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黒海の記憶

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2022年6月の記事一覧

黒海の記憶#26/東方世界を駆逐するローマ帝国

破竹の勢いで東方へマーケットを拡大するローマ。BC62年、ポンペイウスが凱旋帰国した。そのパ…

勝鬨美樹
2年前
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黒海の記憶#25/ポントス王国の興亡#02

唐突なアレクサンドロス3世の死後、彼の帝国は直子アレクサンドロス4世(王死後に生誕)を担ぐ一…

勝鬨美樹
2年前
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黒海の記憶#24/ポントス王国の興亡

黒海をギリシャ人はEuxinos Pontusあるいは単にPontusと呼んでいた。ポントス人は「黒海に住む…

勝鬨美樹
2年前
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黒海の記憶#22/ポントスの血#02

翌朝、朝食の席でその日のスケジュールを立てた。立てたってぇっても、昼飯どこで食べるか?晩…

勝鬨美樹
2年前
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黒海の記憶#21/ポントスの血

少しずつ黒海の制海権を失っていった古代ギリシャだったが、その血縁は無数に残った。500年と…

勝鬨美樹
2年前
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黒海の記憶#20/黒海西海岸におけるローマ台頭の前夜

共用語であるギリシャ語(コイネーkoinē)が通じなくなっていった。黒海沿岸諸都市の出自はギリ…

勝鬨美樹
2年前
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黒海の記憶#17/商いの道・内海の還流に乗って#02

アゾフは遠浅の海だ、とくに北西部が浅い。そのため大型船の接岸は難しい。なので勢い良港はクリミア半島外縁部に作られることが多かった。 とくに現ドニエプル川Dnieper /ボリュステネス川は最も栄えた港/交易地だった。始まりは、当時まだ島だったベレザーニPirezinに交易のための拠点と貯蔵所を置くことから始まったようだ。周囲を海で守られていたため、蛮族による襲撃を受けることがない天然の要塞だったからだ。 やがて内陸部の種族との間に信頼関係が築かれていくと、ギリシャ人たちは少し

黒海の記憶#16/商いの道・内海の還流に乗って

神話時代に夜明けが来ると、ミトレスの人々は黒海南岸にシノペ、コーカサス山麓にディオスクリ…

勝鬨美樹
2年前
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黒海の記憶#18/ギリシャ時代の夕暮れ

ヘレネスの人々にとって、黒海は長い間「神話域」だった。その交易的優良性に気が付いた商人た…

勝鬨美樹
2年前
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