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中学生の時に出会ったヤバいおっさんの話

当時、俺は山岡家というラーメン屋にハマっていた。

山岡家を知らない人も多いだろう。いわゆる油ギトギト味濃い目麺硬めという早死三段活用の権化のようなラーメンを提供する店なのだが、ハマる人はとてつもなくハマる。例によって俺は半端なくハマってしまい、毎日札幌中心街の山岡家に通っていたのである。

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いつものように母親がテーブルに置いていった1000円で山岡家を食べ終わり、さてどうしようかと店を出たところだった。突然、横っ腹に衝撃が走った。小汚いおっさんが俺にタックルをお見舞いしてきたのだと理解できたのは十数秒経ってからだった。
おっさんは何やら支離滅裂な言葉をぶつぶつと呟いており、それでもなお倒れた俺のことを心配しているかのような言動を見せていた(ように見えた)。「ああ、薬中だな」と俺は思った。

当時の札幌は合法ハーブ(今は脱法ハーブというらしいが)が全盛期を迎えており、なにやら違法化とそれを逃れようと少し成分を変えたものを売り出す売人といういたちごっこの様相を見せていたように記憶している。

何を隠そう、そのラーメン屋の後ろがそういったものを販売している店だったのである。それについては当時の俺も把握していたので、そこから飛び出してきて俺にぶつかってきたということは「そういうことなんだろう」と納得した。

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しばらく呆然としていると、おっさんがマーライオンに匹敵するぐらい(いや実物は見たことないけど)の勢いと量のゲロを吐き始めた。当然、ブツは倒れている俺に降り掛かってくるわけで、おっさんと俺は吐瀉物まみれの中見つめ合った。一切見て見ぬ振りをする通行人たちのよそよそしさも含めて、こんなの絶対おかしいよ、と人生の理不尽さに中学生の俺は悲鳴を上げていたのを覚えている。

ここで立ち去っても良かったのだが・・・だが、おっさんが何やら気持ち悪そうにしだしたのである。腹を抱えてゲロだらけになりながら苦しんでいるおっさんを見ていると無性に可哀想になってきて、俺は救急車を呼んだ。

救急車は10分もしない内に到着し、おっさんは手際よく車内に運ばれていった。さてこのゲロだらけの服をどうしようかと思っていると、救急隊員の方がチョイチョイと僕の肩を叩き、

「お父さんが呼んでいますよ」

と告げてきた。いつお前の息子になったのかと驚いたが、成り行き上どうしようもなかったことと、頭がパニックになっていたこともあり俺は救急車に乗り込んだ。

1200px-ナンバープレートも119の救急車P8132962

小汚いおっさんは病院につくとケロッと元気になり、俺が良い人だと褒め称えた上で「友だちになろう」と言い出した。ゲロをかけられて友達もなにもないし、一体何歳離れているのかもわからないので普通ならばそんな提案は受け入れなかったのだろうが、当時の俺は学校もほぼ行っていなく、いわば社会から隔離されたかのような状態であったため妙にそのおっさんに親近感を覚えたのも事実だ。そうして俺たちは連絡先を交換して別れた。

当時はまだメールだったが、俺たちは会話をし始めた。いわばメル友、みたいなものだったと思う(そういえば今はメル友とか聞かないな、完全に廃れたよね)。

その過程でおっさんが32歳と意外と若いこと、会社をやめて様々な薬に手を出していること、会社をやめた原因が奥さんにあることなどを聞いた。俺も日々感じていることや悩みなどを打ち明けつつも、微妙に距離は置いていた。というのも単純に歳上すぎるというのもあるが、どうやらおっさんは俺に依存し始めているように感じていたのだ。それは中学生の俺にとってはあまりにも重すぎる期待だった。

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そのように適度な距離感を開けながらも関係を続けていたのだが、ある日おっさんが号泣しながら電話をかけてきた。奥さんが自殺したのだという。俺は衝撃を受けながらも励ました。励ましながらもやはりそうなってしまったか、という思いが抜けなかった。

話を聞くところによると奥さんは結婚する前から精神が不安定だったようだった。刃物でおっさんを襲ってきたり、何度も自殺を繰り返したり、隔離入院を何度も経験したりと言った感じで、おっさんはそれでもなんとかしようとしたようだが最後には家を出ていって飛び降り自殺してしまったそうだ。

おっさんは俺にこう言った。

「俺くん、精神が不安定な人と心を通わせると伝染するんだよ。だから君も気をつけてね」

励まし続け、おっさんは最後にありがとう、と言って電話を切った。それから連絡はない。あれから何年も経ったが、今でも連絡はない。

ちなみに現在、俺はそこそこ精神衛生上の問題を抱えているが、この出来事とは何の関係もないと信じたい。

あれからずっと、無事であることを祈っている。


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