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ゆたかさは手を広げられる範囲

noteで #ゆたかさって何だろう と言う企画があったので少し考えてみたが、自分が手を広げることのできる範囲なのではないだろうか。

甘ずっぱいイチゴチョコで感じる味覚のゆたかさ

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この記事を書くちょうど1時間前に初めて自宅でチョコを溶かして熟したイチゴをつけて冷やして食べてみたが、とても幸せな気持ちになった。かかった費用は200円ほどだ。

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同じ食材でもほんの少し何かを変える事で自分なりに楽しめる範囲を増やす事ができる。

ゆたかさを感じる瞬間は”非日常”やルーティーンを脱して五感をできるだけ多く使って新たな世界を体感した時に訪れるのかもしれない。つまり、新しいところへ手を伸ばした先に喜びがあった瞬間だ。

暖色の光を反射する花の色に感じる視覚のゆたかさ

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朝7時を過ぎると黄金の朝日が熱と共に上り近所に生えていた鮮やかな草や花びらに光が当たる事で幻想的な世界が生み出される。しかし、それを見る事ができるのはその時間にその場所に足を運んだ時だけだ。

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実は我々の周りにはすでに美しいもので溢れており、大きな行動をしなくとも気づいたり意識を向けるだけでゆたかさで満たされている事に気が付く。そこで自然と感謝の気持ちが湧き上がるのは気持ちが良い。

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リンゴをザクザク切る音に感じる聴覚のゆたかさ

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よく意識を向けて耳を澄ませば、りんごを包丁でザクっと切った時の音と手から伝わる快感は人類が数万年も感じてきた栄養を摂取する前のプレリュードのようなものだ。

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筆者はその音をバイノーラルマイクで収録するのだが、普段我々がなんとなく聞いている音もよくよく聞いてみると素晴らしいものだと気が付く。すると自然に「もっと良い音はないか」と世界を音という軸で感じる事ができるのだ

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楽しめる事はまだまだ残されている

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「豊か」の反対の言葉は「乏しい」であるが、その「乏しさ」の原因は自分の心にある場合が多い。

誰に言われたわけでもないのに同じようなご飯を食べる。

誰に言われたわけでもないのに同じようなものを見る。

誰に言われたわけでもないのに同じようなものを聴く。

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大金を払わなくとも少しの手を加えれば面白いものを作れるし、解釈を変えれば違った視点で物事を観察する事もできるし、よく耳を澄ませば気持ちの良い音を追求する事もできる。

そこに手を伸ばすかどうかが自分がゆたかさの範囲を決めているのだと思う。

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そう考えると心にフィルターを持たずに好奇心の赴くままに動ける子供の方がゆたかさに溢れているのかもしれない。

自分のできる範囲でいいので手を伸ばし続けてみよう。

そしたらやがてその範囲はどんどん拡大していってできる事も楽しめる選択肢も増えていくのではないだろうか。

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