半径3メートルから、幸せになろう
ここでは「幸せになる」をテーマにして、4つの提言と、その解説をお送りします。お金はかかりません。ちょっとした変化を自分に加えるだけです。そのちょっとした変化が、世界を変えます。先日の『イアン・ブレマー氏の2022年10大リスクを読む:4つの提言を添えて』のコンテンツの中で、下記の様に「4つの提言」をしました。
4つの提言
提言1:日本が出来るコト、個人が出来るコト
混沌の時代、シンギュラリティと言う名の大変化の時代を泳いでいく術を現代人は求めています。それは案外難しいことではなく、シンプルに、人間本来に立ち戻ることだと思います。
頭で理解するより、体で理解する。
「自然の中の生き物としての人間に戻ること」
だと私は考えます。
国がどうの、会社がどうのと言ったところで簡単には変えられません。人を変えるのは難しいのです。ならば自分が変われば良い。簡単ですね。そのうえで考えるヒントは、
他人事ではなく、自分事に落とし込む。
これが日本というか、日本人の個々人で出来ることだと私は考えます。世界が悪い、社会が悪い、あいつが悪い、と悪者探しするよりどう協調できるかのアイディアを「発明」し、それを周囲にシェアしていく。
世界も混沌、日本も混沌。ならば日本として、というより日本人ができるのは個々人が自分で判断して「自分で決める」ということでしょう。そこで悪者探しをしていては相手を攻撃することに埋没してしまいます。
2年半もコロナ禍にありながら後手後手の対応しかできない「出来ないクン」与党を筆頭にした政治に何かを期待しても仕方ない。ゆえに自分の身は自分で守る、これしかないでしょう。だから、
”自分で決める”
政府をあてにせず、個人で繋がって助け合う。良いアイディアを発明してシェアし合う。ネット万能の時代ですから、各自が発信して他人と繋がりあうことは簡単にできます。これも自分事ですね。
要は ”あなたが” やるか、やらないか、だけです。
個人が繋がること。それは過去の日本と同じだと思います。ムラ社会の中では互いの気持ちも分かりあう中で暮らしていました。昭和の時代を知る私はそのカケラを少年時代に感じていました。個人が繋がりあっていた時代はさほど昔の話じゃない。いまはネットとITという強い味方がいます。これをどんどん使って助け合う社会に進めば日本は安泰です。だから、
”個人で繋がる”
もともと自然災害大国ニッポンですから、いざコトが起きると団結します。タイヘンに見舞われた人の心が分かるのが日本人の特徴です。明日は我が身、地震で一瞬のうちに財産や身内を失うことを知っています。それが極まらないと助け合えないというのが残念で仕方ない。被災地ボランティアでもある私はそう思います。つまり、
”助け合う、互いに”
提言2:半径3メートルを幸せにしよう
自分の半径3メートルの人なら視野に入るし、自分の意志が働きます。混沌と分断の時代だからこそ自分の周囲を大切にする。
自分の周囲の人と繋がることで助け合えるし、周囲の縁に見え隠れする分断は消えていきます。そこには共感があり互いのコンセンサスが生まれます。半径3メートルの共感が広がると幸せが広がります。
ひとりが付き合えるのは150人までだそうです。スマホがあるから近くに居なくても150人は「あなたの周りの人」として3メートルの中に入ってきます。150人だったら顔も名前も出てきますよね。
コロナ禍で直接会えないことを補う手段を私たちは既に手にしています。ネットも使った「150人が周りの人」になるんです。皆さんも手の中のスマホの向こう側の150人と、いつも繋がっているんです。その人が幸せになったら自分も幸せですよね。
だから「150人の周りの人」と仲良くする。周りの150人は、いわば「じぶんの150人」です。その150人を大切にして、連絡とりあって、互いに助け合う、ネットを使って共存し合う。
提言3:半径3メートルが日本全部、地球全部に
では具体的な行動に落とし込みましょう。やり方は簡単です。
”「じぶんの150人」を大切にする”
その次に、ひとりが150人の幸せを続けるのなら、その先にいる150人も、その一人一人が「じぶんの150人」を大切にするでしょう。150人の輪を広げれば、あっという間に日本全部が幸せになります。そこが島国の良いところ。境界線がハッキリしているのでやりやすい。
”150人が「じぶんの150人」を幸せにする”
150人の輪をどんどん広げれば、日本全部をカバーできますよね。私のように世界中に友人の居るタイプなら地球全部をカバーできます。
「そんなうまいこと出来っこない」、そういう否定が飛んできそうです。そういう人に私はこう囁きます。
なぜかキレイゴトは嫌われます。キレイゴトを言うと無視されます。
そうやって親が、学校が、社会による無言の圧力が、無意識にそんなの無理と決めつけてきます。誰もが「キレイゴトは無理」なんだと処世術的かつ無意識に処していくうちに大人になりました。いまやガンジーが実行したようなキレイゴトは「むりぽ」の一言で吐いて捨てられます。
でも、よくよく考えてみるとキレイゴトでいけば、住みやすくなる、暮らしやすくなる、仲良くなる、平和になる。分かっているのになぜかできない。だから、これです。
人間は迷う動物です。迷った時は自分の心に問うてほしい、そこに見つけて欲しいのがこれです。子供への無償の心を思い出す時、誰もが思い出します。
親ならずとも無防備な赤ちゃんに何か「してあげたい」と思う、そんな無償の愛を思い出す時、誰もが感じる温かい気持ち。それを「あなたの150人」にするだけのことです。その時はこの利他の心で、
見返りは求めない。育ってくれた子供に親は「カネ返せ」とは言いません。
提言4:丁寧に生きる
時間密度がどんどん高まって、現代人は日増しに時間に追われ、我を忘れ、日々のあれこれに忙殺されてゆきます。忙しいのにスマホからは目が離せない。忙しいのにゲームしてしまう。公共機関で本を読む人が少なくなって久しい。片時もネットから離れ慣れない。やることがどんどん降ってくる。もう病気ですね。
そんな狂気の時代だからこと、気付いた人から瞑想やWell-Beingなどで高速で進んでいく「いま」を止めて自分を取り戻しています。
瞑想やWell-Beingも良いですが、私がおススメしたいのが、これです。
忙しい、忙しい。その「忙」と言う字は心を失うと書きます。忙しいからこそ丁寧に生きる。ひとつひとつを丁寧にやる。仕事も、家族との付き合いも、隣人との会話も、コンビニの店員にも、ごみ収集人にも、一日に会う人全員に「ありがとう」の心で接する。たったそれだけです。
丁寧に生きるとは、「いま」の繰り返しを意識して丁寧に過ごすことにほかありません。自分のやっていることをもう一人の自分が見つめて「ありがとう」を言い続ける。
そのためには、今までより手間や時間が必要になります。では、どうやったら時間を作れるか。それは簡単です。
”やらないことを決める”
これだけです。簡単ですね。実にシンプルです。
「やらないこと」を決めると時間が出来て、「やりたいこと」をする時間が出来ます。やりたいことの中に「あなたの150人」にむけて「できること」を「決める」。それを「丁寧に」にやって一日を過ごす。
”丁寧に生きる”
私はそう決めて、明日が来るのを楽しみにしながら今日を生きています。
Z世代が”人を幸せにして”活躍する例
NIKKEI STYLEで目の止まった「ぼくと私と株式会社」のCEO今滝健登さんはZ世代の企画屋さんです。
なんて楽しそうなんだろう。
40人ほどのメンバーは9割がZ世代で、平均年齢は23歳。全員がフルリモートでフルフレックス、時にワーケーション。緩くつながる自由な働き方にはワクワク感が伝わってきます。
解説
”半径3メートルを幸せにしよう”の意味合い
人が人生で追い求めるのは「幸せ」でしょう。
人間は他人が喜んでくれると一番幸せを感じるという習性を持っています。自分を幸せにしても、それは自分だけの満足にしかなりませんが、家族を、他人を、周囲を、幸せにすると、その幸せは長く続きます。
つまり、自分を幸せにする一番の近道は、自分の周りの人を幸せにすることなのです。
ではどうすれば周囲を幸せにできるのでしょう。そこで、この提言「半径3メートルを幸せにしよう」が出てきたのです。
ひとりが付き合えるのは150人までだそうです。
いまや半径3メートルは広がりました。スマホがあるから近くに居なくても150人は「あなたの周りの人」として3メートルの中に入ってきます。150人だったら顔も名前も出てきますよね。
コロナ禍で直接会えないことを補う手段を私たちは既に手にしています。ネットも使った「150人が周りの人」になるんです。皆さんも手の中のスマホの向こう側の150人と、いつも繋がっているんです。その人が幸せになったら自分も幸せですよね。
だから「150人の周りの人」と仲良くする。周りの150人は、いわば「じぶんの150人」です。その150人を大切にして、連絡とりあって、互いに助け合う、ネットを使って共存し合う。”
これれが「半径3メートルの幸せづくり」の意味合いです。
”半径3メートルの仲”
視野に入る自分の周囲の人となら、助け合うことは簡単です。
「ねえねえ、ちょっと」で事足りますよね。
そうやって繋がっている人とは世に言う分断や差別とは無縁です。なぜなら相手のことを良く知っているから。そして相手もあなたの事を良く知っているから。
半径10メートルの人はあまり知らなくても、半径3メートルの人は付き合いが浅からぬものですから、互いの事をよく知っています。そういう関係が「半径3メートルの仲」です。
昭和の時代、通信手段は電話、良くてファックスという極めてアナログな繋がりでした。デジタルではないので人との仲が濃かった。直接話すか、「もしもーし!」と電話しないと意思が伝わりません。
文字?SNS?
そんなもの無いので手紙です。手紙だって次の日には届きません。どうかすると1週間ぐらいして届いたりしていました。ゆったりした時間軸の中に人々は生活していました。いまの方には想像を絶する緩やかな時代でした。
悠長な時代ですがゆったりした時間軸が良い方に作用していました。直ぐに反応は返ってこない。時間がかかるゆえに相手のことをおもんばかって行動します。直ぐにリアクションは来る現代では有り得ない行動様式です。既読が付かないからイライラする、なんてことは無いのです。
昭和の時代から生きているITオヤジからすると、我慢が出来ない世知辛い”子供の世界”になってしまったなあ、と思います。
”半径3メートル”がICTで地球全部に広がる
自分の半径3メートルの人なら視野に入るし、スマホで繋がる人とはいつでも繋がれます。半径3メートルは拡張されました。
スマホでいつでも繋がる時代になって、手元にはこの地球全部と繋がる道具が24時間そばにあるという社会がやって来ました。
1980年代のPC開発の黎明期からITCに親しんできた者からすると、手の中に世界があるという事実に隔世の感があります。
半径3メートル、これなら肢体や視覚聴覚の不自由な方でも意志が届く範囲です。そう、半径3メートルは人間にとって身の丈のサイズなのです。
その半径3メートルがスマホとインターネットによって拡張されました。
まるで自転車が、クルマが、飛行機が発明された時の様に、人間は歩く距離から地球の裏側、果ては宇宙へと行動範囲が広がりました。
スマホなどのICTを使う事で、地球の裏側の人と気持ちまで隣り合わせになることが出来るのです。これが「半径3メートルの仲」、つまりあなたが繋がれる地球全部での150人です。
さらにVR/ARが拡張の縁を広げていく
メタバースに代表されるバーチャル空間での繋がり合いは、以前のプアーな通信環境が払しょくされたことで、リアルタイムで違和感なく遠く離れた人と隣り合わせでお話しできるようになりました。
いましばらく普及には時間がかかるでしょうが、便利だと思ったら人は飛びつきます。ネックは大仰なARグラスですが、それもさほど時間がかからないでスマートな物に置き換わっていくでしょう。
私などは日常的に4Kx2台の作業空間で画面と対峙していますので、ARグラスの中で何枚も画面が開けて、自由自在に使えるのならばそっちの方を選びます。上を見ればニューヨーク、左を見ればテレビ放送、右を見れば同僚、下は家族、そして目の前には自分の作業、といった具合の環境が手に入るのなら、ARグラスでオッケーです。
何よりARグラスは場所を選びません。重たいディスプレイも場所も要らないのです。かつてGoogleがグーグルグラスを辞めてしまった後、VR/ARは鳴りを潜めていましたが、既にこんな製品が出てますね。あとは入力デバイスを工夫するだけです。Googleの音声入力もかなり実用域に入ってきています。
時代を追いかけ、変化し続ける。
日々新しい自分を”楽しみ”、”愉しむ”。楽しむは受動的で外からへの反応です。それに対して愉しむは能動的で内なる自分への反応です。
ワクワクする時代になりました。
あなたもどうぞ「こちら側」へお入りください。
ではでは
三川屋幾朗@mikawaya1960
公共メンター https://menta.work/plan/954
参考:
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