなたがまだここにいたらきっと「化粧をするの? だったら、やらせてちょうだい」と言って、くるくると上手にブラシを回してあっという間に私を可愛く変身させてくれるのに。すっかり化粧を終え鏡に映った顔を見て、「ああ、眉毛のバランスが悪いな」とため息を吐く。

あなたが今、ここにいないのは、天気のせいかしら。明日が月曜だからかしら。アルコールのせいかしら。心のモヤをいろんなもののせいにしてみたくなるけれど、けっきょく最後は「私が、間違っちゃったのかしら」に落ち着く。

ベッドに腰を下ろし、あなたが笑ったラブソングを流してみた。

「ああ、これはひとりで聴く曲だったのね」と、あなたの顔を思い浮かべながら思う。

別れた女に未練がましく愛を叫ぶその曲が、玄関先であなたを小さく引き止めた私に重なって、チリチリと胸が鳴る。

それから送ったLINEのメッセージ。「ごめんね」や「ありがとう」の文字の羅列はきっと、なんの役にも立たないだろう。言葉を仕事にしているくせに、言葉の無力さを思い知るのは、もう何度目? でも、本当に無力なのは言葉じゃなくて、私自身だってことにはとうの昔に気づいていて。

「タイミングとか、行動とかの方がずっと、私とあなたには大切だったよね」と、あなたが去ってから思ってみても、もう遅い。そういうのは、目の前にいるときに伝えなくちゃ意味のないものだから。

と、ここまで、あなたがいない部屋でひとり思うことを書いていたら、あなたからLINEの返事がきたから、慌ててその文字を追う。

「道路で子どもたちがバトミントンをしていたから、今度一緒に、バトミントンしようよ」

まさかバトミントンに誘われて、泣けてしまうなんて。と、思いながら、私はすっかり冷めた紅茶を啜った。

きっとまた、あなたは私の家の玄関のドアを、元気よく開けてくれるんでしょうね。さっきまで、悲しみの思い出が詰まった玄関が、たった一言でなんだか素敵なエントランスに見えてくるから本当にあなたって魔法みたい。

そうだ、玄関の電気が切れていたんだった。

あなたがいない部屋を、またあなたを迎えるためにちゃんと明るくしておくこと。やるべきことを見つけた私は、もう16時を回った今日、はじめてスケジュール帳を開いて、本日の予定の欄に「電球を買いに行く」と書き足した。

私があなたを好きだって思うのはいつも、あなたを待っているときかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?