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私と祖父とクレッセントハウス

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「古き良き時代」の面影を、現代までそのままに残したクレッセントハウス。2020年、ついにその歴史が幕を閉じます。様々な想いを胸に、作家として大きな影響を受けたこの場所についてを、…
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#フレンチ

「鹿鳴館の夜」昭和から平成へ。 案内と食器、メニューで見るレストランクレッセントの歴史(12)(13)(14)

芝公園に63年間の歴史を刻んだレストランクレッセント が、静かにその幕をとじる。このnoteは、そのことをきっかけとして、創立者であった石黒孝次郎が、クレッセントハウス内で展開していた様々な事を、手元にあるわずかな資料をもとにまとめるようになりました。 本日、閉店の日。投稿しはじめた当初は、閉店のその時までに、これらの資料をまとめようと思って取り組み始めたもののなかなか追いつかず、すくなくとも、年内いっぱいはまだ建物も残っているということで、引き続きまとめて行きたいと思いま

「鹿鳴館の夜」 メニューで見るレストランクレッセントの歴史(10)(11)

レストランクレッセント閉店を知ってから、家にわずかに残された資料をまとめることが、不思議と私にとっての小さな使命感になっていました。それは、同じ様にクレッセントでの想い出を大切にされている方々にとっても、改めてこんな側面があったのかということを、なくなってしまう前に少しでも知っていただいてお楽しみいただける様な内容になれば、という思いからであると同時に、この昔の資料の中には、古く美しき時代を大切にしつつ、新しい時代へとそれをつなげていく…所々に見え隠れするそんな内容を、現代に

クレッセントハウス、レストランのおもてなしの心に通じる骨董品たち(後)

いつの時代でもオリジナルなものが美しい。つまり、うんと古いものには、手をかけて、心を通わせて丹念に作り出された美しさがあり、うんと新しいものには、必要に応じて、型抜きをすること自体に美の要素があります。飛行機や、ライター等がそれです。だから、職人が手をかけた忠実なリプロダクションは良くても、流れ作業で量産されたものは粗末です。 クラシックな邸宅にクラシックな家具調度を置き、召使を数十人という生活は今は英国にもないのです。古き良きものだけがいいとは言えません。いま、若い人が洋

港区議会にて、クレッセントのことが紹介されました。

10月6日の港区議会決算委員会の総括質問の中で、石渡ゆきこ先生が、クレッセントについてと、石黒孝次郎夫妻のことまで触れてくださいました。 42;00辺りから、地域の文化的風景を記憶に残すという内容で、104;00辺りから、それに対して荒井雅昭港区長が触れられています。 https://gikai2.city.minato.tokyo.jp/g07_Video_View.asp?SrchID=2527 どんどん失われていく文化的風景、風情のある風景を、形はなくなっても、記

「鹿鳴館の夜」案内と食器、メニューで見るレストランクレッセントの歴史(4)

第4回 鹿鳴館の夜 ご案内 謹啓 爽秋の候益々御清祥のことと御喜申し上げます。クレッセントハウスの年中行事「鹿鳴館の夜会」も好評裡に回を重ね第4回を迎えることとなりました。本年は、明治31年(1898年)7月11日ロシア国キリウ・ウラジミロウイッチ大公を閑院宮載仁親王殿下が接待された時の献立を再現致したいと存じます。ご承知の通り、当時の帝制ロシア宮廷に於ける食卓は、フランス ルイ王朝時代の流れを汲み贅をつくしたもので、その国の皇族を招く宴席の献立には、当時の司厨部員はさぞや

「鹿鳴館の夜」案内と食器、メニューで見るレストランクレッセントの歴史(3)

候益御清祥のことと御慶び申し上げます。 扨クレッセントハウスの年中行事「鹿鳴館の夜」も、御陰様にて毎回好評理裡に回を重ね第3回を迎えることとなりました。 本年は、明治26年(1893年)当時陸軍軍医総監であった私の祖父が遺しました、その年11月4日宮中招待宴のメニューを復現して御覧に入れたいと存じます。(因に明治26年は日清戦争の前年に当たり、清国や朝鮮との外交関係は正に一触即発の状態にあった年であります。) 今年の晩餐会を計画するにあたり、私共は極力前回迄の経験を生かし、こ

「鹿鳴館の夜」案内と食器、メニューで見るレストランクレッセントの歴史(2)

謹啓 菊花の候皆様方におかれましては益御清祥のことと御慶び申し上げます。 扨去年の十一月三日文化の日より三日間にわたりクレッセントハウスに於いて明治時代鹿鳴館の西洋料理を復刻再現し御賞味戴きました お陰様にてこの催しは大変なご好評を得、毎年同じ様な夜会を計画する様にとの強いご要望が御座いましたので、別記の日取りを以て第二回鹿鳴館の夜晩餐会を開催させて戴きます 本年はたまたま今から百年前一八七六年(明治九年)の英国に於るメニューが手に入りましたので、この献立を織り込んだ明

「鹿鳴館の夜」案内と食器、メニューで見るレストランクレッセントの歴史

鹿鳴館の夜 ご案内 謹拝 爽秋の候益御清祥のことと御慶び申し上げます。  このたびレストランクレッセントは明治時代鹿鳴館の西洋料理を復刻再現して皆様に賞味して戴く夜会を計画致しました。と申しますのは、私の祖父が明治初年から宮中広島大本営鹿鳴館などに招待されました時の招待状やメニュー類、数十葉が、幸に戦火を免れて遺り、しかも偶然私が戦後レストランを経営することとなりましたので、開業1周年記念に私の祖父がこれらを贈って呉れましたので何時の日かこの明治メニューの一つを再現して見

レストランクレッセント、63年の幕を閉じます

「其の作業は私にとって彫刻であり 絵画だった 比の館は作業に参加した人々の作品であった 夢を実現させる為に どんなに多くの個人や組織が努力された事か 其の方々に深い感謝の意を込めながら 私はこんな夢を思う こゝを訪れた人々が ”古き良き時代"に皆んなが持って居た あの心のゆとりを一瞬でも味わって呉れるようにと そして 一目この館を今は亡き妻豊子に見せたかったと 石黒孝次郎」 クレッセントハウス創立時レリーフより。 レストランクレッセント。1957年に設立されてから63年の