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ボルトーれきしものがたり

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2020年12月の記事一覧

ボルドーれきし ものがたり/3-3"エトルリア"

ボルドーれきし ものがたり/3-3"エトルリア"

相変わらずガリアとローマの話は、ローマ側の一方的な話を聞きながら進めるしかない。 したがって僕の姿勢は「彼が何を言ったか」ではなく「何が彼にそう言わしめているか」に終始する。
ティトゥス・リウィウス「ローマ建国史(岩波文庫)」を横に置きながら続けたい。

紀元前390年、ガリアの族長ブレンヌスがイタリア半島を南進した。最前線で矢面に立ったのはエトルリア(ギリシャ語ではティレニア)だった。

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ボルドーれきし ものがたり/3-2 "異民族蔑視"

ボルドーれきし ものがたり/3-2 "異民族蔑視"

そしてローマ人も、北の民をケルティと呼んだ。もっとも彼らの云う「北」は、当初イタリア半島の根元辺りのことだ。彼らが暮すラティウム地方の北東はEtruscanであり、北西はUmbrianである。それより北に住むのがCeltだったのだ。

ただ。ひとつ注意しなければならないのは、ここで話題にする問題についての一次資料がティトゥス・リウィウスTitus Livius(B.C.59年頃-17年)がアウグ

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ボルドーれきし ものがたり/3-1 "バルバロイ"

ボルドーれきし ものがたり/3-1 "バルバロイ"

エドワード・サイードはその著「オリエンタリズム」のなかで、欧州人の異民族蔑視は古代ギリシャから始まると書いている。西洋/東洋と言う分類も祖はギリシャであると。

現代社会でもそのまま息づいている「西洋(優)=先進国/東洋(劣)=後進国」という図式は、大航海時代を経て強く補完されたが、それ以前にギリシャ時代から連々と続くバルバロイbarbaroi(蛮人)思想が背景にあると言う。
しかしこのバルバ

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ボルドーれきし ものがたり/2-6 "多民族都市へ"

ボルドーれきし ものがたり/2-6 "多民族都市へ"

人工都市ボルドー/ブルディーガラは、二つの民族①ケルト人(ガリア人)と②ローマ人(ナルボンシスの商人)が拠り合う町でした。二つの言語と二つの文化が折り重なって成り立っていた。出自からボルドー/ブルディーガラは"互恵"を基盤とする商人の町だったのです。

そしてもう一つ。特徴として挙げられるのは、ボルドー/ブルディーガラが多民族都市だったことです。

北からやってくる①ケルト人を、ひと括りで「ケ

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ボルドーれきし ものがたり/2-5 "ボルドーの地政的価値"

ボルドーれきし ものがたり/2-5 "ボルドーの地政的価値"

当初、ローマはボルドー/ブルディーガラの建造について、まったく注目しませんでした。どう考えても地政学的に意義が持てる場所ではなかったからです。

ガロンヌ川とドルドーニュ川によって下流から運ばれる膨大な土砂は、この地を限りなく広い泥の沼沢地にしていましたし、潮の満ち引きと降水の量によって川幅は極端に変わり、低地はしばしば泥水の中に沈んでしまいます。沈まないのはポツポツと点在する高台/丘だけ。アキ

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