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あなたが心から伝えたいことは何ですか?(Quoraで回答)

「あなたの魂は永遠である」

これが私が、心から皆さんに伝えたいことです。

これの本当の意味を知ると、死は怖くなくなります

最初に断っておきますが、私は宗教学者でも、どこぞの教祖でも、はたまたスーパーサイヤ人でもありません。ただの国際ビジネスコンサルタントです。

また、人生が苦しい人に死ね、と言っているのでもありません。ここだけは間違えないで下さい。死と生は表裏一体なのです。

私は日本、米国、欧州をエンジニアとして国際企業に勤める間に「大きな疑問」を持ちました。そして世界をぐるりと旅してその大きな疑問「人間とは何か、命とは何か、幸せとは何か」というその普遍的な質問の答えを見付けようと地道に歩を進めました。

夥しい死の残像を見ました。
沢山の人と言葉をかわしました。
キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教を学びました。

そして、この大きな疑問の答えは、おとぎ話の「青い鳥」のように、自分の家にありました。仏教にその答えを見つけたからです。

と言うよりは、私が行き着いた結論が、後に仏教の教えと不思議にも符合することに気付いて、驚いたのです。私も多くの人と同じく、仏教はお葬式やお盆といった年中行事のひとつでしか接しません。

ここで仏教について。

仏教は神を頂きません。そこが他の宗教との違いであり、2600年前を起源とする4大宗教で最も古い宗教です。しかし、ブッダはこれを宗教とは思っていなかったでしょう。私と同じ、人間とは何か、命とは何か、幸せとは何か、その「普遍的な質問の答え」を求めていたのだと思います。

つまり仏教は哲学なのです。

哲学は「いかに生きるか」を語る学問です。

仏教でそれを示す、その最も分かりやすく、しかし難解なのが、

根本教理である「色即是空」です。 (色即是空Wikipedia

分かりやすく説明するのがコンサルタントの常ですから、小学生でも分かるようにお話します。

私達が「いま居る宇宙」は137億年前に始まりました。その段階では生命は存在しませんでした。地球起源から45億年。生命が生まれました。環境の変化に適応したものだけが生き残り、私達人間はいま地球という空間で王者として振る舞っています。

生命を探求していくとDNAに行き当たります。それは最新生物学であり、今現在分かっているところで、命の成り立ちはDNAから紐解くことが出来ます。

「命」は受精する瞬間に生まれ、そしてそこから「死」が始まります。DNAによって、概ね死はそのプログラミングどおり執行されます。細胞は50回ほどしか再生されません。DNAに再生数を数える部分があって、上限を超えると再生を行わなくしています。

従って激しくぶつかり合う相撲取りが短命なのも合点がゆきます。女性が男性よりも長命なのは、生まれながらに「戦い」が好きな男性とは違い、細胞が破壊される機会が少ないからでしょう。

ではその「命」というのはどこから来るのでしょう。これは永遠の謎です。ギリシャ哲学も、その答えに没頭しました。ブッダはその答えを「悟り」という形で得ました。これは偶然にも私にも同じことが起きました。ただし、私は仏門の僧が、学びと修行で悟りを得るのと異なり、ある日突然降ってきました。2度も。そのことは長くなるので、ここでは触れません。

私の心に最初に突然降ってきたのは、大学4年制の冬、道を歩いていて突然やってきました。それは、

「真理は自分の中にある」、そして「魂は永遠である」ということでした。

最初は驚いて、何が起こったのか周囲を見回しました。何もありません。

そして、上記の「お告げ」は理解できませんでした。いまは36年の時を経て、実感と伴って理解できますが、それだけ長い時間がかかったのです。

私は宇宙の一部であり、私自身が小宇宙(マイクロコスモス)である、それは細胞学として学問が証明しています。

これを象徴的に表わしたのが、色即是空です。

万物は空(くう)なのだと。万物は形を持つが、本質は空(から)なのだと。

この真意が理解できた時、素晴らしい心の平安が訪れます。死が恐れるものではないということが、心の底から理解できます。なぜなら、「死」は通過点でしか無いからです。

ここで言うとは、と言い換えても良いでしょう。

永遠なら死んだらどうなるの?そう聞くでしょう。答えは簡単です。

それに相当する言葉がないので表現が難しのですが、物の本によれば「大いなる宇宙」「宇宙の中心」「魂の集まる所」という表現でスピリチュアルな人達が語っています。

その場所へ、いったん魂は戻っていきます。そして次の命を生きることを決めたとき、「自分で選んで」その生命へ降りていきます、つまり肉体という入れ物を自分で指定してそこで次の命を生きます。

魂の修練はこうして、死と生という命を一つの単位として、世で言われる言葉で言えば「輪廻」を繰り返します。

なぜ輪廻を繰り返すのか。それは魂を高める手段だからです。自殺した人は、次の命でも同じ様は場面に出くわします。つまり魂は試されるのです。そこで自殺せずに命を全うすれば、魂の修練はひとつ上のクラスに上がります。こうやって魂の修練を一つ一つの命を生きるうちに高めていく、これが魂の修練です。

無論、魂の修練に失敗するケースも生じます。前の命よりもレベルが下ることもあるでしょう。これが命の多様性です。様々な多様な命があるから世は成り立つ。逆に言えば、同じレベルばかりでは成り立たないのです。

私はその悟りを子供の頃から得ていた訳ではなく、偶然の出来事でそれを得ることが出来たのですが、その説明は別の機会にするとして、「死」は「命」の終わりであって「魂」の終わりではない、ということを皆さんにもお知らせしたいと思います。

「いま、命があなたを生きている」。京都駅を北へ歩くと、東本願寺の塀に大きく書かれた文字を見付けるでしょう。あなたという身体を使って生きている命は、死というもので物質的には失われますが、その魂は「大いなる宇宙」に包まれています。

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そしてこの考え方は、全ての宗教に共通しており、更に面白いことに、その最初の人、スーパーサイヤ人であるキリスト、ムハンマド、そしてブッダも何の文書を残していません。

なぜ何の文書も残さなかったか?

それは、残す必要が無いことに、彼らも気付いたからです。ゆえに、いまある宗教関連の文書は全て後世の人が自分たちに分かりやすく、あるいは自分達に都合の良いように編集したものです。

色即是空、一切は空。残るものは何もない。一切は無常。

ゆえにその時、その瞬間を生きなさい、その時その時を楽しみなさい。死ねば残る物は何もない、魂だけが残り、「次の命」を「違う身体」で生きるのです。

とても簡単なことなのです。

命はシンプル。身体は限りがあり、魂は永遠。

ご理解いただけましたら、嬉しい限りです。

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Quoraに関しては、こちらがおススメです。


参考:Quoraで回答

人生の愉しみ方:死生観は「生きる」を見つけること

偶然は必然:続・人生の愉しみ方:死生観は「生きる」を見つけること

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