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佃新古細工#07/佃小橋の傍にある日の出湯のこと#01

ノ手の坊ちゃん嬢ちゃんのお宅はいざ知らず、隅田川周りの家にはウチ湯なんかなかった。みんな銭湯に行ってた。だから町内には幾つも銭湯があった。でも不思議と銭湯の掛け持ちをする人はあんまりいなかったんじゃないかなぁ。そんな気がする。

元佃に居たころの、通いの銭湯は佃小橋の傍に有った「日の出湯」と決まっていた。
すぐそばに駄菓子屋があって「湯屋に行っといで」と叔母から渡される小銭には必ずソこで買い食いする分が乗っかっていた。そして「帰りによるんだよ」と釘さされた。
なんで、釘さされたかというと・・なんか三平みたいないいかた。
風呂上りか風呂に入る前か、かならず銭湯へ行くときは寄り道してたんだ。かならずね。・・前か後かは、そンとき駄菓子屋に友達がいるかいないかだったね。
駄菓子屋の前に1/4畳くらいの鉄板が乗った"焼き"があって、ここで"もんじゃ"を作ってもらうんだけど、友達が屯してるときは素通りできないんでね、ついついその中へ混ざることになる。
"もんじゃ"ったって、いまのインフレもんじゃじゃないよ。至ってシンプルで、汁に溶いたうどん粉、キャベツ、刻んだ干しイカ・・アミといってたかな・・それだけのもんだ。

もともとは「文字焼き」といって、駄菓子屋の伯母さんが鉄板の上でうどん粉を溶いた汁で字を書いて焼いてくれたもンだったらしい。僕らのころはもう今のような形の原型にはなっていたな。
別にこれといって好きな駄菓子じゃなかったけど、友達との話が出来上がって、しまいには銭湯代まで使っちゃったりもした。そんなときは桶持ったまま家に帰る。
んで「また使っちゃったんだ!」と叔母に怒られることになる。
「ともだちにゴッソウしちゃったんだ。」と僕が言うと
「まったく気前ばっかりはいいんだから!」と叔母が言う。
そうすると宮したで何か拵えモノをしてた叔父が言う。
「いいじゃねぇか。いまに立派なオヤブンにならあな。」
立派なオヤブンにはならなかったけど・・気前の良いのは変わンないまま年食っちゃったなぁ。
いまじゃ嫁さんに「まったく気前ばっかりはいいんだから!」と言われてます。はい。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました