写真を撮るのはカメラではなく…
映画「007黄金銃を持つ男」(1974)にこんなシーンがあります。自分に送りつけられてきた黄金の銃弾。その銃を発射する黄金銃を作る男を訪ねたボンドに、男が言います。
「ミスター・ボンド。人を殺すのは銃ではなく、引き金を引く指です」
たしかに。銃も、銃弾も、人が引き金を引いて発射しない限りただのモノでしかなく、それ自体は意思を持ちません。いささか物騒なたとえですが、名言だと思います。これをカメラと写真に置き換えても同じことがいえるでしょう。
自分は何に心を動かし、それをどんな風に見せて、何を伝えたいのか。重要なのは撮影者の意思であり、カメラはそれを具体化するための道具にすぎないということ。そのあたりがわかっていないと「いい写真が撮れるかと思って一眼レフを買ってはみたけど、何撮ればいいかわからない…」ということになってしまうわけです。これでは本末転倒。
もちろん「撮る」という物理的な行為自体が気持ちいいという人もいますので、一概に否定されるべきものではないですが、形而上学的な意味での「撮る」ということを意識するかしないかで、写真はずいぶん違ってくると思うのです。
高校生の写真コンクールの応募作品を見ていると、そのあたりが腑に落ちているかどうかは如実に表れてきます。「わかってるなあ(伝えたいことやその方法をちゃんと考えてるなあ)」という写真と「わかってないなあ(ただ撮っただけじゃん)」という写真と。
あ、ここで「顧問は何教えてるんだ?」などと顧問の先生を責めるのは筋違いです。写真部に限らず多くの部活動顧問の先生はソレの「専門家」ではないのですから。ただ、「写真って表現行為なんだよ」ということは教えてもらってもいいかもしれません。「同じ表現するなら『伝わった』方が楽しいよね?」と。そこが腑に落ちれば、高校生たちは顧問が手取り足取り教えなくても勝手に学んで、どんどん自分の写真を成長させていきます。
以前ここにも書いた「写真甲子園」に参加した生徒たちも、大会中のたった3日間で驚くほどの成長を遂げました。それは単に技術が向上したという話ではなくて、「写真ってこういうものなんだ!」という言葉にしにくい本質をつかんだ、ということなのではないかと思うのです。
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