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佃新古細工#14/焼けば焼くほど 募ると知れど 見ていて浮気は させられぬ

元佃で、母と同居していた伯母は、摺師だった。工房は新佃側。清澄通りの向こうにあった。土曜でも日曜でも「数モノ」があるときは、昼過ぎから工房に行っていた。 新佃も月島も長い間、家内工業の町だったから、云ってみれば"特殊な"印刷屋として、伯母の商売は十分成り立っていたのかもしれない。

あ。摺師って何よ?と言われちゃうかもしれないから一応説明すると、浮世絵の世界。あの世界は、絵を描く人・その絵をベースに版木を作る人・そしてその版木を使用して刷る人が、完全分業化しているのだ。夫々が、絵師・彫り師・摺師と呼ばれていた。いわゆる北斎とか歌麿とかは、絵師ね。彫り師や摺師にハイライトが当たることは極めて少ない世界でもある。

伯母は摺師だった。とはいっても年がら年中、浮世絵を刷ってるわけじゃなくて、ちょっと豪華な年賀状や案内状なんかも刷っていた。そんな仕事を「数モノ」と読んでいた記憶がある。きっと単価は低いけど、いっぱいあるんで「数モノ」と読んでいたんだと思う。

土曜日の午後や日曜日の午後。僕は時々、母からお遣い物を持たされて、伯母の工房へ行った。僕は伯母の工房へ行くのが好きだった。伯母は必ず小遣いをくれたし「ああ・ちょうどいいわ。これ溶いて」とか言われて、顔料の調合の手伝いをさせられることもあって、その時はわりと沢山、ご褒美がもらえた。
そして、ひとしきり仕事が落ち着くと、作業台の下から伯母は電気コンロを出す。
「よっこらしょ」と立ち上がって、天井からブル下がった電球が付いてる二股ソケットへ、電気コンロのコードを差す。
きたきた♪ はじまった(^^♪
「そんじゃ、はじめるかね」伯母はそういうと、台所から満々とお茶が注がれた湯呑と、お茶うけの袋を持ってくる。
お茶うけは、みたらし団子だったり、カステラの耳だったり、芋ようかんだったりした。それを網を乗せた電気コンロの上で焼く。これが絶品なのだ。
とくに少し硬くなった、みたらし団子は豹変して香り豊かなふくよかな贅沢品になる。これを伯母が、割りばしで、ひっくり返しながら言う。
「ちょぃとお待ちよ。すぐ焼けるからね。」
そして鼻歌で都々逸を唄った。
「やけばやくほどぉ♪ つのるとしれど 見ていてぇうわきぃわぁあ させぇられぇぬう♪」
焼けるのが待ち遠しくて、しまいにはこの伯母の鼻歌を色々憶えてしまった。 あぁ、そういえばこんなのもあった。
「恋に焦がれて なくセミよりも なかぬホタルが 身を焦がす」
しかし・・まったく小学生に聞かせる唄か、って。
がっこのべんきょは憶えなくても、こういうのはすぐ憶えたね。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました