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「人新世の「資本論」」を読んで、気候変動問題の解決について考えさせられた

知り合いの勧めで、斎藤幸平さん著の「人新世の「資本論」」を読んでみた。
「人新世」と書いて、「ひとしんせい」と読む。聞きなれない言葉だ。

書籍の内容は、今後の地球を考える上で非常に重要だと思った。

細かい点は置いておき、かなり端折って私なりに理解した要点をまとめてみる。

・資本主義を続けている限り、気候変動問題は解決せず、地球の温暖化は止められない。ついには地球は人類の住めない場所になる。
気候変動問題を抜本的に解決するには、資本主義システムそのものを見直す必要がある。

・なぜなら、資本主義は儲けるために、利益の追求を限りなく求める。利益追求のために略奪する対象は、天然資源、食糧、人間(安価な労働力)、自然と広範囲に及ぶ。
そして利益追求の欲望に限度はなく、そのための略奪にも限度がない。しかし、地球の資源は有限であり、必ず限界がくる。

・略奪が全地球を覆い、消尽しつくす。それが「人新世」の時代である。
その被害は徐々に表面化していっているが、今後、今以上に、全世界の各地で異常気象や災害として現実に発生することになる。ツケが、自分たちのところへ戻ってくる。

本書を貫くテーマが、資本主義の否定だ。
思想的なことの議論だと反発を覚えてしまうが、思想的なことよりも、資本主義を継続していてはもう地球は持たない、という現実を教えられた。

気候変動問題は日に日に現実的なものになっている。そのため、先進国では気候変動を問題視し、それに対処するための様々な試みがなされている。しかし、いずれの試みも、資本主義・経済成長主義を前提としており、資本主義・経済成長主義を前提とした様々な試みは、気候変動問題を抜本的に解決することはできない、という。

・気候変動対策が新たな経済成長のチャンスととらえる「グリーンニューディール」も妄想である。生産過程にまでさかのぼってみると、問題をグローバルサウスに転嫁しているにすぎない。

・大気中から二酸化炭素を除去し、二酸化炭素排出量をマイナスにする技術「ネガティブ・エミッション・テクノロジー(NET)」も、実現しても大きな副作用が予想される。科学技術の発達によっては、地球環境問題は解決しない、ということ。

これは衝撃的だ。
私たちの身近なエコバックや、電気自動車も、生産過程にまで遡ったときに抜本的な解決にはならない、という。
では、どうすればよいのか?

資本主義、経済成長主義をやめ、欲望の資本主義を止めることでしか、気候変動問題は抜本的に解決しない。そもそも将来、このままでは地球はもたない、ということ。

私たちは、これまで資本主義により経済発展の恩恵を受けてきた。
現に日々の生活では、資本主義のおかげで、非常に便利で快適な生活を謳歌している。

しかし、今後、全世界で地球人口が爆発的に増加することが予想されている。(2021年の世界人口は78億7500万人。 2030年に85億、2050年には97億、2100年には109億人に達すると予測されている)

人口増加が特に予想される後進国が先進国の資本主義的ライフスタイルを希求し、世界中で欲望の資本主義が地球を覆い、資本主義的ライフスタイルが世界中に広まった時、もはや地球はこれまでのように人類を育むことはできなくなる。地球の限界越えで地球人類が生存できなくなる。

これが、欲望資本主義の果てにある未来である。

では、どうすればよいのか?

・資本主義システムから脱却し、経済成長に依存しない経済システム。人間と自然を最優先にする経済システム。公正で、持続可能な社会へ移行しなければ、地球人類の将来はない。

儲かればいい、自分さえよければいい、という欲望の資本主義、エゴの資本主義に終わりを告げ、エゴではなく、みんなが生かしあう社会システムを構築する必要がある。

以前は私も資本主義が世界中に広まることで、世界中のみんなが豊かになる、資本主義が世界の繁栄をもたらす、と思っていた。
しかし、地球の資源が有限であることの観点が欠落していた。

私たちは紛れもなく地球によって生かされている生命体である。
空気があり、水があり、日光があり、緑があり、それらは無償で提供されている。
地球や太陽の恵みなく、私たちは生きてはいけない。

地球は長い年月をかけて地球人類を育んでくれているのだ。

そのように私たち地球人類を育んでくれている母なる地球を傷つけて、感謝を忘れ、利益追求に明け暮れていてはいけない。

エゴの追求、奪い合う世界だからこそ、無駄なものを生産し、無駄な消費をする。結果的に地球がもたない。

そうではなく、地球人類が生かしあい、モノや資源を大切にし、分かち合えば、人類に危機は訪れない。地球は人類が困らないだけのものを与えてくださっているはずだ。

もうエゴの追求はやめるべき時だと、そのような警告を本書は提示してくれていると思う。

・信頼と相互扶助の「コモン」という考えを重視した社会システムへの転換が必要である。

とはいっても、私たちは資本主義の生活に慣れきってしまっているし、個人一人では社会システムの転換なんて出来っこない。

社会システムの転換ができないまま、時間を浪費して、いずれ気候変動問題は取返しのつかない限界点を超えて、地球人類に襲い掛かってくる。

その時になってはじめて、人類の生存を脅かす危機を経験してはじめて、多くの人々が気づき、人類は新たな社会システムを模索するのかもしれない。

わたしたち地球人類は、地球によって生かされている存在であり、助け合うべき存在なんだ、ということを認識することが原点ではないかと思う。




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