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日曜日は休息日だから(8.25-9.8)

8月25日(日)

1本のバゲットを切り分け、トースターで表面がカリッとするまで焼く。そこにバターを塗り、昨晩のグリル野菜と冷蔵庫にあったリコッタチーズをのせる。父が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、リビングでそれを食べる。母は同じテーブルでパソコンを開いて、海外の通販サイトを眺めている。マゼンタピンク、結構派手だね、でもママなら似合うかも、と話す。


9月1日(日)

中目黒の『onibus coffee』でどしゃぶりの雨を眺めながら松浦弥太郎さんの『いちからはじめる』を読む。20代、何度も読んだ本。花を買って、日記を書いて、藤井風の日産スタジアム配信のアーカイブを観る。


9月3日(火)

朝から目眩がするなあ、低気圧だなあ、と思っていたら、案の定クライアント先で貧血になってしまった。同行していた上司が、すぐにコンビニで飲み物を買ってきてくれた。外は雨が降っていたのに。夜、一年前は何をしていたのだろうと思って日記を読み返してみる。

誰かとの間にぼんやり光る心の繋がりを感じるとき、たとえ物理的にひとりだったとしても、ひとりなわけではないなと思う。反対に、物理的にはだれかといても、どうしようもなくひとりだと感じるときもある

冴えない気分の日はただ生活を営めばいい。ご飯を炊き、窓を開け、水回りを掃除して、音楽を流してコーヒーを淹れたら、気分が晴れてくるのを知っている。日曜日は休息日なのだから、それくらいが丁度いい。


9月4日(水)

いそいそと退勤し、東京出張に来ている彼と「焼肉おおにし」で合流。お互いの1ヶ月をダイジェスト版だね、と言いながら報告し合う。

寝る前に水平思考ゲームをした。相手が思い浮かべていた答えは「チーバくん」だった。あれこれ質問をして「とてもつもなく巨大な赤い犬」まで辿りついたとき、その姿をイメージして怖くなった。完全に怪物を想像した。


9月5日(木)

部屋に戻ると、彼が机で仕事をしていた。同じ机でわたしは遅い夕飯を食べる。実家みたいだ。まだ実家に住んでいたころ、仕事から帰って、遅い時間に夕飯を食べる私の横で、母はいつもパソコンを広げて仕事をしていた。誰かのそばでご飯を食べるのは安心するなあと思う。動物の本能なのかな?と気になって、Chat GPTに聞いてみた。

人間は社会的な動物であり、集団生活を営むことで生存のチャンスを高めてきました。食事を共有する行為は、歴史的に安全な環境であることを意味し、食事中に他者と一緒にいることは、外敵や危険から守られているという心理的な安心感を生み出します。


9月6日(金)

午前休をとり、恵比寿のユニクロでオンライン注文していたTシャツを受け取り、カフェで書き物をしてからオフィスへ向かう。ルーブル美術館にある犬の絵画だけを集めたデザインのUTを買った。

オフィスについて、異動してきたばかりの部下に「さっきこれ買ってね」と見せたら「それ欲しいと思ってました!」と良いリアクションが。まだ彼女のことを何も知らないけれど、犬好きということは知れた。

夜、三宿のケベロスで同僚とピザを食べる。喋り足りず、我が家で『架空OL日記』を見ながらおしゃべり。同僚が帰ったあと、『アリスのままで』を観る。毎年1回は必ず観る映画。スピーチのシーンで、いつも泣いてしまう。


9月7日(土)

頭の中では、完璧なおうちご飯をイメージしていたのにな。黒酢ソースの茹で鶏、いちじくとモッツァレラのサラダ。だけどまず、茹で鶏を失敗する。余熱で調理するはずだったのに、茹ですぎた。彼には茹で過ぎた鶏のことは伝えず「今日は麻婆豆腐だよ」と伝える。結局、その麻婆豆腐も彼がつくってくれた。茹で鶏は「平日のためのつくり置き」ということにした。


9月8日(日)

彼を駅まで送る。彼は京都へ、わたしは中目黒のCITY BAKERYへ。コーヒーを飲みながら日記を書いていたら、嬉しいメールが届く。

家に帰り、昨日作った茹で鶏と鶏スープ、麻婆豆腐を食べる。お腹いっぱいになって眠ってしまう。ちょっと眠り過ぎてしまったけど、日曜日は休息日だからいいか。

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