私と祖父とクレッセントハウス

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クレッセントハウス再生保存利用の提案書作成中、多くの方からのお声を頂いています。

クレッセントハウス再生保存利用の提案書作成中、多くの方からのお声を頂いています。

5月12日の朝刊にクレッセントハウスの記事が掲載されています。是非ご覧頂けますと幸いです。少しでも保存活用のお声が集まりますように https://www.tokyo-np.co.jp/article/103643 FBでは5月10日に「クレッセントハウスの存続を求めて」ページを立ち上げてから、今日で下記の通り、反応があつまっています。 フェイスブック フォロワー1,500人 <メイン投稿> リアクション8000人 シェア670人 コメント400人 閲覧者数11

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クレッセントハウス存続を求めて。

クレッセントハウス存続を求めて。

クレッセントハウスの保存活用をもとめて。 本当にこれでいいのか、という想いが強く、FBページを立ち上げる事にしました。 解体の可能性が高いのにFBを立ち上げる意味を聞かれても、具体的に答えるのは難しい。ただ祖父の関連で思い入れがあるから、というのともちょっと違う。 ただ,言えるのは、どんな結果に終わろうとも、この件を通して同じように、このコロナの時代にあって、古くからの文化や物語、環境が失われていること、その流れは加速している、と言うことくらいは伝えられる。失われる前に未

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クレッセントハウスの歴史と解体寸前の現在

クレッセントハウスの歴史と解体寸前の現在

クレッセントハウスのはじまりは、元内閣総理大臣・麻生太賀吉氏が後援していた銀座のレストランの経営不振により、その従業員を引き受けて、古美術商に加え、レストランも併設することになったという経緯にあります。建造物としても価値が高く、クレッセントに訪れた人達だけでなく、文化的景観として、地域の方々や、財界の方々にも解体が惜しまれる場所でもあります。 「物語性こそが次の時代を先駆ける鍵である」これは、コロナ前からの世の中の風潮で、世界中がコロナを経験し、その後は大きく生活様式が変わ

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「古く美しきもの」石黒孝次郎氏遺贈品展によせて

「古く美しきもの」石黒孝次郎氏遺贈品展によせて

「古く美しきもの」石黒孝次郎氏遺贈品展によせて 三笠宮崇仁 今から数年前のこと、あの赤煉瓦造りのクレッセントハウス4階にあるお部屋で、石黒孝次郎氏と雑談をしていたとき、同氏が蒐集された美術品を(財)中近東文化センターに寄贈するつもりで選んでいるというお話を伺いました。私は、望外の幸せと感激しましたが、そのごまもなく同氏は体調を崩され、悲しいかな、1992年3月2日、ついに不帰の客となられました。もはや、あのスポーツマンらしい凛々しさと美術愛好家らしい温情を兼ね揃えた石黒氏

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クレッセントハウス完成パーティーの冊子より(1968年)

クレッセントハウス完成パーティーの冊子より(1968年)

開館にあたって  1947年の秋、長かった戦地の生活つから帰ってきた私は古美術商になってみようと「三日月」を商号として出発しました。  翌年戦災で砂漠の様になって居た芝公園に些かな店舗を建築して西洋古美術の専門店を開きましたが、10年経った1957年の秋にはその建物を改築して年来望んでいた仏蘭西洋料理「レストラン・クレッセント 」を開いて古美術商は京橋宝町に移しました。   このことは常々「美しいもの」と「美味しいもの」との深い関係について考えていた私の大きな実験でもありま

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勉強会『廣度院練塀とクレッセント』増上寺大広間にて

勉強会『廣度院練塀とクレッセント』増上寺大広間にて

2月中旬より解体予定であったクレッセントは、未だ解体始まらずで気になっていたのですが、クレッセントハウス隣の廣度院さんの練塀が登録有形文化財に指定されており、その関係で景観及び文化財としてクレッセント含め残すべきということで、「廣度院練塀及び境内地とクレッセントハウスの景観を守る会」という会が発足され、協議がなされていた事を数日前に知り、勉強会に参加をさせて頂きました。 本業が立て込んでしまい、なかなか資料をまとめられずにおり、また、これまでに手元の資料をまとめることしか出

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芝公園近隣の方へ。(noteの使い方を理解しておらず、こんなところで大変失礼致します。)

芝公園近隣の方へ。(noteの使い方を理解しておらず、こんなところで大変失礼致します。)

こちらに、クレッセント ハウスの資料をまとめるようになってから、共感してくださる方、同じ想いを持ってくださっている方からのご連絡をいくつか頂きました。しかし、私がまだnoteの使い方をいまいちよく理解しておらず、note の各投稿に対するサポート機能を使うことでメッセージをいただけるようで、そちらに一度ご返信をすると、2度目のメッセージは送れないようになっているのですね!(><) 芝公園近隣の方で2月初旬にご連絡いただいた方で、今一度ご連絡が出来ればと思ったところ、2度目の

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「鹿鳴館の夜」、祖父による最後の案内状 (16)

「鹿鳴館の夜」、祖父による最後の案内状 (16)

〜ヴィクトリア女王時代のイギリス料理〜 日増しに秋も深まり、紅葉の美しい頃となりましたが、皆様方には益々御清祥のことと御慶び申し上げます。 「鹿鳴館の夜」大晩餐会も回をかさね16回を迎えました。20数年前1町ロンドンといわれた丸の内の煉瓦建築が次々と取り壊されていた頃、大正初期生まれの私自身のノスタルジーから、敢えて後期ヴィクトリア女王時代の宮廷メニューを参考とし、これを現代風にアレンジしてみました。元来英国の食卓はローマ時代から中世迄、野生豊かな、所謂野蛮食でありました

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18世紀の晩餐会・料理の復刻、「鹿鳴館の夜」(15)

18世紀の晩餐会・料理の復刻、「鹿鳴館の夜」(15)

怒涛の2020年が終わり、2021年を迎えました。時代が大きく移り変わる中、私たちは、何を得て、何を喪失し、何に立ち上がり、何を守っていくのだろう。そうして、どんな新しい時代を、未来を作っていくのだろう。 年内に室内の整理が終わったと思われる今のクレッセントでは、しばらくの間、静けさの中、運命の成り行きを待ちながら佇んでいます。 昨年のコロナの影響では、このクレッセントハウスのように、伝統ある事業、歴史ある建物等多くの価値あるものが失われていったと思います。コロナ問題と経

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欧州と日本の建築物に対する価値観の違い

欧州と日本の建築物に対する価値観の違い

秋〜冬にかけて少したてこんでしまい、ストップしてしまっていましたが、まだ、まとめていくのですが、その前に・・・ 今回の資料まとめの件で勉強になったことがあります。それは、日本の土地建物と、欧州やアメリカ等の土地建物に対する考え方とが、真逆だということ。 向こうでは、建物が古くなるほど、価値が出る、という考え方で、アンティークにちかいような感覚で、価値が出るそうです。(特別な建物というだけのことではなく)その考え方からいえば、クレッセントや、そのほか歴史ある、あるいは主人の

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