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私が移住した理由と「働き方」のこと

この地で子どもを育てたかった

毎週末のように海に行っています。

本日青森県八戸市の最高気温は26℃ぐらい。暑いけれどまだまだ海水は冷たくて、1時間半ほど遊んだあたりで次女がガタガタ震え始めたので退散しました。(風邪ひきませんように・・・)

みーちゃん(小1)わかめに喜ぶ↓

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はっち(年少)、寒くなると砂に埋まる↓

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波は好きだけど怖い、けど好き↓

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姉妹仲良く育ってほしい(毎日ケンカばっかり。)↓

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「なぜ青森に移住したの?」って、移住したてのときにはよく聞かれました。答えはシンプルに、ここで子どもを育てたかったから!自分が育った海とか、山とかに囲まれて、おせっかいなぐらい可愛がってくれるおじいちゃんおばあちゃんがたくさんいる八戸で子育てしたかったからです。

そのために仕事を何とかするスタイルで今に至る。

自分の仕事は東京を中心にあって、仲良い友達も東京に多くいます。東京に住んでいた方が都合が良いこともめちゃくちゃいっぱいあります。だから、仮に子どもが居なければ移住しようとは考えなかったと思います。

「働き方」について、深く考えなくなった

また改めて書こうと思いますが、第一子を妊娠・出産した頃に働いていたベンチャーでは1日20時間ぐらい働いていて、心身病んで退職をしたもので、その後「働き方」というのは自分の中の大きなテーマでした。

ですが考えてみると今の私は、この「青森に居ながら東京の仕事をするリモートワーク」について考えることはほとんどなくて、働き方については何の制約もないというような前提で、仕事の中身について・またそれについての自分の成長や、社会への貢献などなどに頭を使うことができています。「制約がない」と言い切ってしまうのも少し違うのですが、今の状況を受け入れているので悩むことがないです。

この状況ってそう言えば、あって当たり前のものじゃないんだよなぁって今日は海で子どもたちを監督しながらぼんやり考えていました。

「いいよね、PC1台あればできる仕事って!」と言われることもありますが、私は元々PCが得意だったわけでもIT系の専門スキルを持っていたわけでもありません。「青森で東京の仕事がしたい!」って思っていたら、あれよあれよという間に、環境が整ってきて今に至ります。

そして私の場合には、「PC1台あれば」というだけでは今の形になっていなくて、折々で知り合いがプロジェクトに誘ってくれたり、知り合いの知り合いが繋がって法人の仕事に参加できたりと、間に居てくれた人たちの力がなければ今の体制になりませんでした。それに、参加してからも、仲間たちの理解・協力がなければ遠隔にいる状況で仕事を続けてこれませんでした。

例えば2018年からガシッとご一緒しているユームテクノロジージャパン株式会社(UMU)のことに関して言うと、当初六本木のオフィスに私以外の全メンバーがいて、私だけ会議や交流会などもオンライン参加していました。(今は大阪支社ができました)

集音マイクを購入してくれたり、チーム全員が読むべき本はわざわざ青森にも送ってくれたり、名刺1つ受け渡しするのにも青森まで郵送してくれたり。お互いにだと思いますが、試行錯誤な面も多々ありました。UMUのみんなは、この試行錯誤をめんどくさがらずに続けてくれました。だから私の今があります。

今私が働き方のことじゃなく、仕事の中身について真剣にチャレンジできているのは、UMUのみんなのように、私の状況に対応しようとしてくれた人たちが本当にたくさんいたからです。これからも、その人たちが少しの面倒くささを抱えてでも一緒に仕事をしたいって思ってくれるような人で有り続けたいですし、自分も誰かの状況を受け入れて一緒に新しい価値を生み出していきたいなと思っています。


まとめると、大好きな海があるここで生活できて嬉しい。そして、大好きな仕事ができていることも嬉しいし、ありがとうって思った1日でした!


私の会社→https://pla-pi.com/

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