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気持ちを言場に出してみる

covid-19の向かい風に乗って
考えたり、思ったりしたことの
思想的漂流記。

母が作ってくれた
ご飯を久しぶりに食べながら
自分が大切にしたいことのヒントに
出会ったような気がしました。

バカでかい夢があるとか
なにか特出した実績やセンスのようなものを
世界に示すほうがいいとか
一時期はそういう声高な主張に
同調していたこともありました。



自分で考えることをスルーして、
賢く立ち回るとか、
ひたすらに効率よくとか、
最小の努力で最大の結果を出すとか、
でっかいビジョンや夢を持つとか。

それは自分がただただ自信がなくて
著名な誰かが言った言説を
そのまんま飲み込んでいただけでした。



たぶん僕がミーハーだからですが、
「時代に取り残されるな!」
という言説に弱いです。

自分の実感と考察を頼りに歩く。
かっこいいです。
そしてそれがなかなかできません。

心もとないし、不安です。
失敗してもいいじゃないかという
から元気がなければ多分キツい。


不器用な自分が
そんな体裁のいいことを言って
生きていけるのか。

その恐怖もあるのですが
考えることをやめてしまって
味気ない人生を歩むことのほうが
やっぱり悔しい。

今持っている僅かばかりの
自分なりの実感を積み重ねていく。
それを続けていくことが
自分なりのゆたかさにつながる。

確かに非効率だし
たくさん失敗するだろうし
苦汁をなめることも
あるかもしれません。

でもそれがある意味で
豊かさの一端を担っていることも
ある気がします。

よりオープンに、
よりしなやかに、
より軽く。


だからこそ自分で選ぶ。


胸に響くこと、
体温を感じる仕事、
心を使ったコミュニケーション。
それも豊かさの一つだと思います。
それをつくりあげてみたい。

「この予測できない時代をどう生き残るのか」
「時代の流れに合わせないと危ない」
「これからの日本はどうなるのだろうか」
「会社だけに頼ってられない」
「これからどうなるんだろうか」

いろんな不安を持ってしまう
現在でもあります。

資本主義というシステム
それだけでは人間は完結しないし、
それだけではちょっと味気ない。

それを補完する何かを
自分だけではなく仲間と一緒に
「あーでもない、こーでもない」と
ワイワイガヤガヤしながら
つくっていけたら面白いだろうなと思います。


それも一つの豊かさだと
勝手に思っております。

※タイトルを「言場」にしたのは
noteというメディア自体が「皆の言葉の場所」だなと思ったからです。
そしてそんなnoteがたまらなく好きです。

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