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自分らしく生きるとは-生まれ育った場所は田舎です-

はじめてのnoteです。

私は5月28日で34歳になりました。

その記念と言えるかはわかりませんが、自分についてまず書いてみようと思います。

実はちょっと前からここで自分の言葉で書き綴ってみたいと思ってはいたものの、行動が遅いという悪い癖が出てなかなか書けないでいました。

だから誕生日を迎えたという口実でやってみようと決心したのです。

初めてということもあり、何をどう書いていいのか、読みやすい文章はなど考えすぎるとまた書けなくなるので今日は思いのまま書いてみます。

今回は生まれ育った場所について書いてみようと思います。

というのも、今私は生まれ育った場所を拠点として活動しています。

その場所は一度嫌いになって出て行った田舎。

なぜその嫌いになった場所にまた戻って活動しているのかを何回かに分けて書いてみようと思います。

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私が生まれ育った場所は静岡市の長熊。ちなみに熊がでるわけではありません。。

長熊という村は静岡市の玉川といわれるエリアにあたります。


長熊の好きな風景。

長熊は山と川がすぐ近くにある自然豊かな所です。

小さい頃は川で泳いだり遊んだり、外で遊ぶことが多かったように思います。

長熊は所謂田舎です。

いのししも猿もでます。

そんな場所で専門学生まで育ちました。

子供のころはこの環境が当たり前だったので、特に不便も感じず大好きな場所でした。

そこに変化が現れ始めたのが高校生になってからだと思います。

小学校、中学校は玉川にあったのですが、高校は市街地へ通っていました。

田舎のため、幼稚園から同じメンバーで中学校まできたので、高校生活はかるくカルチャーショックに見舞われました。

まず一クラス40人もいる。そしてクラスも7組まである。人はみんな知らない人だし、とにかく色んな人がいる。

それに、中学校までは静岡市の街中にでることなんてほんとに少なかったのですが、高校になりバスで帰るために静岡市の当時は新静岡センター(今の静岡セノバ)でよくバス待ちをしていました。

※バスはあっても1時間に1本なため。

友達はというと自転車の子が多く、みんなで自転車で寄り道したりしているのが非常に羨ましかったです。

これもまた大きな変化なのですが、高校で初めて携帯をもったのです。

田舎なのでなにか連絡するとき用にと両親が持たせてくれました。

私の世代ではほとんどの子が携帯をもっていました。

しかし、当時長熊は電波がとどかず家に帰ると携帯が使えないというなんとも悲しい事実。

あー不便だと思ってました。

夜友達と連絡したくても使えない。意味がないと。

それに通学に1時間もかかる。

バス待ちが発生するとそれ以上。

これも不便だと思ってました。

高校になって外の世界に触れる機会が増えれば増えるほど、長熊って不便な所だという意識が芽生えていきました。

だんだんと田舎って嫌だな。出たいなとうい気持ちがこの頃すでにあったように思います。


そして高校3年といえば、免許のとれる年齢です。

私はなにがなんでも免許をすぐとりたくて、高校3年生で取得しました。

なぜそんなに取りたかったかというと、長熊まで帰るバスは最終が17時台だったんですね。

だから乗り遅れたら両親に途中まで迎えに来てもらわなくてはなりませんでした。それが嫌で嫌で。

早く自由になりたいと本気で思っていました。

初心者マークをつけてすぐに練習して、すぐに一人で乗るようになりました。

これで私は自由だ!!と本気で思ってました。


専門学校に通う頃には車で途中まで行きそこからバス。

出かけるにも車で行けるので深夜まで遊ぶこともしばしば。

今までと比べ物にならないくらい時間を自由に過ごせるようになりました。

それからというもの、すっかり町の便利さに心を奪われていきました。

もちろん就職してからは長熊をでて一人暮らしをはじめました。

その頃は実家にはほとんど帰らず一人暮らしを満喫していました。

田舎の不便さ、距離の近すぎる関係。

そんなものを一切感じず快適な暮らしをしていました。

途中仕事をやめたときなんかは実家に戻りましたが、やはり落ち着かずまた一人暮らし。

ある時までは長熊と距離を置く生活を過ごしていました。

ちょっと長くなったので今回はこの辺で。

次回気が向いた時には、なぜそんなに嫌いだった田舎、長熊で活動してるかまで書きたいと思います。

※嫌いと書いてますが、めちゃくちゃいいところですので。。。



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