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佃新古細工#08/先々の時計になれや小商人

僕の子供の頃には、納豆売りの自転車が、ウチみたいな狭い露地の中まで入ってきてた。

露地ったって、けっこう長細い露地だったから、外の通りで「なっとぉ~!」って言われても「オャ!納豆屋さんだよ」と気がついて買おうと思って路地出たころには、もう居なくなっちまってる。だから小商んどは、ちゃんと露地裏まで回ってくれてたんだ。えらいもんだよ。それもきちんと同じ時間にね。
「先々の時計になれや小商人」という奴だ。
で。朝いちばん。「なっとぉ~」という声が聞こえると。...
ウチの一階に間借りしてた叔母の声がする。
「ちょいと納豆屋さん」
その小粋に、鼻にかかったアクセントは今でも耳の中に残っている。で、同時に「おい納豆屋ァ」という掛け声が続く。叔父さんの声だ。同じ部屋で、同じ炬燵に座ってンだから、二人で呼ぶこぁないと思うんだけど。いつも二人で呼んでた。
で。二人で自転車の後ろに積んでる箱の中の藁に包まれた納豆を選んでる。苞を見ただけで良し悪しを見分けるのは江戸っ子の技量だ。
「ぜんぶ、こんなんかい」と買い渋る叔母を怒鳴りつけて買うのは、いつも叔父である。その返す刀で納豆屋を叱るのも叔父だ。
「ダメじゃねぇか、こんな納豆もってきやがって。しかたねえ、シとつだけ置いてきねぇ。明日っから、もっとまっとうなもン持ってこねぇと、承知しねぇぞ」
納豆売りはペコペコと頭を下げてお金をもらうと、そそくさと行ってしまう。
叔母は、買った納豆をすぐに苞から小鉢に出して、からしを混ぜて、熱いご飯に乗せる。それが二つ。叔父は、そのひとつを受け取ると、叔母が座る前にチャッチャッと素早くかき回して、鼻の上に皺を寄せながらガサガサっと掻っ込んでいた。

で。僕はと云うと。目の前にあるのはフレンチトーストとホットミルク。我が家は米軍籍だった父が亡くなった後も洋風だったから、朝は必ずパンだったのだ。
まったくもう。。ほんとに熱い白飯に乗っかった納豆・・憧れたね。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました